プロローグ カイン=ロベルト
きっと、ずっと、永遠に。脳みその奥深くに刻まれて忘れることのできない記憶。それを忘れたくて、でも忘れられなくて。ご飯を食べようとしても、狩りに出かけようとしても、ゆっくり眠ろうとしても。どんなときでも優しく自分を呼ぶ貴方の声が聞こえてきた気がして振り返り、そして絶望した。あぁ。そうだった。君はもうこの世にいないんだ。そう理解するのには相当な時間を費やした。そしてやっと、君がもうこの世のどこにもいないのだとそう受け止めた時は何もかも全てがどうでもよくなってしまって。思い出したのだ。あの日を約束を。だからこの場所にやってきた。村の近くに聳え立つ、自分の仕事場である山の奥。少々道が険しいため狩り目的以外では滅多に誰も近づかないような道を進み、やっと開けた空間に出られた先。そこはすぐ下に大きな海が広がる海涯だった。よく見慣れた透き通った水面も波の音も匂いも。彼女が大好きだったから良く訪れていた。この潮の匂いを嗅げば鮮明に蘇ってくるのは、ただ愛するべきあの人の笑顔だ。
「マチルダ……」
愛した彼女はここから飛び降りた。自分の目の前で。彼女が落ちたその瞬間、とても届かないと知っていながら伸ばした手は当たり前のように空を切った。まるで波に誘われるように。まるで海に帰るように。そんな錯覚を起こしてしまうくらい自然に、彼女の白い皮膚も青い瞳もその水面に消えていった。
だから。
「…今からそっちに行くよ」
俺も同じ場所で同じように溶けていったら、生まれ変わったらまた一緒になれるかな、なんて。
1歩前に進む。ガタガタと震える足元も、ゼエゼエと荒くなる息も、まるで自分のものではないように思えた。体は正直なんだ。怖くて恐ろしくて、どうしようもなくて。ーー目の前に立ちはだかる”死”という壁がほくそ笑んでいるように思えた。
「……………君は、こんな怖い思いをしていたんだね、…」
瞼を閉じて彼女を思う。怖かっただろう、身を投げ出すことにどれだけ勇気がいることか。夏にも関わらず少し冷たい風が髪の毛を揺らす。そうだ、あの日も。こんな風に潮風が心地よいなんてことない日だった。本当に、なんてことない。
男は瞼をゆっくりと開けて唾を飲み込む。さて、もう終わりだ。この人生に終止符を打つ時が来た。さあもう恐れることなど何もない。ただ1歩、前に踏み出すだけ。
男は軽い足取りで前へ。
ーーーーーーーーーーーーーー進めなかった。
皆様はじめまして。軽田おこめと申します。
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