第3話
少女は、エレナと名乗った。隣にいた小さい子はジル。エレナの妹らしい。
彼女たちが住んでいるのがシュナという村で、ここ数年畑の作物の収穫が落ちてきており、それに加えて、先月に村の井戸も枯れてしまったのだとか。
日々、離れた場所にある川までの水汲みには村のみなが苦労しているし、減った収穫を補うため、森に入って薬草摘みで補っているのらしい。
「ヨーヘイお兄さんから、精霊にお頼みいただき、何とかしてはいただけないでしょうかっ」
うーむ、苦境はわかるが、俺に何とか出来るものなのだろうか。
俺の頭上のあたりでは、先ほどの風の精霊たちがふよふよ回っている。
『わーいわーい、ヘンなニンゲンはヨーヘー』
『ヨーヘーといっしょにいくー』
『ヨーヘーといっしょ、たのしー』
「なあ、お前たちで畑や井戸ってどうにかできるのか?」
『わかんなーい』
『ワタシたち、“かぜ”のことだけー』
『それいがい、しらなーい』
まあ、そりゃそうだ。ファンタジーでも精霊は分業制、担当外の仕事なんかそりゃ知らないわな。
となると、その畑やら井戸やらにいる精霊の話を聞くしかないが、俺に見えるのかどうか。風の精霊たちのように頼みごとを聞いてくれるかもわからない。
だが、それでも。
「うん、何ができるかわからないけど、できる限りのことはやってみるよ、エレナ」
村に恩を売ることができれば、しばらくの間は衣食住を確保できるかもしれない。そして何より、子供相手には良いところを見せたいじゃないか。
エレナは嬉しそうに笑った。
ジルは笑っていなかった。というより、先ほどからずっと無言で反応が薄い。つむじ風の時にも声一つ上げてなかった気がするし、なんだろう、何かの障害がある子なのだろうか?
だが、その視線が時折風の精霊たちの方を捉えているようだった。ひょっとして、この子にも、精霊が見えているのかも。
シュナ村にたどり着いたころには、真上にあった太陽が大分西に傾いてきた。体感だが、午後2時くらいか? 時間間隔は元の世界と同じような気がする。
村には10軒ほど木製の家が建っていた。馬小屋のある家もあるが、どの馬もやせている。あまり裕福には見えない。
村に入るとすぐに、一人の老人がこちらに近づいてきた。
「エレナ、その変な服を着た男は誰だ?」
「おじいちゃん!」
明らかに不審者を見る警戒感バリバリの視線を向けてくるエレナのおじいちゃん。まあ無理もない。まあ、誰だって、孫がいきなり変な男を連れてきたら警戒するだろう。
「こちら、ヨーヘイさんです。精霊を見て、精霊と話すことができるそうなんです。それで、井戸と、畑のことを話したら、見てくれるって!」
「なんと、本当か!?」
警戒から一転、めちゃくちゃ期待のこもった視線を向けられてしまった。
「ええと、まあ、できる範囲でやってみます……」
プレッシャーかけるのはやめてほしいが、今後の生活がかかっているのも事実だ。
頼む、井戸の精霊、ちゃんと応じてくれよ!
エレナのおじいちゃん、グエルさんはこのシュナ村の村長だった。
「おおい、みんなー! 精霊使いさんが来てくださったぞぉ! 井戸と畑を見てくれるそうだぁ!」
で、村長がそんなことを村中に言って回ったもんだから、ほとんどの村人が村の中心にある井戸へ集まってきた。
村人たちの不審半分期待半分といった視線がめちゃくちゃ痛い。
これ、失敗したら袋叩きにされるのでは……精霊使いとかじゃないって、説明したらわかってくれるかなぁ……
ちょっと怖い想像で背筋を寒くしながら、俺は井戸への向き合う。
井戸は石を積み重ねて作られていて、屋根から滑車がぶら下がっている。覗き込むと、底の方に多少水が溜まっているが、くみ取れるほどの量はない。なるほど、これが枯れているという状況か。
「ヨーヘイ殿、どうだろうか!?」
「何とかしていただけないか、村人みんな困っておるんよ!」
「頼んます、何とかしてくだせぇ!」
グエル村長以下、村人が縋り付くように俺を取り囲む。おおう、村長さんのひげ面が、近い近い。俺の困惑を察したのか、エレナがぴしゃりと皆に言い放った。
「みんな、ヨーヘイさんが困っています! 少し離れて、ヨーヘイさんにお任せしましょう!」
ふんす、と力の入ったエレナの言葉に、みながうなずき遠巻きに見守る形に下がっていく。いや、助かるー。こちらに笑顔を向けてくれるエレナに感謝しつつ。もう一度井戸を覗き込む。
どうしたらいいのか分からない。だが、
「おおい、この井戸の精霊……もしくは水の精霊って、いるかー? 出てきてくれー」
『……いるぞ』
底の水面が一瞬波立つと、そこから球状のものがふわりと舞い上がってきた。昔テレビで見たことのある、無重力下に落とした水滴みたいな姿だ。ふわふわした風の精霊とは違うが、やはり半透明で向こう側の景色が見える。液体のように見えるが、実体はないのだろう。
ごくりと生唾を飲み込み、俺は井戸だか水だかの精霊に話かける。
「えーと……あなた、はこの井戸の精霊なのか?」
『ワタシは、ニンゲンたちが“みず”とよぶものだ』
なるほど、水の精霊ってことか。
「なあ、井戸が枯れて、村人が困ってるんだ。以前みたいに、井戸の水を出してやってくれないか?」
しかしふるふると精霊が揺れる。多分、否定で首を振る仕草なんだろう
『……そうしたいが、だめだ。ワタシのちからがよわまってる』
おっと、いきなり詰まった。精霊も弱体化するのか。で、その弱体化が原因で井戸が枯れたと見える。
「じゃあ、どうしたら力を取り戻せる? 俺や、村の人達に何かできることはないか?」
『……』
しばらく精霊は押し黙っていたかと思ったら、俺の周囲をくるくると回ったあとでこう言った。
『……いってきでいい、おまえの“ち”をくれ。』
ち?
「血? 血液ってことか?」
『そうだ、おまえはただのニンゲンではないだろう? おまえのちにはつよいちからがあるようだ』
血と来たか。まあ、一滴程度なら……
後ろを振り返り、エレナに声をかける。
「エレナー、なあ針とかないかな? 縫い針とかでいいんだ、あればここに持ってきて欲しいんだ」
「え、縫い針…ですか? ええと……」
エレナが困惑したような声を上げると、手近にいたご婦人方が次々に手を挙げる。
「それならあたしん家から持ってきてあげるよ」
「うちからも持ってくるよ!」
「じゃあ、あたしも!」
「いやいや、一本、一本でいいんで!」
針山でも作りそうな勢いだったので、思わず釘を刺してしまった……ふむ、針なのに釘とはこれいかに。
ほどなくして、エレナが届けてくれた針で、左手の人差し指をつく。気持ち強めに刺したので、直ぐに血の玉が膨れ上がった。その指を精霊に向ける。
「これでいいか?」
『ああ、その“ち”を“いど”におとしてくれ』
衛生上問題ありそうだけど、まあ一滴程度なら大丈夫かなー。そう思いながら、ぽたりと血を落とした。水面に落ちた音とかは聞こえない。うまく水面に落ちただろうか。
精霊に確認しようと目を向けた瞬間、変化が起きた。
『おおう! ちからが、力がみなぎる!』
球体の表面が激しく波打ち、飛沫を上げる。なんか嫌な予感がして一歩下がった瞬間、今度は井戸から間欠泉のように、水が吹きあがった。爆発的な勢いで、井戸の上に敷かれた屋根を吹き飛ばし、雨のように井戸水が降り注ぐ。
「冷たッ! ちょ、ちょっとまって抑えて、抑えて!」
『む、すまない。少し抑えよう』
精霊がそう言うと、吹き上がった水は収まっていく。見れば、井戸の縁に達するくらいまで水が溢れている。これは、大成功なのでは!?
「ありがとう、水の精霊!」
『いや、感謝するのはこちらの方だ。お前の力で、私も力を取り戻せたのだ』
「……ん? なんか、変わったか?」
水の精霊、さっきまではつたない感じだったしゃべり方が、大分しっかりしてる。何より、球体のような姿が、今は小さな子供のような、人に近い姿に変わっている。
『昔の姿に近づいたようだな。改めて礼を言いたい、名前を教えてくれぬか、人間よ』
「……洋平。音羽洋平だ」
『ヨーヘイ……うん、不思議な響きだが悪くない』
「ええと、水の精霊……君に名前はあるか?」
『名前? 水の精霊と人間は呼ぶが……特別の名前はない。まだ……』
「そうか……」
固有名詞としての名前がないのは不便だな。何か考えたほうがいいかも……
そんなことを考えていると、いきなり後ろから羽交い絞めにされた。
「ぐぇ!?」
「ヨーヘイ殿―!」
グエル村長に後ろから抱きしめられていた。いや、これ抱きしめるっていうかベアハッグじゃない? 痛い痛い痛い!
「ありがとう、ありがとう! ヨーヘイ殿、村の救い主だぁ!」
村人たちは、井戸周りにの集まって大騒ぎをしている。水の心配がなくなったのだ、そりゃうれしいだろう。
だが、いくらなんでも爺さんの感謝の頬ずりは、髭が当たって若干キモい。いやそれより締め付けられた胴体、あばらがヤバい。だんだん呼吸ができなくて苦しくなってきた。視界が狭くなり、意識がだんだん遠のいていく。
そういえば、小学生のころに胸部を圧迫して気絶させる失神ゲーム流行って、教師から思いっきり怒られたっけかなぁ。
そんなガキの頃を思い返しつつ、俺は失神した。