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脱毛SF小説家  作者: 瓦屋遊筆
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前編

私の才能は枯渇しました。


かつては国民的なヒット作も生み出しました。

目を閉じれば無限のファンタジーが広がっていました。

そんな小説家でした。


デビュー以来、数えきれない程の繊細な言葉を毎日毎日ひねり出してきました。

いかなる文も何度も何度もひねり倒し、芸術的なうねりのある名文を原稿に踊らせてきました。


ところが今ではもう何の言葉もとんと出て来ません。

言葉も出し尽くし、毛髪も抜け落ちてしまいました。

綺麗な言葉も汚い言葉も、いかなる言葉も持ち合わせてはいないのです。


ペン回しは今でも得意です。

あの時のように自由に軽やかに爽やかに空中を踊ります。

でも、不思議な事に、原稿の上ではピタリと動きを止め、セミの脱け殻のようにその場に居座るのです。


ぴーしーなるものも導入しました。もうワープロとは呼ばないそうです。すぺっくなるものが御大層だとお値段もするそうです。これを使うと原稿を修正するのもあっという間だそうです。

ところが、私のぴーしーは気難しいのか、えでたーをいくらくりっくしても、ですぷれーは青いまんまです。こんなに頑固なぴーしーも、不思議な事に出版社の方が触ると従順になります。私とは馬も鼠も合いません。


色褪せた鈍い光が小さな窓から差し込みます。網戸の向こうからカレーの匂いです。夕方です。

不思議です。机に向かって以来、時間が止まっていた筈なのに、何故夕方になったのか。現代科学でも解き明かせない時間のからくりが存在しているに違いありません。


明日はカフェで編集の方と打ち合わせです。新入社員の方が来るそうです。ぴーしーと馬の合う彼ではないそうです。昔は何故なのか色々妄想しましたが、今では詮索する気も起きません。


もう外は真っ暗です。明日の打ち合わせまでに何かアイデアを用意しておこうとは思いましたが、仕方ありません。

流れる事のない汗を洗い流して、布団に潜ります。

明日が不安です。話す事がありません。

もう思いつくテーマはやり尽くしました。言葉も出尽くしました。モチーフもノンです。いくらカフェで小粋なカプチーノを飲もうとも、お小水になるばかりで、小説にはなりません。


昼間は短いのに、夜は長いです。目を開けていても、いつまでたっても暗いままです。目を閉じても、意識が残ります。意識が残っていても、思考はしっかり停止したまま動きません。眠りにつくまで何度も寝返りをうちます。眠りたくても寝る時間のなかったあの頃の自分に長い夜を分けてあげたいです。


不意に、連続的で単調な犬の鳴き声が床を叩きます。アラーム音です。薄暗い朝です。どうやら数時間は眠れたみたいです。どうせまた寝るのだから、布団をたたむ必要はないでしょう。


かごの頂に居座るいつ洗濯したかも分からないジャージを手に取り、最低限の身だしなみをしたらカフェへ向かいます。最低限の身だしなみなので、最低限でよいのです。でき得る限りの最低の状態で家を出ればよいのです。荷物も必要ありません。どうせ何も思い浮かばず、何も話が進まないまま帰るのですから、何も持つ必要がないのです。


小雨が降り続いているのか、雨粒に見合わない水溜まりができています。傘をさしても、霧雨が頬に張り付きます。今では多少濡れても気にしません。


からんころんからん


またどうせ外資のチェーン店だろうと思っていましたが、古風なお店です。今時は懐かしい風情ある音です。ベルの音が澄みわたるほど閑散としています。

おかげでどの席へ向かえばいいか一目瞭然です。カウンターでうつむいているサラリーマンではありません。上流気取りの低所得主婦でもありません。リクルートスーツ姿で四人席に独りで座る黒髪の女性が例の新人編集者さんに違いありません。


おもむろに近づくと立ち上がり、静かな店内に響きわたらない程度でありながらハキハキした濁りのない清らかな声で挨拶をして下さいました。やはり例の出版社の新人さんです。挨拶を済ませると、真っ直ぐ伸びた黒い髪を乱す事なく自然と席に座ります。私も残り少ない髪をなびかせる事なく座ります。大学を出て日も浅いながら洗練された彼女の立ち居振る舞いを前にすると、いい加減な格好で来た自分が情けなく感じます。でも、よいのです。どうせ今日も無駄な時間を過ごして家に帰るだけなのですから。


この短期間で私の作品を全て読んだのでしょう。簡単な自己紹介を終えると、私の作品についての話題になりました。そして最後に付け加えます。10年ぶりの新作を本誌でと。話題性は十分だと。1割本音の9割上辺でしょう。

こんな私に声をかけるのにはワケがあります。原稿料は、売り上げと人気投票で決めるというのです。つまり、人気がなければ、私に原稿料は殆ど入らないのです。どうせ他誌でも取り扱ってもらえないんだから悪い話じゃないだろうと言わんばかりです。

しかも、掲載確約ではなく、コンペ形式だと言うのです。


確かに他に出す当てもないのですから、出してもよさそうなものですが、いかんせん、もう何も思い浮かびません。何も出てきません。毛が抜けるばかりです。


そうお伝えすると、新人さんは強気に返答します。思い付く必要などないのだと。

この人は何を言っているのか。

新人さんは続けます。正直、ファンタジーなんぞというジャンルに何の魅力も感じないと。異世界?異能?属性?何も共感できないと。全く没入できないと。現実と向き合い、現実を書いてくれと。平凡な日常の中のドラマ、それを特集したいのだと。

私の現実は実につまらないもので、夢も希望も読後感すらないものだともお伝えしました。


「書いてからものを言って下さい。無い頭で考えて済ませないで下さい」


初対面なのに。だいぶ歳上なのに。無いのは髪であって頭ではないのに。彼女は意思と目的に忠実で、飾らず真っ直ぐな人間なのです。そのしなやかで真っ直ぐな刀身で、私の繊細な感情は出血多量です。


かくして、今、私が書いているのがこの小説です。もう他の選択肢は許されていません。鉄の才女を前に逃げ道もありません。次の斬撃を受ければ恐らく即死です。傷癒えぬまま筆を走らすより他ありません。再び対峙するその日までに書き終えねば命はありません。大きな雨粒が窓を絶え間なく叩きます。雑念を捨て早く書き終えねば明日はありません。


何日も経過しました。完成は遠いです。

しかし、もう、書く事がありません。

私に起きたイベントといば、寝て起きて棒のように過ごす毎日と、才女による刃傷だけです。その上、私の砕かれた繊細な感情は破片となり散らばったままです。小説など考える心のゆとりすらないのです。かといって、現実の題材を諦め、ファンタジーなど書こうものなら次の斬撃が襲いかかるのでしょう。


あと3日。猶予は3日。


こうなれば、無理やりにでもイベントを起こすより他ありません。外へ出てみます。

今日も豪雨。普段なら出かけません。でも、行くしかありません。退路などありません。


夜景が綺麗だと評判の小高い丘に行ってみます。感想などを文学的な表現で綴ってみようかと思います。


う~ん。


出てきた言葉はこれだけでした。雨がひど過ぎて景色どうこうではありません。そもそもまだ昼下がりです。人間観察でも出来ればとも思っていましたが、誰がこんな時にこんな場所に来るのでしょう。みすぼらしい薄毛男性が独りビニール傘をさして丘で暴雨にさらされているだけです。美しい情景は遼遠の彼方です。


繁華街に出てみます。色んな人が行き交いますから、きっと何かある筈です。


大きな駅です。改札が沢山あります。ビルの谷間です。巨大な交差点です。歩行者信号が青になるなり、人が洪水のように入り乱れます。田舎者の私には人間観察どころではありません。水害訓練です。


川の流れは交差点の先の通りまで続きます。三角地で足を休めます。そこは格好の狩り場でもありました。ビラを配り回っている中年女性が近づいて来ます。

悩み事があるのだろうと。辛い事があるのだろうと。セミナーがあるのだと。

人の濁流と降り注ぐ大雨に移動する気力もなく、勧誘熱心な職員を遠ざける気力もありませんでした。


このままただ街をウロウロしていても何も起きそうもないですし、新たな発見があるとも思えません。身の危険は感じますが、いっそセミナーに行ってみようかと思えてきました。早く雨宿りしたい気分でもありました。


中年女性職員が何やら簡単に電話を済ますと、都合のよい事に次のセミナーが10分後だと言うのです。目の前の雑居ビルに案内され、狭い通路の先の1基しかないエレベーターを待ちます。逃げられなくなる不安が募ります。けれど、もはや、中年女性職員より若手女性剣士の方がよほど恐怖なのです。ようやくやって来た定員3名の狭いエレベーターに乗ります。扉がしまります。徐々に階数表示が上がっていきます。扉が開きます。中年女性が扉を押さえ、中へ招きます。降りざるを得ません。ほんの一歩、中へ進みます。エレベーターの眼前にたたずむドアが開かれます。


スーツ姿の好青年が笑顔で中に招き入れます。好青年ほど邪悪な人間はいません。ここまで来たからには虎児を得るまで帰るつもりはありません。

整然と並んだ椅子に先着の参加者がまばらに座っています。眼鏡をかけた痩せ型の大学生。魚のような目をしたベテランOL。公務員感満載の40代男性。

案内されるがままに椅子に座らされます。


視線を感じます。一挙手一投足を監視されている気がします。もし講演が長くなるようなら先にトイレに行きたいところですが、身の安全が確保できるのか不安で仕方がありません。

ペットボトルのお茶が提供されました。未開封ではありますが、ラベルが剥がされています。何か意味があるのか、経費上の問題なのか、教団が製造しているのか。膨らむ不安とは裏腹に喉は渇ききっています。大学生も主婦もいくらか飲んだ形跡があります。公務員に至っては飲み干しています。彼等に異変はなさそうです。開けてみます。匂いは問題ありません。蓋を閉めるべきか、飲むべきか。いってみます。普通のお茶でした。大丈夫そうです。多分。きっと。多分。


定刻になりました。満面の笑顔で、ふくよかな男が型通りの歩き方で登壇しました。昭和のマジシャンを連想させるスーツ姿に、ピンクの蝶ネクタイが映えます。身長は低くない筈ですが、心なしか4頭身に見えます。ほぼ顔です。ドアにはスタッフが立っています。


「みなさん、前向きな気持ちで。こんにちは」


こんにちはと返すべきでしょうか?


「こんにちは」


唯一、公務員が返事をします。登壇した男は、教祖みたいです。前置きがてら、人生や社会情勢について軽く触れた後で、ふと、量子力学だか何だかの話を始めました。


「素粒子というものをご存じですか?私達の体も身の回りの物も全て物質でできています。物質は複数の原子が集まって出来ています。かつては原子が最小単位だと思われていましたが、最新の研究では、原子は電子と原子核から出来ていて、原子核は陽子と中性子から出来ていて、それらはクオークから出来ています。この電子やクオークが素粒子と呼ばれる物質の最小単位なのです」


図を示しながら説明しています。間違えて夏期講習に参加してしまったのではないかと不安を感じます。だいぶ序盤ですが、大学生は思考限界を迎えたのか、宙を仰ぎ方針状態です。日本で一番勉強しないのは大学生という噂は本当だったのかも知れません。


類に漏れず、怪しげなVTRを流し始めましたが、素粒子がどうのというVTRです。二重スリット実験がどうとか、粒子と波の二重性がどうとか。どうも素粒子は確率的に存在し、観測するまで位置が確定しないそうです。私も宙を仰ぐ準備は出来ています。


ただ、興味深い事も言っていました。素粒子は観測しないと波として振る舞って、観測すると粒子として振る舞うのだと。それはスリット実験なるもので立証されているのだと。更に、観測する事で素粒子は過去に遡ってその振る舞いを変える事が、量子消しゴム実験なるもので実証済なのだと。今では私も宙を仰ぎ見る同盟の立派な構成員です。


公務員が何かしきりに質問したがっていますが、ことごとく受け流されています。どうも宗教家が伝えたい内容はここからみたいです。素粒子の実験から分かるように、この世界は不確定で、確かなものなど何もないと。しかも、過去に遡って現在が書き変えられてしまうと。ただ、逆の発想をすれば、意識的に現在を書き変える事も可能なのだと。コペンハーゲン解釈によれば、あらゆる物事が重ね合わせの状態にある、つまり、幾重にも世界が重なって存在するのだと。幸せな世界に行けるよう、日頃から意識を高めようと。もっと素粒子について知りたい場合は、セミナーを定期的に開いているので、是非参加して欲しいと。


ベテランOLは、すがるような眼差しで前のめりで聴講しています。理解しているかは関係ありません。幸せな世界に行けると信じたいのでしょう。


質疑応答の時間になりました。やはり、公務員が手を挙げます。さすがの教祖も、指さない口実を見つけられなかったのか、遂に公務員を指します。公務員は語り始めます。


「私は大学で教授をしています。専門は量子力学で、このセミナーでは時間改編の話が聴けると聞いて参加しました。私も量子と時間について研究していて、タイムスリップ理論についても趣味で考えたりしています」


公務員ではなく、教授でした。予想は外れたものの遠からずです。教祖 vs 教授。好カードです。

小難しい質問と、口八丁の逃げ口上が続きます。プランク定数がどうだとか、場がどうだとか、ヒモだか煮物だかが何だとか。


「やっぱり量子消しゴムに納得が持てません。結局あなたはどの論文を参考にお話されているんですか?」

「難し過ぎましたかね?様々な文献を参考にしたので、後でリストをお渡しします。お、もうお時間ですね。それでは最後に、講座のご案内を」


教祖が時間を利用して逃げ切りました。私も時間から逃げきりたいです。


気付けばベテランOLも宙を仰ぎ見る同盟の一員になっていました。会はお開きとなり、セミナー会場から無事に脱出できました。雨は上がっていたものの、重く分厚い雲が空に蓋をしています。セミナーの後、教授は奥へ案内されていました。無事を祈るばかりです。


私の知力、体力、勇気は全て空になりました。体は自然と家へと向かっていました。今日はゆっくりお風呂に入りたいです。疲れたので、小説の続きは明日にします。


朝を迎えました。沢山寝たので、体調はバッチリです。体調だけはベリグーです。


さて、残り二日。昨日の出来事も書き足してみました。

でも、どうでしょう?まるで日記です。しかも、セミナーに行ってみたから何だと言うのでしょう?私自身に何か成長や心境変化があったかというと、ありません。この状態で女剣士に出しても斬り捨て御免は必至です。


筆が止まりました。紙に落ちた髪を払いのけて、暫く経ってはまた払いのけるの繰り返しです。思考が止まり、時間だけが進みます。何も出来ないまま、時間だけが進みます。私の意思も気持ちも無視して、時間は実直に一直線に進んでいきます。


時間を戻せたらいい。


何も無い毎日はこりごりです。何も出て来ない毎日はこりごりです。ただ抜け落ちていくだけの日々はこりごりです。

前に進めた頃に戻りたいです。停滞するでもなく、頭皮が後退するでもなく、筆を前に進めたいです。


そういえば、セミナーに来ていたあの教授がタイムスリップの理論が出来たとか言っていました。実現できるワケはありません。しかし、私は既に外出の準備を始めていました。もう夢物語にすらすがりたいのです。私は既に彼の大学へ向けて歩き始めていました。きっとそうやって、みんな怪しい話にのめり込んでいくのだと思います。これは取材だ。そう思う事が唯一の理性です。私は既に彼のゼミの研究室の前に立っていました。ノックは既に済ませています。あとはドアノブを回すだけ。いや、もう既に回し終えています。ドアを開けます。



【後書き】

後編はガチSF理論も登場します!果たして、コンペは乗り切れるのか?有望女性新人さんはどう反応するのか?

後編も楽しんでもらえたら嬉しいぴょん。


あと、捕捉ですが、セミナーで出てきた素粒子の話には正しい知識と誤った知識が織り混ぜてあります。ネットとか某動画サイトでも、誤った情報をさも正しいかの様に語っているのを見かける事があります。スピリチュアルと結びつけて語る人達もいます。

そもそも、教科書に載る様な正しいとされている知識も、後年になって誤りであると判明する事だってあります。

その様なウソ科学にはくれぐれもご注意を。

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