第7幕 美しい結晶をこの手に
カインは大きなため息をつく。その原因である彼はにこりと笑ったまま「さぁ、行こう」と手を引いた。その様子に頭を抱えるしかなかった。
「いや、あの、何当たり前のように言ってるんですか?」
「え、今日は狩りに行かないの?」
「いや、そういう訳ではなくて…」
何を言っているのか分からない、と言いたげなキョトンとした顔。何であなたにそんな顔をされなければならないのか。キョトンとしたいのは自分である。
「(………はぁ、今日も狩りに行かないといけないか…… )」
ここのところ毎日狩りに出かけている。もう一生、こんな風に真っ当な生活を送れるとは思っていなかったからなんだか懐かしく思いつつ罪悪感を感じていた。苦しいような、気持ちいいような。そんな感情を振り払うようにルカに噛み付く。
「行きます、行きますけど。付いてこないでくださいと言っているんです」
「今日は少し雪がちらついてるね。一段と寒くなりそうだ」
「……聞いてます?」
カインの言葉には聞く耳も持たず、手のひらを広げ空を眺めるルカ。彼のスルースキルは天才的だ。人の話など全く聞かない。自分の言いたいこと、やりたいことを全て叶えようとする。ここ数日の付き合いでそれに気づいた。つまりどうせこの後、彼は自分が何と言おうとついてくる。文句を言う労力も無駄になるので諦めた方が早いのだ。そのことを身に染みて学んだカインは、彼の手にひらりと落ちた雪が溶けるのを見て空を眺めた。
「………わぁ、」
澄み渡った青空に舞う雪は美しくて気づけばそう言葉が漏れていた。今年初めて見たようなそんな気がした。多分ちょっと前にも降っていたのに。
「僕野生動物って詳しくないんだけど、雪でも狩りが出来るくらい生息してるものなんだね。冬眠とかしないの?」
「ここら辺の野生動物はしないですよ。そこまで寒くならないですからね。雪だって積もるくらい降らないですし」
ルカを真似してカインも手のひらを広げる。白くキラキラと輝く結晶がすっと消える。ヒンヤリと冷たいその結晶になるほど、と思った。今になって彼女の言っていた意味が少しは分かった気がした。 少し嬉しくなりながらカインは家の前に置いた弓を持って歩き出す。
「君は雪好きなの?」
1歩後ろをついてくるルカがそう呟いた。カインはその意味がわからず「……好き……?」と首を傾げた。
「すごく嬉しそうだよ。ここ最近で1番ご機嫌なんじゃない?」
「…べつに、…そんなことないです」
ルカにそう指摘されて表情を隠すように口元を手で抑えた。今更顔を隠したところでもう遅いけれど、なんだか恥ずかしかったから。そんなに嬉しそうな顔をしていただろうか。表情筋をムニムニと動かしても分からない。
「ふは、君は分かりやすいね」
その様子を見てルカが笑いながら言う。その言葉にムッとして「…そんなこと、初めて言われました」と返した。心なしか早歩きになった気がする。
「分かりやすいよ。僕のメンバーはみーんなすぐ表情にでる分かりやすい子達ばかりだけど、君も負けず衰えずだね」
「………、嬉しくありません」
肩からズルリと落ちてしまった弓を背負い直してそう呟くもルカは軽く「ははっ」と笑って続けた。
「君のすぐそばにいる人間ならみんなそう思ってると思うよ。ほら例えば君の奥さんとか、ね」
「……」
そんなことないと言いたかったが、脳内で笑う彼女の顔が浮かんでそう言えなかった。ぼんやりと昔のことを思い出す。
『あんた本当にバカねぇ。そんな仏頂面してても分かるわよ。嬉しいくてたまんないって顔してる』
いつだったっけ?何の話だったっけ?
確か、カインがずっと欲しいって言ってた置き時計を隣町まで遊びに行ったマチルダが買ってきてくれた時。ずっと欲しかったけど自分に買うには少々高かったし、隣町にまで行く予定がないとわざわざ買いに行こうと思わなかった。そのうち売り切れてしまうだろうと半ば諦めていた代物だったのだ。それを何気なく話したら彼女が覚えてくれていて買ってきてくれたのだ。嬉しかった。その時計が手に入ったことはもちろん嬉しかったし、それ以上に何気ない会話を覚えていてくれたことが何だか気恥ずかしくて嬉しかったのだ。けれどカインは素直に嬉しいと伝えられず、手短なお礼をしてただ時計を眺めていた。申し訳ないと、こんなに嬉しいのにそれを伝えられないことが悲しいと、そう思っていた時の彼女の言葉だ。
彼女はその時、優しい顔で微笑んでいた。いつもより何十倍も優しい笑顔だった気がする。
「………妻には仏頂面でも分かるって言われましたよ」
「ふふ、そうかい」
木々の隙間を縫うように進む。枝が雪のせいで少し濡れていてその水滴が頬を掠めた。今日は一段と寒くなりそうだ。けれどどうしてか心は暖かく感じた。