第一章
【行かないで、行かないで貴方!】
【どうして、なんで私じゃないの?】
【なんで?この子は貴方の子なのに?この子が居たから?】
【似てる……あの男に】
【愛しい私の子、貴方は私を裏切らないで】
【どうしてズボンなんて履いてるの!?女の子なんだからお淑やかな恰好をして!今すぐ脱ぎなさい!】
【あの男に!なんで私がこんな目に!】
【私には貴方だけ……】
【いや……いやいやいやいやいや……お母さん、その服嫌いだわ】
【可愛くて、何でも聞いてくれる貴方だけ……】
【貴方の目、あの男に似てるのね】
【翔子】
【何を言うの?貴方は翔子よ。翔太なんて知らないわ】
【貴方も私の事裏切るの?】
【愛シテル。愛シテル。愛シテル。愛シテル。愛シテル。愛シテル。愛シテル】
約18年。女は息子を娘として育てた。本当の名前を呼ばず、スカートとワンピースだけの着用しか許さず。時には男性器に危害を加えた。
妄執と幻覚の中の狭間で生きる母に限界を迎えた息子の出ていくという言葉にソレは堪えられなかったのだ。真っ赤に染まった部屋と陰部をズタズタに切り取られた死体は悲惨だった。光のない瞳が手首を映す。
【あぁ……、何処までも地獄しか無いんだわ……】
ピクリ、と指の筋肉が動いたのを確認する。
全身の筋肉を硬直させる様に力を籠めた。
そんな事は、……疾うの昔に……知っとるわ!!!
首を動かして力任せに思い切り頭を振るった。鈍い音と呻き声が響く。
目の前から飛び掛かってきたので其処にいると思ったが、予想通り手応えがあった。アドレナリンのお陰で軽減されたが、衝撃のあった額から鼻筋にかけて痛みが走る。ついでに後頭部と首元も。こりゃ締められかけてたな。喉元を抑えると、コヒュと嫌な音が出た。
名前が知られてしまったので後日仕切り直そうとも不利だ。元々の力はこちらが上なのだ、此処で絶対に押し勝つ。
遠くからパトカーの音も聞こえたので、近所に通報されたかもしれない。くそが。ぐるぐる回る思考が定まらない。
久々に二日酔い以外の痛みを感じる米神をグシャリと掻き上げ笑みを浮かべ、虚勢を張った。
「お前の名前は?」
正直、雪崩れ込んできた彼方さんの記憶が膨大で自分の中に別の人間が存在するような、気持ちの悪い感覚に余裕はない。なんなら眩暈がする。
素早く立ち上がると、今度は此方から影の眼前に顔を近付け、眉間に力を入れて思い切り睨む。またドロリと影が溶けた。
『お……ら……きょうこ……』
怯んだ影は生前の名前を口にするればドロリとまた輪郭が溶け、大まかな人間の原型が見えてきた。人外の名前もまた、命も同然。この世の常識外の駆け引きでやっと対等になれたようだ。いや、真名を知れたので分は此方にあり。
「きょうこ、それがお前の名前」