第72話
短い秋はあっという間に過ぎて、シュナ村にも冬の気配が近づいてきた。
今にも雪が降りそうな灰色の空を見上げながら、俺は傍らに浮かぶムギに話しかける。
「随分寒くなってきたけど、冬って、土の精霊的には、どうなの?」
『そうですね……大地が雪で覆われて、固く凍てついてしまうと、いくらか弱まります。以前の、力が弱まっていた頃ならば、雪解けの時期まで眠り続けていることも、御座いました』
ほう、精霊も冬眠するのか。
穴倉で丸くなり、身を寄せ合って眠るムギたちの姿を想像して、少し笑ってしまう。
『……何か失礼なことを考えておられません、ヨウヘイ様?』
……イエ、別ニ?
ムギの追求をごまかすように、俺は歩く速度を速める。
レプティルたちの集落から帰ってはやひと月。ルイも帰ってしまって、久々に平穏な村の日常だ。今日、俺が向かっているのは、町はずれの小屋だ。
ただ、以前そこにあった元馬小屋の物置はもうない。代わりに、以前よりも広く、しっかりとした造りの小屋が立っている。
「おお、ようやくきたね! ヨーヘイ、早く頼むよ!」
小屋の前では、数人の村の女性陣が、並んでいる。先頭の婆さんが、待ちかねた様子で声を上げる。
「あー、はいはい。準備するから、ちょっと待ってねー」
俺は小屋の鍵を開ける。
中に入ると、まず目に入るのは脱衣するためのスペース、そしてその奥の大部屋には、数人が同時に入れる巨大な浴槽。そう、ここは風呂場だ。
バフロスの騒動後に、ようやく膠灰が届いたので、村のみんなの助けも借りて試行錯誤した結果、ついに念願だった大浴場が完成したのだ。
折角だからと、村の人たちに試してもらったところ、これが思いのほかに好評で、定期的に入りたいという皆の強い要望があった。そこで、この小屋は村の公衆浴場として正式に認可されて、村人たちに開放することになったのだ。
とはいえ、給水と湯沸かしは精霊の力に頼らなければならないので、俺がこうして運営・管理することになっている。
(それじゃあ、ミーズと、ホノー。いつも通り、頼んだ!)
『承知した』
『任せとけ!』
ミーズが浴槽を水で満たし、ホノーが手際よく温度を適温に持っていく。何度か繰り返したおかげで、ホノーの火加減も、今ではばっちりだ。
「はい、準備できたよー」
俺が外に出て、そう告げると、並んでいたみんなは嬉しそうに中へと入っていく。
ちなみに、今日は女湯の日。なので、俺は浴場の隣に立てられた別の小屋の中で待機して、要望があれば火加減を調整するのだ。
「あ、お兄さん……」
よく見たら、エレナもジルを連れて来ていた。隣には、アフラも並んでいる。
「今日は、アフラも一緒なんだ」
「はい、まだ入ったことがないそうなので、誘ってみました」
エレナの横では、いつも通り無表情のアフラが、ジルの手を握って立っている。
あのレプティルの集落の事件以降、俺たちについて来たテトとアフラは、シュナ村に居ついていた。
半ば空き家同然に放置されていた、精霊神の礼拝所に住み着き、勝手に改装まで始める始末。最初は、胡散臭いと思っていた村の人々たちだったが、テトの予想以上にちゃんとした説法に心を打たれたり、村仕事の手伝いにも積極的な様子に感銘を受けたりで、あっという間に、受け入れてしまった。
アフラは、村ではテトの助手で働きものだけど、まったく喋らない変な娘、という扱いだ。似た者同士のジルと気が合うのか、よくジルの面倒をみてくれたり、遊ぶのを見守ってくれたりしている。それに、エレナも感謝していて、今回みたいに、お茶や村の行事やアフラを連れ出しているようだ。
「ごゆっくりー」
中に入る三人を見送ると、その後ろから来たおばちゃんが笑う。
「ヨーヘイ。エレナやアフラが入ってるからって、覗いたりなんかしたら、承知しないからね」
「そうそう。女の裸が見たいってんなら、あたしらババアだけの時にしな! いっそ一緒に入るかい?」
ぎゃはははは、と大口を開けて笑うおばちゃんたちに、俺は曖昧な笑みを返して、そそくさと逃げる。
いやもうほんと、どこの世界でも、おばちゃんたちのこういうノリが変わらないの、すごいね。
風呂の番は、おばちゃんたちからの要望に応じて、時々加熱や加水をするが、大抵は何もすることがない。なので、小さい姿の精霊たちと雑談しながら、力の応用について試したりする。
今日は、クロマルの不幸を感知する能力を応用して、遠距離にある物や人の位置を探知する実験だ。
『私が分かるのは、不幸の気配だけ! それ以外はわかんないわよ!』
「まあ、そう言わずに、ね? クロマルのすごいところ、もっと見たいんだよー。だから、頼むよ―」
不平不満を言うクロマルをなだめすかし、おだてつつ、その気にさせてチャレンジを繰り返す。
まずは、クロマルが感知する気配というものを、感覚共有を通じて俺に伝達してもらう。
「おおー……」
それを繰り返していると、不幸の気配とは異なる、もっと小さな気配・村の人々の存在も感じられるようになった。まるで、頭の中にレーダー画面が出来たみたいだ。
これは、想像以上に便利かもしれん。
「ん?」
集中すると、小屋の外に3人ほどの近づいてくる気配がある。
俺はクロマルとのリンクを一端閉じて、小屋の外に出た。そこには、ジルの手を引くエレナとアフラがいた。
「ヨーヘイお兄さん。皆さん上がりました。私たちが最後です」
「あ、もうそんな時間か」
どうやら、クロマルの能力実験をしていたら、随分時間が経っていたようだ。
「片づけ、私たちも手伝いますよ」
エレナの申し出を有難く受け取り、四人で浴室を軽く片付けることにした。
とはいえ、ミーズの力でさっと水を流して、軽く室内を整理するだけだ。本格的な清掃は、この後やってくる担当の村人に任せる。
うーん、排水溝の位置とか動線は、ミーズの力を使えばどうにでもなるけど、もう少し改良の余地があるかな……ま、そこらへんは次への課題か。
「それじゃ、帰ろうか」
「はい!」
村はずれから、家までの道のりを歩く。俺の前を行くジルは、左右からエレナとアフラに手を繋がれている。まるで連行される小さい宇宙人みたいだ、と思って思わず笑ってしまった。
「? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。」
振り返ってきたエレナをごまかしつつ、俺がふと視線を上げると、空から白いものがちらつくのが見えた。
雪だ。
「あ……」
気づいたエレナたちが、足を止めて空を見上げる。俺の開いた掌の上に、舞い落ちた雪が、瞬く間に溶けて水滴に変わる。
俺がこの世界に来て、最初の冬がやってきたのだ。




