第4話
“目覚めると、すべては夢だった”
そんなオチがあってもおかしくない。正直そう思ってた。でも、現実はそんなに甘くなかった。
いや、いきなり異世界らしきところに飛ばされて、精霊を見たり喋ったりするのが本当に現実なのかわからないんだけども。
とにかく、目覚めたらすでに朝になっていて、見知らぬ固いベッドの上にいた。寝具は薄く、若干体の節々が痛い気がする。
立ち上がり、軽く体を伸ばす。胸骨付近が若干痛い気がするが、折れてるわけではないだろう、多分。
俺のがさこそ動く気配を察したのだろうか、ドアが開くとエレナがやってきた。
「目を覚ましたんですね、ヨーヘイお兄さん! 大丈夫ですか、痛いところはありませんか!」
無事を確かめるぺたぺたと俺の体を触りまくるエレナ、うーん、ちょっと距離近くない? 年頃の女の子が見知らぬ男に近いのはいかがなものかと。
「だ、大丈夫。心配してくれてありがとう」
ようやく大丈夫と確信したのか、エレナは俺から一歩離れると、大きなため息をついた。
「はあ……井戸を戻してくれたヨーヘイお兄さんを、絞め殺しかけるなんて、おじいちゃんったら、もう!」
「……悪かったよう……許しておくれよ、エレナぁ……」
見ると、開けっ放しのドアの向こうから、グエル村長が顔だけ出してこちらを伺っていた。めちゃくちゃ眉が八の字になって悲しそうな表情だ。ちょっとかわいそう。
けれどエレナは動じた様子もなく、ドアの向こう側のグエル村長に畳みかける。
「おじいちゃん! 今回だけじゃないでしょ! そのバカ力で、今までどれだけ村のみんなに迷惑かけたと思ってるんです!」
「ごめんよう……悪かったよう……」
すごい剣幕に小さくなるグエル村長。そうかー、エレナってこういうタイプの子だったかー。
俺の生温かい視線に気づいたのか、エレナは少し恥ずかしそうな様子で言った。
「……あ、えーと、き、着替え、ここに置いておきますから! 着替えたら、一緒に朝ごはん食べましょう! それでは!」
バタン、とドアが閉まった。
さて、ベットの上に置かれた着替えに手を出す前に……
「なあ、水の精霊」
『どうした、ヨーヘイ』
目覚めたときからずっと、俺の頭の上あたりをふよふよ漂っていた水の精霊が答えた。ちなみに、風の精霊たちも部屋中を漂っている。
「えーと……まずは井戸を直してくれてありがとうな」
『感謝するのはこちらだ。お前の血の力で、以前に近い力を取り戻せたのだから』
昨日の一件で、子供のような姿に変わり、受け答えもやはりしっかりしている。
いくつか聞きたいことはあるが、まずは……
「なあ、力を取り戻せたって言ってるけど、なんで力をなくしてしまったんだ?」
『私の……私たちの大元である水源は、山にある。山を下り、森を通り、地下を伝わり、この村までやってきている。だが、その大元の山で、3年前から何かが起きている。その影響で、地下を伝わる水の勢いが弱まり、そしてとうとう止まってしまったのだ』
「“何か”って…何?」
水の精霊は悲しそうに首を振る。
『分からない、何か強力な力だ。私たちよりも強力“何か”としか、わからない』
「じゃあ、その“何か”を排除しないと、また井戸が枯れてしまうのか?」
『おそらくは。ヨーヘイのおかげで力を取り戻し、地下の水をくみ上げることが出来ているが、いずれ力を失えば、また同じように井戸は枯れるだろう』
「……ひょっとして、村の作物の収穫が落ちているのも、その“何か”の影響?」
『作物のことは、私にはわからない。畑にいる土の精霊に聞いてみるといい』
ふむ。
とすると、井戸を根本的に復帰するには、大元の原因である山の“何か”をどうにかしないといけないってことか。
うーん、なんか不穏な予感がするな。
『ヨーヘイ、私からも聞きたいことがある』
「何?」
水の精霊は真面目な顔でこちらを見ている。
『ヨーヘイは、何者だ? 精霊なのか?』
「いや人間なんだけど……えーと、どうも別の世界から来たみたいで、その時に創造神って神様から、なにか力をもらったみたいなんだ」
『創造神!?』
水の精霊が露骨に驚く。そしてさっきなで呑気に漂っていた風の精霊たちもにわかに騒ぎ出す。
『そーぞーしん!』
『すごい! みんなのかみさま!』
『かみさま!』
「ちょ、ちょっと待って、みんな、創造神のこと知ってるのか?」
水の精霊がこくりとうなずく。
『創造神は、この世界と、その理をお創りになられたお方。天地自然に宿るすべての精霊は、創造神の子なのだ』
なるほど、あのニコニコマークこと創造神は、この世界の精霊たちにはめちゃくちゃ信奉されてるようだ。
『ヨーヘイは、創造神から御力を賜っていたのか。道理で』
『かみさますごーい! だから、ヨーヘイも、すごーい!』
うんうんと頷きあう水と風の精霊たち。
精霊たちとの会話を終え、用意された服に着替えると、俺は部屋を出た。
部屋を出るとすぐに大きな食卓のある居間で、そこにエレナとジル、それに村長が席についていた。
エレナが用意してくれた朝ごはんは、雑穀の入ったおかゆのようなスープだった。正直味は薄かったが、すきっ腹にはありがたい。数年前から、収穫が減っているといっていたし、食べられるだけマシなんだろう。
しかし、あの創造神のいうとおり、この世界の文化レベルはそんなに高くなさそうだ。味が薄いのも、調味料の類が少ないってことだろうし。借りたトイレは見事にくみ取り式で、いきなり元の世界の文化的生活が恋しくなる。
とはいえ、元の世界に帰る手段があるのか分からないし以上、ここでの生活に慣れるしかない。とりあえず、『できることを探して、できることから手をつける』だ。
ご馳走様と手を合わせると、俺はグエル村長に頼んで、畑への向かうことにした。
俺が寝ていた家を出て、畑へと向かう途中、グエル村長から話を聞く。
「収穫が落ちたのは、ちょうど3年前の秋頃だな。その年の春から、どうも土の具合が悪いという話があってな」
3年前……水の精霊の話と一致する。
「土の具合が悪いって、どういうことです?」
「ああ。長年麦を育てていると、良い土は、握ればわかる。湿り気や温かさ、きめ細かさなんかでな……あの年は、雪解け間もないのに、土が変に乾いていて、冷たく砂みたいにざらざらとしていた。収穫も例年の半分ほどだった。それ以来ずっと、そんな状況が続いている。今年も凶作が続けば、村での生活が立ち行かなくなる」
思ったより、深刻な事態のようだ。俺が寝ていた村長の家も、とても裕福とは言えない様子だったし。作物の収穫量は、彼らの生活に直結する死活問題なのだろう。
「ここが畑だ。村の全員で共有して、管理しておる」
広い畑だった。そこで多くの村人たちが、しゃがみこんで何やら作業をしている。
「普段なら、この時期は雑草取りで忙しいんだが……御覧のあり様だ」
見れば、畝に生えている緑色の草……麦だろうか? それが、力なくしょぼしょぼ生えているばかりで、それ以外の草花はない。
「作物どころか、雑草さえ生えてないってことですか?」
苦々し気に村長はうなずく。
「ああ。そのとおりだ」
こりゃ、大問題だ。
井戸の時のように村人たちには遠目で見守ってもらい、俺一人が畑の中心に立つ。
ふう、と一つ深呼吸。そしてしゃがむと、手のひらを土につけた。
「なあ、土の精霊、聞こえるか。聞こえるなら答えてくれ」
……反応がない。ど、どうしよう、このパターンは初めてだ。
「え、ええと……そうだ、水の精霊! 土の精霊がいるかわかるか?」
俺のそばでずっと浮かんでいる水の精霊に尋ねる。
『土の精霊か…おそらくいるのだろうが、お前の声に答えることさえできないほど、力が弱まっているのだろう』
となると、井戸の時と同じことを試してみるしかないか。
家を出る前にエレナから再度借り受けた針を取り出し、左の人差し指を刺す。
「俺の血をやる。だから、土の精霊よ答えてくれ。そして、この畑をもう一度よみがえらせてくれ」
ちょっと深く刺し過ぎたか、膨れ上がった血の玉がはじけて滴り落ちる。一滴、二滴……ぽたぽたと5滴ほどが落ちて土に染みを作る。
しかし反応はない。
血が、土の精霊に届いていないのか、それとも量が足りないのか。
平和な空気の中、背中に刺さる村人たちの視線が痛い。いたたまれない。
こうなれば、もうちょっと血を垂らすしかないか、と覚悟を決めようとしたとき、それは起きた。
畑全体が淡く発光し始める。村人たちもどよめいているので、みんなにも見えているようだ。
力なくしおれていた畝の麦が、ゆっくり立ち上がっていく。それどころか、何も生えていなかった場所からも、次々に芽が出てくる。
「こりゃいったい……!?」
俺の目の前、光とともに地面からゆらりと影が立ち合がってくる。
「土の精霊……?」
半透明なのは変わらないが、今までの不定形だったり、子供のような姿とは違う、完全な人の姿、それも、美しい女の姿だった。
『……いずこの尊きお方か存じ上げませんが、過分な力を頂戴いたした。心より感謝いたします』
身をかがめ、俺に頭を下げる女。
「えーと、俺は、音羽洋平。あ、あんたは土の精霊か?」
『左様でございます、ヨウヘイ様。私は、この畑の土に宿るもの。長き時を、この村と畑と共に過ごしておりましたが、異変により、力を奪われておりました。しかし今、あなた様の御力を賜り、往古に勝る力を得ることができました』
力って、やっぱりさっきの血のことだよな。5滴でこれか……俺が鼻血出しただけで、かなりやばいことになるのでは?
『ヨウヘイ様のご要望通り、この畑の力を、取り戻しました。私の力が満ちていますので、麦の穂は以前のように、重く実ることでしょう。それに、蒔かれて芽吹かなかった麦の種も、力の余波で、新たな若葉を生やすことができました。麦の精霊たちも、力を得て喜んでおります』
見れば、生えた麦の若葉のあたりにちいさな緑色の光が舞っている。虫じゃなくて精霊なのか、あれ。
「おお! 麦が、生えてきた!」
「奇跡だ! 精霊使い様の御力だ!」
後ろで歓喜する村人たち。跪いて、俺に手を合わせる人までいる。
なんだか大事になってきた気がするなぁ。
「……ところで、土の精霊。あんたが力を失った原因って、わかるか? 水の精霊からは、山で異変が起きた、って聞いたんだけど」
土の精霊は、それまで温和だった表情を強張らせながら、こう言った。
『はい、山で異変の起きたことは、私も察しております。仔細は承知しかねますが、おそらくは“精霊喰い”が住み着いたのでしょう』
「……精霊喰い?」
なんとも、剣呑な単語が出てきたな……