第23話
気を取り直して、生活水準向上チャレンジ第2弾は、食生活改善……といきたいが、これがなかなかハードルが高かった。
このあたりの食材というと、小麦を筆頭に、キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、にんにくなども栽培していて、森に入れば、薬草としてハーブの類がある。肉なら、森で猪や鹿を仕留めたときに食べられる。なお、村で牛を飼っているが、農耕目的で、食用じゃない。鶏もいるが、卵を産んでくれる間は食べたりしない。近くの川には、ヤマメのような川魚がいて、秋になると村中総出で釣りをして、冬の間の保存食を作るようだ。
そうした食材はあるのだが、致命的なことが一つ。
調味料が殆ど無いのだ。
塩も、砂糖も、もちろん醤油もソースもない。いや、塩はあるのだが、高価なので自由には使えない。というわけで、日々、塩気のない素材そのままの味のスープや、焼き魚を食べることになる。
「塩が欲しいなら、行商人に頼むしかあるまい」
塩について、グエル村長に聞くと、そんな回答がかえってきた。
「年に数回、行商人が、森でとった薬草や鹿の皮などを買い付けにやってくる。その折に、ここいら辺りではとれぬ薬草や、細工物などを売ってもらっておるのだ。塩も、手持ちがあれば売ってくれるだろう。いつもなら、夏の始めにやって来るから、今年もそろそろではないかの」
ふむ、領主からの謝礼の使い道に困っていたから、塩を買うのも良いかもしれない。塩以外にも、調味料の類が手に入るかも。
そんなこんなで行商人の来訪を待ちつつ、精霊の力を使っての畑の拡張などに勤しんでいると、程なく行商人がやってきた。
「いやぁ、お久しぶりですね、村長さん」
自分の体よりも大きな荷物を背負った眼鏡の女性が、にこやかに笑う。
ぱっと見で、年齢が分からない。年上のようにも思えるが、肌つやも良いし、笑顔は少女のようだ。
「しばらく世話になる」
女性の横で、男性が村長と握手を交わしている。こちらは明らかに俺より年上だ。30代後半くらいだろうか? 短く刈り込んだ髪に、浅黒い肌と無精ひげ。そして、背負った荷物のほかに、胴には皮の鎧をつけて、槍を担いでいる。護衛役だろうか?
「うむ、二人とも、ようこそおいでなすった」
この二人が行商人の、ベルとアダンの兄妹だった。
「お茶をどうぞ」
「やあ、これは申し訳ないエレナさん」
村の集会場で、お茶を飲みながら、村長たちと行商人兄妹との商談が始まった。
村からは、森で採集した薬草や、ハンスたちが狩った鹿の皮などを広げて見せる。その量に、ベルは少し驚いた表情を見せた。
「今年は豊作のようですな。実に喜ばしい」
そして、村長とベルとの間で、価格交渉が始まった。
「薬草類は、質もよさそうですね。まとめて、銀貨15枚ではどうでしょう?」
「いや、25は欲しい。ベルン草の束も入っておる」
このあたりの価値観が、正直分からないので、横で聞いているしかない。
そして、個々の品に関する交渉が一通り終わり、ようやく息をついた。
「……それでは、このあたりで手を打ちましょうか。良い買い物ができましたよ」
「こちらこそ、だ」
ベルとグエルがテーブル越しに手を握った。
「……ところで、先ほどから気になっていたのですが、見慣れない方がおられますね。こちらに越してこられた方ですか?」
ベルが俺の方を見る。横で控えていた、アダンも俺の方に視線を向けてくる。
「ああ。こちらは、ヨウヘイ殿と申される精霊使いの方で、縁あって村に逗留されておるのだ」
「あ、えーと、音羽洋平です。よろしくお願いします」
村長から紹介されて、頭を下げる。
「ほう、精霊使いの方でしたか。ベルと申します」
ベルは、胸に手を当てて、一礼してくる。アダンも、
「あのですね、ベルさん。こういったものは、手に入りますか?」
俺は、いくつかの品について、話をしてみた。
一つ目は、当初の目的である、塩だ。
「岩塩ならば、手に入りますよ。言っていただければ、後日お持ちします。ただ、塩は王家指定商会の専売ですので、仲介料をいただくことになりますが」
「なるほど……ちなみに、金貨1枚だと、仲介料込で、どのくらいの量が手に入りますか?」
「金貨、ですか。貨幣の質にもよりますが、クラウア貨かアブリル貨ならば、3リブラは手に入りますかと」
クラウラとかアブリルはよくわからないが、リブラは……たしか、重量の単位だ。3リブラだと、1kgくらいだったか? 高いのか。安いのかは分からないが、今はそういうものだと思っておこう。
そして、俺が提示した二つ目の商品は、砂糖だ。
「砂糖……舶来品ですね。正直、私どもでは取り扱ったことがございませんので、何とも。ただ、購うためには、同じ重量の金が必要とも言いますな」
ううむ、やはり貴重品なんだな。
俺が貰った金貨って、多分1枚あたり5g程度しかない気がする。手持ちの金貨を全部使っても、最大で25g……大匙2杯にも満たないとは。
まあ気を取り直して、もう一品、手に入るか知りたいものがある。それは……
「セメント?」
ベルにはピンときていないようなので、なけなしの語彙で説明を図る。
「ええと、砂のような粉末なんですけど、水を混ぜると泥のようになり、乾くと固く固まる接着剤のようなもので、建築なんかに使われていて……」
「……ああ! 膠灰のことですかね。建築ギルドで、取り扱ってると思いますが、売ってくれるのかなぁアレ……」
なるほど、“こうかい”と言うものなのか。それにギルドとは……ファンタジーだなぁ。
「ところで、なんでそんなものを欲しがるんです?」
怪訝そうなベルに、俺は素直に答える。
「ええと、風呂を作りたくて」
「……風呂?」
「はい」
実は、あの後何度か、風呂桶づくりを試してみたのだ。
さすがに木樽では限界があったので、今度はムギの力を使って、石を積み重ねた岩風呂を作ってみた。ただ、いくら形を作っても、どうしても岩と岩の隙間から、水が漏れてしまう。なので、隙間の目地止めになるものが欲しくなったのだ。
「モルタルがあればできるかなぁ、と。できるだけ、でかいのを作りたいんですよ」
理想を言えば、大浴場クラスのやつ。村民みんな入れるくらいの、公衆浴場とか、作りたいなぁ。
「え、この村で?」
一瞬きょとんとした顔を見せた後、ベルは爆笑した。
「あはははは! いやはや、面白いこと考えますね! そういうの、好きですよ」
ひとしきり笑ったあと、笑顔のまま手を差し出してきた。
「ヨウヘイさん、膠灰の件は、調べてみましょう。仔細が分かりましたら、またご連絡差し上げます」
「それでは、塩とモルタルの件、よろしくお願いします」
そう言って、俺はベルと握手をした。
その時、耳元でクロマルが囁いてきた。
『ヨーヘイ、気を付けて。その女の懐から、災難の気配がする』
「!?」
思わず握手の手に力がこもってしまう。
「……? どうかされましたか?」
「い、いえ……」
何でもないととりつくろいながら、心の中でクロマルに話しかける。
(災難って、なんだよ?)
『知らないわよ、そんなこと。ただ、この女の懐にある何かが、災難へ繋がってるみたい。それも、かなり、危険な気配ね』
商談を終え、再びお茶に手を付けながら、エレナと世間話に勤しんでいるベル。上着の内側に何かあるのだろうか? 外からだとよくわからないが、そんな大きなものではなさそうだ。
いや、ベルの上半身に関して言えば、盛り上がった豊満な胸と、服から除く谷間にどうにもこうにも視線が誘導されてしまい、正直それどころでは……
『何をご覧になっておられるのですか、ヨ ウ ヘ イ さ ま?』
血の底から響くような、ムギの低い声音が耳元に届いたので、慌てて雑念を振り払う。
な、なんでもない、なんでもないですよー?
俺もお茶を口にしつつ、心の中だけで精霊たちと会話する。
(なあ、クロマル、何かかが災難と繋がってるって言ったけど、繋がってる先は、どこなんだ?)
『んーと、村の外……森のはずれの方かな』
災難の源、何か脅威がそちらに潜んでいる可能性があるのか。
(ムギ、森のはずれに、何かいるのか、わかるか?)
『大分離れていますので、うっすらとしか感じられませんが、多くの人の気配が感じられます』
人の集団……直接確認するのが早いか。
(フー、ちょっと村の外れまで飛んでいって、人が集まっている様子を見てきてくれ)
『分かった、いってきまーす!』
ふわり、と室内に風が流れて、フーの姿が消えた。
俺は、トイレを理由に集会場を出て、自室に戻る。そして、ベッドに腰を掛け、目を閉じて、精神を集中していく。
フーとの繋がりを意識していくと、次第にフーが見ているもの、聞いているものが俺にも感じられてくる。契約した精霊の、視覚と聴覚の共有。これは、ルイの精霊使い講座で習った技術だ。
俺自身が、フーと一体の風となって、村の中を駆け抜けていく感触。前の世界で言えば、俺自身がドローンになったみたいだ。
視界は、瞬く間に村を離れて、畑や荒れ野を飛び越えて、森の方へと近づいていく。
そして、森の際、村からは十分に離れて見通せない位置に、野営する人影が見えた。




