第7話
「二日酔いの時には、村ではこのお茶を飲むんですよ」
そういって、エレナがお茶を出してくれた。薬めいた苦みがあるが、何となく胃と頭がすっきりした気がする。
お茶を飲んで一息入れると、改めてグエル村長が深々と頭を下げてきた。
「改めて礼を言わせてくれ、ヨーヘイ殿。あなたのおかげで、この村は救われた」
「い、いえ、救ってくれたのは精霊たちで、俺はただ、その手助けをしただけで……」
ついつい目線が、今も俺の横をぷかぷか浮いているムギとミーズの方を向いてしまう。だが二人はにこにこと笑顔を浮かべてこちらを見ているだけだ。
「いや、ヨーヘイ殿の御力添えがなければ、精霊さまたちも力を取り戻すことはかなわなかっただろう」
そこで、なにか苦しげな表情で、グエル村長がテーブルの上に何かを置いた。
「わし等も、力強き精霊使いには、相応の喜捨が必要なことは重々承知。お礼をしたいのは山々だが、この村はご覧の通り、豊かではない。対価として、支払えるのは、これが精いっぱいなのだ……」
「?」
流れ的に、精霊の力を取り戻して、村を救ったことに対する報酬なのだろう。興味本位に中をのぞくと、数枚の銀貨らしき硬貨が入っていた。
……貨幣価値がわからないんで、多いのか少ないのか、まったくピンとこないな。
そもそも、報酬として金銭なんてもらっても、困る。村に、商店とかあったか……?
と、そこで一つ思い出したことがあった。そもそも、村を助けようとしたのは、あくまで下心があってのことだ。
「……えーと、グエル村長。その、お礼ってことなら、お金とかは別にいいんで、一つ、頼みがあるんですが」
「なにかな、ヨウヘイ殿」
「俺を、この村に住ませてくれませんか?」
「……この村に?」
「ええと、実はですね、俺、記憶がないんです……」
俺は咄嗟にでっち上げた話を披露する。自分が最初に目覚めたとき、森の近くの草原に行き倒れていて、名前以外に思い出せることが何もない。行く当てもなく、このままではどうしていいかも分からない、そんなことを説明した。
「にわかには信じられんが……」
訝し気な視線を向ける村長に、不安で可哀そうな情けない顔を作って訴えかける。
「お願いします、このままでは露頭に迷って野垂れ死にかもしれないんです!」
さすがに、いくら事実だとしても“異世界からやって来ました”なんて話は受け入れてもらえまい。記憶喪失あたりなら、ぎりぎり受け入れ可能なラインではなかろうか。
まずこの世界における衣食住を最低限確保したい。そのためには、ここは押し通すしかない……!
「……おじいちゃん、ヨーヘイお兄さんのお話は本当だと思う。精霊が見えるのに、精霊のこと全く知らないみたいだったし。村を助けてくれたのだから、今度は私たちがヨーヘイお兄さんを助けるべきだわ」
難しい顔をして試案しているグエル村長に、エレナから援護射撃。
「……ううむ、村民が増えるとなると、領主様へ申し出て、村の籍に入れんといかんからなぁ……」
ああ、この世界にも、戸籍的なものはちゃんとあるんだ。まあ、人口に応じて税は取らねばならないし、おそらく徴兵もするのだろうから、当然か。
「領主様へのお願いなら、今度カラン様が来られた際に、領主様にお話ししてもらえるよう、私からもお願いするから!」
エレナのさらなるお願いに、とうとう村長が折れた。
「……うーむ、まあ、精霊使いが村に滞在するとなれば、領主様とてお喜びになるだろうから、大丈夫か……わかった。ヨーヘイ殿、おぬしをわが村に迎え入れよう」
「あ、ありがとうございます!」
よし、これで、しばらくは衣食住に困らないぜ!
……などという甘い話ではなかった。いつの世も、働かざるもの食うべからず。
グエル村長から『とりあえず、何ができるか確かめてみるか』の一言と共に、俺は外に連れ出された。
「村で暮らしてくにゃ、まず野良仕事ぐらいできんとやっていけん。どの程度腕っぷしがあるか、見せてくれ」
何も植えられてないた畑まで来た。幾人かの村人は物珍しさからか、遠巻きに眺めている中、鍬を手渡された。
「?」
「なあに、鍬を振ってみてくれ。それで判断する」
「え?」
俺、農業なんてやったことないんですけど!? とはいえ、どうしようもない。いわれるがままその場で鍬を振った。鍬は思いのほかに重く、先端がぼすんと落ちて、土の表面をわずかにひっかく。
「駄目ですよ、ヨーヘイお兄さん」
エレナが俺の手から鍬をとり、見本を見せてくれた。
「鍬は、重さにまかせて腕を振るんじゃなくて、しっかり腰を入れて、こう!」
エレナの振るった鍬の先が、しっかりと地面に突き刺さる。
ぐぬぬ……この歴然たる経験と体力の差……
『ヨーヘイ、かっこわるーい』
『もっとしっかりー』
『がんばれー』
『やれやれー』
クロマルの煽りとクーフームートリオの応援が、胸に痛い。
「うむ、記憶はなくとも、経験やそれまで過ごしてきた生き方は体に染みついて離れるものではなかろう。ヨーヘイ殿は、農業経験は無いのだろうなぁ。この村の生活は、苦しいかもしれんな」
おっしゃる通りです。気が重い。
……まて、地面を耕すのに、体を動かす以外にも手段がある。元の世界だったら、耕運機なんてものがあった。そして、今の俺には精霊がいる。
(なあ、ムギ、君の力で耕すことはできないか?)
そっと心の中でムギに話かける。
『ええと、“耕す”ですか……すいません、私も鍬を振るったことがないので、どうしていいものか……』
思案顔のムギ。うーん、俺のイメージをダイレクトに伝えられたらいいのに。もどかしい。
『……ああ、なるほど、分かりました。やってみます』
え? わかった?
『はい、契約をしていますから、ヨウヘイ様の考えは自然と伝わってまいります。それでは、行きます!』
ムギがその手を前に出す。
地面の下で何かが動くように揺らめくと、土が人の姿をして立ち上がった。
「きゃっ!?」
「なんと!?」
驚くエレナ達の前で、土できた人型は、立ち上がるとすぐに解けて土に戻り、そしてまた隣で立ち上がっていく。その繰り返しで、固く強張った地面は瞬く間に柔らかな土へと変わっていく。
うむ、これぞ精霊式自動耕運! あっというまに、見える範囲の畑の耕作が終了してしまった。
「……こ、これは精霊様の御力か?」
「ええ、土の精霊に頼んでみました。これなら、俺でも野良仕事できると思いますよ」
(ありがとうな、ムギ)
そう思いながらちらりと見ると、ムギはなんともふにゃっとした笑みをこちらに向けてきた。
次に連れてこられたのは、村のはずれの空き地だ。端っこに、標的を描かれた木の板が立てられている。
「次は、弓だ。森での猟や自衛、使えるといろいろと便利だ。やってみなさい」
グエル村長から弓と矢を渡される。元の世界で、弓道やアーチェリーの経験はない。これも無理そうだが……
まずは自分の力だけでやってみる。矢を弦につがえて引いてみる……が、引けない。重いな!?
「ふむ、やはり無理そうだな」
でしょうね。だが、矢を飛ばすだけなら、手はある。
矢だけを右の掌に置いて、クーたちに呼びかける。
(クー、フー、ムー、この矢を風で飛ばして、木の板の標的に当ててくれ)
『『『いいよー!』』』
3体の返答がかえって来た瞬間、俺の掌から矢は飛び立ち、たん、と小気味良い音を立てて標的に突き刺さった。
「よし!」
今度も思い通りにできた。イメージ通りに標的のど真ん中に命中、しかも精霊への呼びかけは声に出さず、心の中で呼びかけただけ。これは、いろいろと便利なんじゃなかろうか?
「……いやはや、たまげた。精霊使い様には、弓すら必要ないとは」
「すごいです、ヨーヘイお兄さん!」
脱帽といった表情のグエル村長と拍手しているエレナ。見学していた村人たちも、どよめいている。
「思っていたのとは違うが、その力があれば、いろいろと頼める仕事もあるだろう。ヨーヘイ殿、これからよろしく頼む」
「はい! よろしくお願いします!」
俺は、グエル村長と握手した。ごつごつとした、固い手だ。
そして、シュナの村人としての俺の生活が始まった。