第4幕 旧友
村の門をくぐり真っ先に肉屋へ向かう。慣れ親しんだ道のりだ。目をつぶっていてもきっと歩いていける。それくらいほぼ毎日通っていた肉屋だったが最近は行っていなかったなぁ、とぼんやり考えている間に店の前に到着した。モダンな雰囲気の小さな店だ。古くからこの村にある唯一の肉屋で今の店主は65代目になる。少しだけ緊張しながら、なんて事ない風を装い扉を開ける。
「いらっしゃ、、、カイン!カインか!」
扉を開けるとすぐに活気のある男の声が鳴り響いた。店主だ。ずっと昔から馴染みのあるほとんど歳も変わらない店主。カウンターの奥で作業をしていた店主はカインを見つけた瞬間、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「久しぶりだなぁ!!なんだお前、家に行ったって出てきてくれねぇからよぅ。心配してたんだよ!」
「あぁ、心配かけて悪かったな、」
「なんだなんだ、らしくない!」
がはは、と豪快に笑う店主はカインの肩をバシバシと叩いた。痛い。結構痛い。ていうか猪担いだままなのだが。先に回収してくれたりしないのだろうか。そう思っている間も力はどんどん強くなっていく一方である。その痛みに渋い顔をしているとその手が急に止まった。それと同時に店主の笑い声も止む。
「大丈夫か、カイン」
しん、と静まり返ったように感じた。別にうるさかったわけでもなかったのに。いつも豪快で大雑把な男が急に穏やかな声を出すからそのギャップにやられただけかもしれない。
店主は真剣な表情でカインをじっと見つめていた。そのまっすぐな瞳が耐えられなくて目を逸らしながら「……大丈夫だよ」と言った。
「……隈が酷いぞ。寝れてないのか」
「寝れてるよ。大丈夫、ほら今日は狩りに出かけたんだ。飯だって食べれてる」
「……無理はするなよ」
「無理なんてしてないよ。大丈夫、大丈夫さ。なんてことない」
へらり、と笑ってみせる。自分でも驚くほど嘘っぽかった。少しの沈黙の後、店主はニカッと笑って「そうか!」と言った。
「その猪は買取でいいか?」
「あ、あぁ、それで頼むよ」
「おう、任せとけ。ちょっと待ってろ」
店主はそう言いながらカインから猪を受け取り、担いで店の裏へ下がっていった。
ーー気を使わせてしまった。絶対に納得していなかったのに。深く詮索しないでいてくれた。豪快に笑ったその瞳の奥は心配そうに揺らいでいたのに。それを見て見ぬふりした。
「お友達かい?」
その言葉にハッとする。いつの間に店に入ってきたのだろう、すぐ横に立っていたルカがそう呟いた。
「……腐れ縁です」
「心配そうだったね。君のこと大切に思っている証拠だ」
「……………そう、ですね」
そんなことは言われなくとも分かっている。こんな小さな村なのだ。歳が近くて意気投合できる存在は貴重である。まるで兄弟のような、仲間のような、家族のようなー。それくらい大切な存在なのだ。
だから、だからこそ。このことは絶対に秘密にしなければならない。優しい彼はきっと必死になって阻止しようとしてくるだろうから。
「君は何か、心配されるくらい無理をしているのかい?」
1人思考を巡らせていると空気の読めないルカが不躾にそう言った。カインは苦虫を噛み潰したような顔で「…図々しいですよ」と呟く。
「まぁまぁ、いいじゃないか」
「赤の他人に話すことはありません」
「赤の他人だからこそ、話せることもあるんじゃない?」
店主とはまるで大違いのルカをじっと睨む。ヘラヘラと笑うその顔にムカついカインはため息を1つついてから口を開く。
「…半年前、妻が亡くなりました」
ポツリ、と呟いたその言葉はただの事実だ。ムカついたからどう反応するか試してみたくなったのだ。
「亡くなってから狩りもせず飯も食わずの生活を続けてたので、心配してくれてるんじゃないですか」
全部本当のことだ。さあどうする。
大体の人間は困ったように笑うだけだ。”辛かったね”だの”悲しかったね”だの誰にでも言える薄っぺらい同情なんか聞きたくもない。
「(これで気を使って何も言ってこないかもしれないし)」
そうなってくれれば一番いい。というかまともな人間ならそれ以上詮索してこないだろう。しかし不躾なこの男が静かに引き下がると思わなかった。何を言われるだろうと身構える。だがルカはそんなカインの気持ちなど踏みにじるかのようにいつもと変わらない表情で「ふーん」とだけ一言呟いた。
「…ふーんって、それだけですか?」
思っていたより簡単な一言に思わずつっこむ。可哀想だと言ったり辛かったねと慰めたり、そんな単純なことはしないと思っていたがここまで気配りのない言葉で済まされるとも思っていなかった。カインは少しだけ腹を立てその顔を睨むとルカはニヤリと笑った。
「ーーーなんで?同情してほしかったの?」
残酷な言葉だと思った。それと同時に確かに、とも思った。自分でも分かるほど大きく見開いてしまった目を伏せる。情けない表情をしている自覚がある。それをルカには見られたくなかった。
「(………同情、してもらいたかったのだろうか)」
「待たせたなカイン、、??そちらの方は?」
俯いているとカウンターの奥から店主がひょっこり顔を出して問いかけてきた。助かった、と思いながら「あ、…あぁ、さっきそこで知り合った旅人さん」と答えた。
「旅人さん…?こんな辺鄙な村に珍しいな、すまんね。宿屋もなくて大変だろう」
「えぇ、全くですよ」
「………、おい…おま、、」
礼儀のひとつもなっていないルカの言葉に怒りが湧きいい加減文句でも言ってやろうかと思ったところ「ガッハハ!!」と豪快な笑い声が聞こえた。間違いなく店主のものだ。
「いいねいいね、あんた、肝が据わってるな!」
「よく言われます」
「そうかそうか!だろうな!」
どこに彼を気に入る要素があったのか、店主はご機嫌な様子でカインの元までやってくると「ほい」と麻でできた小さな袋を渡された。
「銀貨10枚と銅貨7枚だ」
「…え、多くないか?猪1頭だぞ」
「いいんだよ。いつもの礼だ。受け取ってくれよ」
咄嗟に広げてしまった掌にポン、と置かれる。いつもよりズシリと感じるその麻袋はほんのり温かかった。「……ありがとな」とポツリと零すと店主は満足そうに微笑んで「おう!」と言った。
「今日はもう終わりか?」
「……いや、また山に登るよ」
「え、また登るのか?もう今日の分は十分だろ?」
「……まぁ、そうなんだが……」
不思議そうな顔をする店主。まったくその通りである。今日の分の日銭は稼いだのだからもう十分である。しかし隣にいるニヒルな笑顔を浮かべた謎の男がいつまで着いてくるつもりなのか分からない。こいつを家に連れてくるのだけは嫌だ。絶対に嫌だ。思考をめぐらせていると、「……んふ、」とルカが笑った。
「安心してよ。僕はついてかないから」
「え…?」
「じゃあね」とそう言うとルカはヒラヒラと手を振りながら店を出た。なんとも自由な男である。ハツラツな店主の「ありがとな!」という言葉にハッとしてカインも「……じゃ、じゃあ俺も帰るよ」と呟く。ルカがいなくなってくれるのならもう山に登る必要もなくなったのだ。大人しく家に帰ろう。
「おう!また来いよ!」
店から出る瞬間、ドアの隙間から見えた店主がそう言いながら手を振っていた。元気なその声はまるで背中を押しているようだ。鉛のように重い足が少しだけ軽くなった気がした。