第13幕 受け止めきれない現実に
彼女は怒るだろうか。軽蔑した目で見られるだろうか。
カインの脳内はそんな感情で支配されていた。彼の手を掴んでしまった。今から彼を家に連れていく。そうすれば彼女に責められるのは目に見えていた。けれどやっぱり、どんなに怒られようとも貶されようとも、彼女のことをもっと知りたいと思った。彼女の望みを知りたい。彼女の思いを知りたい。ずっとずっと一緒にいたいのだ。それこそ自分が心臓が止まる、その時まで。
家までの道のりはあっという間だった。平常心を装って歩いていたがいつもより歩幅が狭くなっていたと言うのに。
「…彼女、あなたのこと嫌ってます。予めお伝えしときます。すみません」
家の前に着いてそう早口で告げる。この期に及んで少し時間稼ぎをしたかったのかもしれない。ルカはいつものように笑って「平気だよ」と呟いた。ゴクリ、と唾を飲み込んでから震える手でドアノブを掴む。そしてゆっくりと開ける。
「………………ただいま」
まるでスローモーションになっているかのような、そんな感覚だった。どうしてこんなに怖いのか。どうしてこんなに震えているのか。今までのことが、全て嘘だったらどうしよう。なんて意味の分からない思考に陥る。そんなわけないだろう。だって彼女の姿も声も言葉も。全てが彼女のものだったではないか。そうだ、そうだ。だから大丈夫。
『おかえり』
ゆっくりと開いた扉の先。見慣れた部屋とともにいつもと変わらない彼女の声が聞こえて胸がスーッと軽くなった。ベットに座る彼女を視界にとらえると無意識に頬が緩んでいくのが分かった。
『……なんでそいつがいるの』
そんなカインとは裏腹に顔を引き攣らせたマチルダがワントーン声を低くしてそう言った。目線は自分の後ろ。その冷たい目線に「ごめん、すぐ終わるから」と答えてから振り返る。
「…………見えますか?」
「うん。見えるね。綺麗な奥さんだ」
ルカのその言葉にまず第1段階クリアだと安心する。本当に消えなかった。彼の言うとおり”消えないで”と思っていたら本当に消えなかった。どうしてなのかなんて、聞いている余裕はない。
「君がマチルダさんか。こんにちは。会いたかったよ」
ルカは変わらずヘラりと笑って部屋に足を踏み入れる。そんなルカをマチルダはギロリと睨んだ。
「(……マチルダ怒ってるなぁ)」
これ程にないほど鋭い目付きだ。少なくとも彼女からあんな風に睨まれたことはない。しかしルカはそんな彼女に臆することなくはは、と笑って呟いた。
「そんなに怖い顔しないでよ。僕は君と話がしたいんだ」
『…』
「ねえ君は彼のこと好き?」
睨むだけで特に反応を見せないマチルダにルカは言った。その言葉にマチルダの表情をさらに歪ませる。これ以上ないくらい冷たい声色で『そうね』と呟いて続ける。
『好きだから一緒にいるの。悪い?』
「ふーん。”死んでほしい”なんて言ってるくせに?」
『…………………………………………、』
何食わぬ顔で発せられた爆弾発言にマチルダは冷たい目線をカインに向ける。なんでこいつに言ってるのよ、と言いたげな目に「ご、ごめん」と呟く。
『あなたには関係ないわ』
「関係あるよ。僕は君達が隠してる壺が欲しいんだ」
『渡すわけないでしょ』
「んふ、そうだよね。渡すわけないよね」
今にも喧嘩が始まりそうな険悪なムードにカインはただ見ていることしかできなかった。存在を消すように静かに押し入れの前まで移動する。自然と壺を隠すような体制になっている事に気付いた。ここまできてまだルカを信用しきれていないようだ。こんなふうに分かりやすく行動したらルカにバレてしまうとそう思ったが彼の目線はテーブルに向けられていた。
「これが例の手紙?」
彼が見ていたのはマチルダがくれた手紙らしい。カインは慌てて「あ、あぁ」と頷く。
「手紙の内容、君は知ってる?」
『………………』
その問いかけにマチルダは無言でルカを睨む。カインはその意味が全く理解できなかった。知ってるも何も彼女が書いた手紙なのに。更に場の空気は悪くなっていく一方だがルカは気にすることもなくふふ、と笑う。
「あ、内容は知ってるか。でもなんでそんな事が書かれているかは分からないんじゃない?」
『……』
「だってこの手紙書いたの、君じゃないもんね?」
まるで時が止まったかのようなそんな感覚に陥った。彼の言葉の意味が全く理解できない。独り言のように呟いた「………え、」という言葉は2人の耳には届いていないようだった。
「もう自我が芽生えてるのかな?」
『……………うるさい…だまれ…』
「それほど彼の思いは美味しかったんだね?成長のスピードが凄まじい」
『……黙れぇ!!!!』
ルカの言葉にマチルダが叫ぶ。その声量と気迫に圧倒されカインは腰を抜かしてしまった。立ち上がった彼女は鬼の形相でルカを睨んでいた。これまでに見た事ないほど顔は歪んでいた。
『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ…!!!』
まるで壊れた玩具のように、それだけを叫ぶ彼女に冷や汗が垂れる。口の中が乾いてしまって声も出なかった。
「よく見てカイン。これは本当に君が愛した奥さんなのかな?」
ルカが優しい笑顔でそう告げる。固まってしまった体を無理に動かして彼女を見る。彼女は未だうわ言のように『黙れ…』と呟いていて、ぼんやり黒いモヤが足元からかかっているような気がした。目の錯覚かと思い目を擦るもそれは変わらない。瞳も真っ黒に染っていて見開いている。「……マチルダ……?」と恐る恐る名を呼ぶも、彼女には聞こえていないようで苦しそうに疼くまりだした。咄嗟に支えようとしたが体は固まってしまったように動かなかった。そんな様子を見てルカが「ねぇ、カイン」と言った。
「君が盗んだ壺。本当に死者が見える壺だったのかな?」
「…………え、」
「僕、今までいろんな骨董品に出会ってきたけど死者が見える、っていうのは大体偽物なんだよ」
「………に…偽物……??」
「そう、いや偽物という訳ではないか。不思議な力があるのは確かだからね」
「何を言って……?」
彼が何を言っているのか、まるで意味が分からなかった。偽物なはずないだろう。だってさっきまで普通に会話していたから。そこにいたから。声も姿も喋り方も全て、あの頃のままだ。
けれどすぐ近くでふらりと揺れる人影は知っている彼女ではなかった。不気味な雰囲気を纏った別の何かだ。それは理解できるのに彼の言っている意味は全く理解できないのだ。彼女は『……ぅぅぅううう』と猛獣のように唸る。それをただ眺めているとルカが「これはね、」と呟く。
「ーーー君が作り出した幻覚だよ」




