第5幕 仮初の幸福を貴方に
家までの帰り道を1人、ゆっくりと進む。まだ夕方だというのに辺りは静かで薄暗い。もうすっかり冬が近づいてきたんだなぁ、とぼんやりと思ってため息をついた。冬は嫌いだ。寒いし、雪が降ったら狩りが大変だし。マチルダがいない冬なんて、凍えて死んでしまいそうだから。
「(……マチルダは冬の方が好きって言ってたなぁ、)」
いつか話した会話を思い出す。それで昔言い争ったっけ。ずっと前のことだ。彼女が病気になるより前。彼女が死ぬ、2年ほど前。
『絶対に冬の方が綺麗よ!絶対よ!』
『冬なんて寒いだけだろ。狩りをする時だって厄介だし』
くだらないとは思うけど、彼女の言い分が全くというほど納得できず言い返してしまった。それに彼女の言い分は”雪が綺麗だから”とか”冬の方がキラキラしているから”とか。抽象的な理由すぎて意味が分からなかった。夏だってキラキラしているだろう。例えばほら、夏の海。キラキラしていて透き通っていて、マチルダだって好きだったじゃないかーーー。
『ねぇ、カイン。勝負しましょう!』
活気のある声でそう言った。なんだ勝負って。なんのつもりだ。相変わらず突拍子のないことを言う人だ。意味が分からなすぎる。それに。
『(……マチルダの方がキラキラしてるだろ)』
なんてことは恥ずかしくて伝えられないけど。そんな彼女の表情を見ていると自然とその勝負ってやつもやってみてもいいと思えてきた。カインが『分かったよ……』と頷くと満足そうな表情を浮かべた彼女が言った。
『次の冬までに貴方に冬が好きって言わせたら私の勝ち!私が勝ったら雪が積もる北国に旅行に行きましょ!』
『なんだよそれ…旅行に行きたいだけだろ?』
『いいじゃない!!どうせ貴方は私に勝てないわ!』
そんな会話をした数ヶ月後、彼女は病気で倒れた。それから長い長い闘病生活が始まった。だから結局旅行には行けなかった。冬は少し好きになったのに。もう彼女は覚えていないだろうか。
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気づいたら家の前に立っていた。それと同時に考えていたことを強制的に終わらせる。最近マチルダと一緒にいるから頭がおかしくなっているようだ。ぼんやり考え事をしていると始まりがどんな事でも彼女のことに繋げてしまう。彼女を愛おしいと思う気持ちを、ただ純粋な愛情を、今の自分が持つべきでないのに。
「ただいま」
ゆっくりとドアを開ける。1歩中に入って顔を上げると、ベットに座って足をプラプラさせているマチルダと目が合った。『おかえり』とぶっきらぼうに言った彼女はベットから降りてカインの傍に寄ってくるとカインの顔をじっと見つめて『ねぇ、』と言った。
『アイツ、大丈夫だった?』
「…あぁ、うん。どこに行ったか知らないけど途中で居なくなったよ」
『ふーん』
それだけ言うと興味をなくしたように元いた場所へ戻って行った。表情はこれ以上ないくらい不機嫌そうである。カインは困った様子で部屋の中央にある小さな丸テーブルの上に店主から貰った麻袋を置いて、彼女の隣に座る。
『なにそれ』
「…え?」
『それよ。今何置いたの?』
その言葉に彼女の細くて綺麗な指がさす方を目で追う。それは先程置いた麻袋だった。カインは「…あぁ、これ?」と軽く腰を浮かしてその麻袋を取ると結んであった紐を解いて中身を取り出す。
「今日久しぶりに狩りに行ったんだ。その報酬ーーーー??」
手のひらにジャラジャラ、と音を立てて貨幣を取り出す。全ての貨幣を取り出すと、麻袋の奥に4つ折りになった紙切れが入っているのが見えた。カインは一旦貨幣を戻して、その紙切れ取り出して開く。
「…………え?」
マス目も柄もない無地の紙切れ。そこには文字が数行に別れて書かれており、その1番上には”カインへ”と書かれていた。それによりこの紙切れが手紙なんだと認識する。そしてこの文字はーーー。マチルダのもの。 バッと顔を上げてマチルダを見るも、彼女はただ微笑むだけで何も言わない。
「………よ、読んでいいの?」
「………、」
彼女がこくりと頷くのを見て、手紙に目線を戻した。
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カインへ
突然の手紙驚いたでしょう。店主にお願いして、報酬と一緒に渡してもらうことにしたの。その方が面白いかと思って。驚いた時の貴方は滑稽な顔をするから、そのあほ面を拝めなくて残念だわ。
カインにひとつ、大切なことを伝えたくて手紙を残しました。多分この手紙を読んでる頃には私はとっくに死んじゃってると思う。ごめんね。でもどうしようもないわ。誰のせいでもない。強いて言うなら神様が悪いのね。私のような素晴らしい女性を病気にしたんだから。だから貴方は悪くない。貴方は馬鹿みたいに働いて、馬鹿みたいに私のために尽くしてくれた。分かってるわ。全部、ちゃんと気付いてる。だから自分を責めなくていいんだよ。馬鹿正直な貴方はきっと自分のことを責めているでしょうから。でも余計なお世話よ。私は私の意思で死んだの。貴方に責任を感じられても迷惑だわ。うん、でもね。私はそんな貴方が大好きよ。貴方は馬鹿で阿呆でどうしようもなくて、狩りの腕前とそこそこの顔面くらいしか取り柄がないかもしれないけどそんな貴方が大好きでした。ずっとずっと、死んでもずっと、幽霊になっても、生まれ変わっても、ずっと貴方を愛してる。それだけは忘れないでほしいの。
だから、こっちの世界になんて来なくていいわ。ずっと私の事、愛していてね。
マチルダより
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「…………………、、」
彼女の美しい文字が、彼女らしい言葉が、すっと胸に響いた。いつの間にか視界がぼやけていて、そのせいで手紙を濡らしてしまうことを恐れて目を擦った。
「………ねぇ、マチルダ……、、」
この気持ちを、本人に直接伝えよう。そう思い彼女を見つめるも隣にいたはずの彼女が見当たらない。
「マチルダ………?」
辺りを見渡しても、彼女の姿はなかった。
「………マチルダ?」
名前を呼んでも返事がない。この家にいて姿を消したことなど1度もないのに。話したいことは山ほどあるのに。手紙の内容についても、今まで彼女の発言についても。ちゃんと話をしないといけないと思った。それなのに彼女は話をする気がないらしい。
「ねぇ、マチルダ、明日話そうね」
幽霊相手にむやみに探しても埒が明かない。きっと明日になったら出てきてくれるだろう。その日は早めに眠ることにした。
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