第10幕 フラッシュバック
︎✧
「……っはぁ、っ………、、……は、……はぁ」
苦しい苦しい苦しい苦しいーーーー。あの時、あの瞬間から、自分の時は止まっているのだ。あれから何をしても、何を見ても、何も感じなくなった。苦しくて、悲しくて、生きているのが醜いように思えて、ずっと辛かった。
『貴方、いつまで私を1人にする気?』
『約束したじゃない。私が死んだら貴方も死んでくれるって』
『だからずっと待ってたのに、一向に来る気なんてなかったわよね? 』
『嘘つき』
『あれは、あの時私を宥めるためだけの嘘だったの?』
『死んでよ』
『私は寂しくて寂しくて仕方なかった』
『貴方は私が死んでも、平然と生きていけるのね』
『平然と生きていけるくらい、私の事なんてどうでも良かったのね』
『貴方ならすぐに死んでくれるって思ってた』
幽霊となった彼女に投げかけられた言葉はいつしか文字となって残るようになった。まるで小説を読んでいるかのように脳裏に浮かぶその文字は一生消えてくれない。苦しい時、悲しい時、どうしようもない時、その文字列がフラッシュバックして離れてくれない。
「はぁ、っ、、……はぁ、っ、はぁひぃ、ぃ……」
『ねぇ、約束したよね?』
マチルダの声が耳元で鳴り響く。本当にそばにマチルダがいるようだった。すぐ側で彼女が問いかけているようだった。嘘だ。嘘に決まっている。だって彼女はこんな所まで来れない。そのはずなのに。
胸が締め付けられているような感覚に陥って、立っていられずその場で蹲った。
『私が死にたくないって、死ぬのが怖いって、そう言ったら、約束してくれたじゃない』
すぐそこにいるように思える。そんなはずはない。だからこれは幻聴だ。分かっている。分かっているのだ。彼女は壺の近くから離れられない。壺は自宅の押し入れに隠してある。彼女が自宅周辺から逃げられないように。だから、だからーーー。
『ーーーお前が死んだら一緒に死んでやるって』
幻聴が酷く冷たい声色でそう告げた。
「……は、……、、か、ヒュ……、」
そうだ。約束したじゃないか。
それなのに俺は死ぬ事も出来なかった。妻との約束も守れない腰抜けだ。
あの日あの時、本当に死ぬつもりでこの山を登った。死ぬつもりでこの道を歩いた。なんだか懐かしいなと思った。2人で歩いたことがもうずっと昔のことのように思えた。楽しかった頃の妻との思い出が蘇って、苦しくて悲しくて、愛おしかった。それだけは間違いないのだ。
「あぁ、この先なんだね」
息が荒くなって意識が朦朧とし始めた頃、いつも通りの変わらない声色が鼓膜を揺らした。そのおかげで幻聴はすっと消える。
「…………?」
一瞬にして現実に引き返された。あぁ、そうだった。今はルカと一緒だった。今も2人だ。それは変わらない。けれどカインが求めているのは彼女だけだ。2人で並んで歩きたいのは彼女だけだ。それなのに彼女は死んだ。この世界のどこを探しても、もう彼女はいないのだ。
「奥さんが亡くなった場所」
核心をついた言葉が聞こえた。それは目の前で堂々と立っている男から発せられた言葉だと気づくのに少し時間がかかった。酸欠になった脳みそではそれを上手く処理できなかったからだ。”何故それを……?”そう呟きたかったが口から漏れたのは音をなさない空気のみだった。
「君の話を聞いていたらなんとなくね、それくらいは誰だって察するさ」
けれど口の動きと目線で察しとったのかルカがそう言った。ルカの光のような黄金の瞳がまっすぐにカインを見つめていた。ただまっすぐと。何を言うでもなく、何を聞くでもなく、何をするでもなく、ただじっとカインを見つめていた。それを不思議と逸らさないでいると、だんだんと呼吸も落ち着いてきた。まだドキドキとしている心臓に手を当てて息を整える。辛うじて話せるようになった頃「………すみません」と呟いた。
「…………お見苦しいところをお見せしました」
「別に見苦しくなんてないよ。気にするほどでもないさ。水とか持っていたら良かったんだけど、僕ほら手ブラだからさ」
「………あぁ、いえ……」
至って冷静なルカは表情1つ変えず「立てる?」と手を差し出した。それに恐る恐る掴まるとその細身の体からでてるとは思えない力で引っ張られた。そのおかげでスっと立ち上がることができた。脳みそもだんだんと落ち着いてくる。こんな風に知り会ったばかりの人間の目の前で取り乱してしまうとは恥ずかしい限りだが、彼は迷惑だったら迷惑だとハッキリと伝えてくるタイプだと思うから本当に気にするべきでないと自身を納得させた。頭の中でなんて言い訳しようか、と考えているとルカが相変わらず気にした様子も見せず話しだした。
「この先は進まない方がいい。昔のことを思い出して過呼吸になるなんて相当だ。僕の仲間は昔、君と同じように過呼吸になった後、半狂乱になって自害しようとしたことがある。わざわざ必要ないことで精神をすり減らす必要はないと思うよ」
「…………………、、何も聞いてこないんですか」
ペラペラとそう話し出す彼に、気づけばそう呟いていた。しまった、と思う頃にはもう遅く、彼はまっすぐカインを見つめていた。前に肉屋で話した時と同じような言い方をしてしまった。しかし後悔しても遅い。意をけしてカインもじっとルカを見つめた。彼の瞳はまるで射抜かれるような鋭い視線なのに、どこか慈悲に溢れたものだと感じた。
「何か話したいの?」
彼は揺るぎない声でそう言った。すっと、耳に入ってくる綺麗な声だ。心がざわめいた気がした。




