第15幕 貫く弾丸
「カ、、、ーー、、インーー、シ、ンデ、シンデヨ」
すっと、今までうるさく鳴り響いていた耳鳴りがやんだ。これは現実だよとそう告げられているようだった。ゆっくり、顔をあげる。
「(…………マチルダ……じゃない……)」
目の前で蹲る黒いモヤのかかった物体が、美して強くて、可憐な彼女なわけがないと思った。
「……………………カ、ぃン、っ……、」
彼女の声は、こんな風だっただろうか。もっと綺麗でかっこよかったはずなのに。
『カイン』
そうだ、そう。この声。この声だ。
脳裏に過ぎった半年前の彼女の声。もう忘れかけていた本物の優しい声。これは幻覚でも幻聴でもない。ただの記憶の中の声だ。
『貴方はいつも迷ってばかりで馬鹿ね』
目から涙が零れる。拭っている余裕など今のカインにはなかった。
『信じたいもの信じなさいって、いつも言ってるでしょ』
かっこよくて、凛としていて、芯がしっかりとしている彼女らしい言葉だ。自分が作り出した幻覚がとても言える言葉ではないと思った。
『貴方は貴方のままでいいのよ』
ーーーー彼女はもういない。彼女の幽霊なんて存在しないのだ。
「………………、違う、……お前はマチルダなんかじゃない!!」
叫んだ。 喉の奥をこじ開けて叫んだ。その声に黒い物体は怯み小さく縮こまった。
ずっと幽霊になったマチルダに縋っていた。彼女がいればあとは何もいらない。彼女がいればきっと死ねる。彼女がいればーー。
生きていた頃も、死んだ後も。マチルダに依存してバカみたいだ。けれどこんな弱い自分を彼女はずっと愛していてくれたではないか。
「(約束を守れ、なんて、そんなこと言う人じゃなかったんだ)」
すっと心が軽くなった。カインはすぐ後ろにある押し入れを開けて壺を取り出す。どこか有名な場所で作られた焼き物なのだろうか。淡い藍色の装飾が施されたずっしりと重たい壺を抱いてルカを見つめる。
「……助けてくださいルカさん」
「……………………か、ガ、ン??」
「……マチルダの幻覚を……、もう自由にしてあげてください……」
ずっと大切にしてきた。傷つかないよう、壊れないよう、大切に。この壺も彼女ももう解放してあげないといけない。
「いいの?」
「はい」
まっすぐルカの瞳を見つめる。ルカは優しく笑って「分かった」と承諾した。
するとルカの笑顔はなくなりじっと黒い物体を睨んで「だってさ」と言った。挑発するような声だった。
「もう君がマチルダじゃないってバレちゃったよ?」
「……ア、……ァァァ、ァァァ??」
「大人しく消えてくれると助かるんだけども」
そう張り付いた笑みを浮かべながら告げると化け物は「……カ、カイン……?」と呟いた。ノイズの入ったその声はマチルダの声色だったが、別の何かに聞こえた。カインは壺を大切に抱きかかえて後ずさる。
えずきながらカインに手を伸ばしてくる化け物。その気味の悪い姿にカインは「くるな!」と叫ぶ。もう目の前の化け物がマチルダに見えることはなかった。
「…、………、ナ、ナンデ??」
落とさないように壺を強く抱きしめる。拒絶されたと思ったのか黒い物体は悲しそうな表情を浮かべた。黒いモヤがさらに増加する。
「……ナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデ!!!」
途端に様子がおかしくなった化け物は子供のように癇癪を起こしながら叫んだ。黒いモヤがどんどんと溢れ出てその体にまとわりつく。人間の形を保つのが難しくなったのか体はドロドロと溶けていた。
「本当に憎らしくて可哀想だね。人間の感情を食うことでしか生きていけないなんて」
「アァ、ァァァァ??」
「君たちは存在してはいけないんだよ。生まれてくるべきじゃなかった」
ルカがそう冷たく言い放つ。その声が聞こえているのかいないのか、怪物は「アァァァ、ァァ」と唸りながらモヤを吐き出していた。そのモヤは化け物の全体を覆い大きな黒い球体となるとすぐにその球体はドロドロと溶けていった。そこから出てきたものはもう人の形をしていなかった。その形は四足歩行の耳の長い獣。例えるなら狼のような大型の獣だった。体は黒く渦巻いていて、瞳にあたる部分だけがギロリと赤く光っていた。その瞳がルカを睨む。
「本当はもっと早く回収するべきだった…ごめんね。せめてゆっくり眠って」
そうルカが呟くとバァァァァン、と鈍い発砲音か鳴り響いた。それとほぼ同時にルカの首元の近くをすごい速度で何かが通り過ぎ、それは黒い物体の額に命中した。ど真ん中だった。
「…アァ、アァア、ァァァア、ァァ」
ーーーそれは弾丸だった。




