鬼食らいのクデ
山の木々が冷たい風で揺れ動き、通る人々を威圧するような、不気味な山があった。
通る人々とは言ったものの、この山に人が通る事はほとんどない。一応、人工的な石畳の道こそ設けられているものの、ここにやってくる物好きな人間はそうはいない。
この山は、昔から不吉な噂が多い。
鬼が出る、神隠しが起きる、呪の儀式に使われている…大昔から蓄積してきた人々の噂話。それらが、この山をいつの間にやら、呪詛が集う妖の山へと変えていた。
そんな人々の暗い思いに誘われたか否か、本物の鬼がここに集うようになった。
彼らの行為は、まさに伝承の食人鬼そのもの。人間を襲い、食らい、噂話を広めさせる。
未来の人々が鬼の伝説と語り継ぐであろう怪談が、現実としてこの場に君臨していた。
この夜も、彼らは獲物を待ち受けていた。
「おい見ろよ…すっげえ美人だぞ」
赤い体表に、筋骨逞しい体格の鬼が、ある方向を指さした。
茂みの向こう側、灯籠に囲まれた道を歩いていたのは、一人の女。
忍装束のような、黒い服を着ている。赤い髪は短く切りそろえ、細くも、輝きを漏らす目。退屈そうにも見える口元。
その姿は、とてもこの闇の中で一人で歩いていて良いようなものではない。息を呑むような美女が、どういう訳か、この厄災の山を歩いていたのだ。
勿論、鬼がこれを黙って見過ごす事はない。
彼は身を隠す事もせず、茂みをかき分けて女のもとへと近づき出した。
どうせ何も抵抗してこない、と、予想も何もせずに近づくだけの、単純思考だ。
「おいおい姉ちゃん。こんな夜に一人かよ?」
彼の体格は、鬼らしく、3メートル以上。目の前の細身な女を影で呑むには十分すぎる体格だ。
なのに、女は息一つ荒げない。むしろその退屈そうな表情は、苛立ちに変化したかのようにも見える。
この時点で鬼は違和感を感じるべきであった。だが彼は体を傾け、無防備な姿を晒す。
「里に捨てられちまったのか?生贄って訳か。へへへ、ならたっぷり可愛がって…」
「うるさい。黙れ」
女の、あまりに鋭い一言に、鬼は怒りよりも困惑を先に突きつけられた。
一瞬、時が止まる。
鬼は両腕を垂らし、ため息のようなものをついた。
「…テメエ。その度胸は認めるけどな。テメエなんぞ俺の機嫌一つでいつでもミンチにでき…」
鬼が実力差を分からせようと手を突き出したその時…!
女は、鬼の手を掴む。
そして…咥えた。
「あ…えっ?」
鬼の強面な表情が、間抜けな程に歪む。
女は、口に力を込め始めた。
鬼は古来から様々な人間の奇術を見てきたが、これに該当するような術は、彼の記憶にはない。
「何しやが…」
その後は、あっという間だった。
女の口は、鬼の巨体を、素麺のごとく吸い込み始めたのだ。
綺麗な唇が、傷一つつかず、鋼のような筋肉を次々に受け入れ、噛む事もせずに喉へと引き込む。
彼女の喉が上下に動くが、普通の食事をしているかのように、違和感のない盛り上がりだ。
端正な姿を一切崩す事なく、鬼を飲み込み…いや、一つだけ変化が起きていた。
彼女の腹部。
鬼の巨体の最終到達地点。そこが、少しずつ、波打つようにして膨らんでいく。
「んっ…ごくっ…」
喉が鳴るたびに腹が面積を広げていく。
生物というより、風船が膨らむような、あまりに整った膨張。胸の高さを乗り越え始めたその腹は、重力に引っ張られる事もなく、ただただ綺麗な形のまま、大きくなっていく。
飲み込まれ続ける鬼は、助けを求めるのに必死で、その腹には見向きもしない。
今まさに飲み込まれようとしている顔が、もがいてる。
「誰か!!助けてくれええ!!化け物だ!!食人鬼だあー!!」
鬼が何を言ってるのか。
女は指先だけで鬼の顔を適当に口内へと押し込み、最後に残った腕を、それこそ素麺のごとく、チュルン、と口内に収め…。
ごっくん。
あまりにも特徴のない、嚥下音。
彼女の腹は、もはや臨月どころではない巨大サイズへと一気に膨張した。
ずしりと乗りかかる腹。これほどの獲物を丸ごと体内に収めたにも関わらず、彼女は表情一つ動かさない。忍装束を突き抜けるようにして巨大化した腹。ヘソは尚も綺麗な窪みを見せており、腹の表面は、例えるなら、肌色の風船。夜闇に僅かに差し込む月明かりが光沢を作り、幻想的な光景にすら見える。
突き出すように、そして縦に伸びるように膨らみ、結果として整った形のその腹は、誘惑的であった。
身長に対して不釣り合いなその膨張。彼女は近くの木に寄り掛かり、腰を下ろす。
「ゲプッ」
腹を二度叩き、休憩に入る。
腹は時々、左右に揺らめく。内部の鬼のせめてもの抵抗だが、クデは再度腹を叩き、中に振動を送る。
「このクデ様の腹から抜け出そうなんて、思わない事ね。一度入ったら、二度と抜け出せないのよ。さっさと溶けて、元いた地獄へ帰ることね」
彼女は、鬼食らいのクデと呼ばれる女。
常世に目覚めた鬼達を狩り、地獄へと送り返す死神と称される存在だ。
噂では、刀を引き抜き、鬼の首をはね、地獄の炎を召喚して焼き尽くし、霊体へと転移させ、常世から抹消する。鬼食らいの名は、まるで獣が獲物を食らうかのごとく、鬼を殺し、その鮮血を浴びていき、赤い髪を更なる深紅色へと染めていく…とされているのだが、現実はこうだ。
まさか鬼食らいの名がそのままの意味だとは誰が思うだろう。ましてや華奢な彼女が、大柄な鬼を一呑みなど…。
「さて、こいつがいたという事は、恐らくこいつの部下もその辺にいるはずね。前菜を済ませたところで、そろそろ動こうかしら」
この腹で、前菜なのだ。
クデはふらつく足で腹を支えるように、立ち上がる。
その後、彼女は腹を隠そうともせず、堂々と山道を進んでいった。
念の為、刀を引き抜き、鬼の不意打ちに備える。だがもし不意打ちを狙ってる鬼がいたとしても、存在感がありすぎるその腹に気を取られて、すぐには動けないだろう。
それでも、用心はする。クデも戦士なのだ。
そして、彼女の目的の鬼達は、意外にもすぐに現れた。
「お、おい…親分の気配がなくなったぞ」
慌てふためく声が、茂みの向こうから聞こえてくる。
腹を上手く横にずらしつつ、クデは茂みを覗き込む。
そこには、小鬼達が並んでた。
身長はクデよりも一回り小さい、子ども程の体格。しかし、その顔は老人のように厳格であり、鋭い牙がある。
その数は十人程だった。恐らくあの鬼のもとへ人間を送り出す下っ端として活動していたのだろう。しかしその鬼の気配、そして力が突如跡形もなく消滅した事に、酷く混乱しているようだ。
(どいつも力は弱そうね。手こずる事もなさそう。ラッキーだわ)
クデの舌が、口周りを舐めた。
これくらいなら、どうにでもなる。
彼らの首を瞬時に、かつ同時に切り落とせるだけの技量を持ち合わせていたクデだったが、それでは面白くない。彼女にとって鬼というのは、腹に入れてナンボなのだ。
茂みから、迷う事なく飛び出したクデ。僅かな動きでも腹が揺らめき、その下の綺麗な太腿に軽くぶつかる。
鬼達は息を呑み、一斉に並び、陣形を組む。
先頭の個体が構え、威勢よく叫ぶ。
「な、何者だ!ここは鬼の領地…って、ええええ!?!?」
驚くのも無理はない。
目の前に現れたのは…肌色の風船。そしてその風船の後方には、目を疑うような美女の姿。
何より、その風船の内部には…自分達の主の気配を感じられる。
あまりの情報量に、小鬼は硬直。それに続くように、背後の小鬼達も人形のように立ちすくむ。
「ふふっ」
クデは可愛らしく微笑むと、先頭で木偶の坊となっている鬼に右手を伸ばす。
首根っこを掴むように、乱暴に持ち上げると、自身の顔の前まで運び、そっと口を突き出す。
突然の接吻だと思い込んだのだろうか、小鬼は一瞬、何かを期待するかのように笑みを見せた。
クデは、小鬼に吸い付き…そして、一瞬にして口内へと吸い込んだ。
シュポン、という何とも軽い音がその場に響く。
頬を丸め、そのまま圧倒的な圧力で、ゴクリ、と丸呑み。やはり、ただの食事とばかりに、未知の鬼を腹の中と押し込んでいる。
腹は新たな住人を迎え入れ、更に僅かな膨張を見せた。
達成感からか、クデは右手で腹を軽く叩く。
「ふう…」
微笑むと、残党たちにもその目を向ける。
殺意など微塵もない…ただ、美味しい食料を前にした時の、無邪気で可愛らしい顔が、そこにあった。
「…!逃げろおおおおお!!!」
状況を完全に掴めないまま、鬼たちは飛散するような勢いで逃げ出した。
一人は西方向、一人は東方向、一人は木を登り、一人はパニックのあまり地面に穴を掘って逃げようとする…全く一貫性のない、それぞれの逃走ルート。
一人も逃さない…それがクデのモットーだった。
こんな状況も予想の範囲内だ。彼女は軽く身を屈めると、普段より少し大きく口を開く。
そして、彼女の「吸引力」が、ここで本領を発揮した。
今までは、鬼を咥えた際にのみ働かせていた吸引力を、より広範囲に伝わるように…周囲の空気を吸い込み始めた!
地面に落ちていた葉っぱをも巻きこむ勢いのその吸引。木々が揺らめき、その場にだけ台風が訪れたかのような吸い込みだった。
「ぎゃああああ!!!」
予想外の攻撃に、一人が抵抗も許されず、クデの口内へと吸い込まれていく。
口に収まると、一瞬口を塞がれる事で吸引が止む。しかし、その小鬼を飲み込むなり、直ぐ様再開。作業をしているかのように、人知を超えた存在を始末していく。
二人目、三人目…次々へと小鬼達はクデの口、そして腹の中へと送られていく。最初の鬼の辞典で隙間なく拡張されていたかに見えた腹は、今やクデの顔のあたりにまで到達。
小鬼達から見れば、肌色の巨大風船が風で揺らめきながら、吸い込まれる空気で更に膨張していくという異様な光景だった。だがそこにいるのは確かに…人間の美女。
そうこうしてる間に、ほとんどの小鬼が吸い込まれてしまう。
クデの腹は、ついに彼女自身の身長をも超えるサイズに膨張した。
「ゲップ…」
流石にここまで腹を膨張させると、さしものクデも満腹感を覚え始めた。逆に言えば、ここまで膨れてようやく満腹になり始めたのだろう。
吸引を止め、尻餅をつき、敵の前で呑気に休憩を始めるクデ。ここで小鬼が、息を切らしながらもニヤリと笑みを見せた。
(し、しめしめ。こいつ、腹がパンクしそうじゃねえか…)
クデの腹は、歪な鬼たちが詰められているとは思えない程、綺麗な球体型に膨らんでる。吸引によって空気も詰まってるのだろう。汚れ一つない美しい肌がピンと張り詰め、まさしく風船のようだった。
小鬼は頭の角に目線を向ける。
(…大食い女め。そのドデカ腹、割ってやるよ)
鬼は体を奮い立たせ、一気に走り出す!
クデの腹目掛けて疾走していく小鬼。
小さな体で大きな腹に挑む様は、もはや人類を脅かす存在とは思えなかった。
それほどまでに、クデは世の感性から見れば、あまりに異質な人間だった。
そんな存在に、バカ正直な突進など通用する訳もなく…。
突如、彼の目の前からクデが消えた。
「えっ!?」
急ブレーキをかける小鬼。普段激しい動きをしていないのか、慣性の法則が悲鳴を上げるかのような、バランスを崩しに崩した、不格好な急ブレーキだった。
周囲を見渡そうとした小鬼だが、そんな隙すら、あの鬼食らいには存在しなかった。
クデは、あの巨大な腹からは考えられない跳躍力で、小鬼の頭上に飛び上がっていたのだ。
光沢を纏う腹は、満月のように輝く。
「いただきます」
小鬼の頭上から降りかかる、小さく開かれたクデの口。落下するなり小鬼に口づけをするように唇を合わせ…。
瞬時に引き込むように、チュルリ、と吸い込んでしまった。
小鬼は口内に収められるなり、直ぐ様足をばたつかせて反撃しようとする。クデの口内で、あるいは喉元で何か叫んでいたが、クデには聞こえない。
「…ごっくんっ…!」
丸呑みには、さして苦労しなかった。
「ふう〜〜〜〜〜〜っ」
最後の住人を受け入れ、またほんの少し、大きくなる腹。
もはや、これ以上の鬼を受け入れることは難しそうに見えたが、彼女の食欲であれば、ここから更に詰め込む事もできるだろう。
が、どちらにせよこのあたりの鬼は、全て腹に収めた。クデも満腹感も、ようやくピークを迎えたのだろうか、その顔はどこか、燃え尽きたような快感に満ちていた。
巨大な腹を叩きながら、彼女は天を仰ぐ。
「満腹満腹…。本当はもっと食べたいところだけど、これ以上大きくしたら…破裂しちゃうかもしれないわね」
誰に言うでもなく、可愛らしく首を傾げながら独り言を呟くクデ。
十体もの異形を詰め込んだ腹は、時々、更に大きく膨らんでは縮小する。中の鬼達の抵抗が続いてるのだろう。
数日後には、この腹も元に戻り、再び鬼を狙って夜の山に足を踏み入れるのだろう。
「さて。村に帰ろうかしら」
何事もなかったかのように、その女は山を下りていくのだった。




