第61話
ようやく外の空気に涼しさを感じ始めた時、毎年のことだけど、秋は一瞬なんだろうなぁと思いながら帰路に着いていた。
するといつもの公園の側を通った時、久しぶりに見かけたその人影が、すぐに誰だかわかった。
「芹沢くん・・・」
思わず口からこぼれた声は、ボーっと色づく公園の木の葉を見つめている彼には届いていない。
ん~・・・まぁ声をかけるくらいは普通だしいいかな・・・
なんとなしに考えながらいると、彼の方が俺に気付いてパッと立ち上がって駆けて来た。
「円香くん!」
「・・・芹沢くん、久しぶり。」
「久しぶり・・・!・・・あ・・・・あの・・・・・待っててごめんなさい・・・」
「・・・え?別に謝らなくても・・・・。何か用事あるなら連絡入れてくれりゃあいいし。」
「・・・うん・・でもなんか・・・ダメかなぁと思って・・・・。だからその・・・もし彼女さんに話すことがあっても、俺とは近所だし偶然会ったってことにしてもらって・・・」
「・・・ふふ、別にそこまで気ぃ遣わなくていいよ。」
芹沢くんは申し訳なさそうに眉を下げたまま、俺の顔を見上げたかと思うと、少し泣きそうな目をしてから、さっと鞄を開けて手を突っ込んだ。
「あ、あの・・・これ・・・借りっぱなしだったから・・・ありがとう。」
差し出した彼の手には、見慣れたハンカチが握られていた。
「ああ・・・そういえば・・・。全然気にしてなかったや、俺の方こそ貸しっぱなしでなんかごめんね?いつ返せばいいかって考えさせちゃったね。」
「そんな・・・・・・・そんなこと・・・円香くんが気にしなくてよくて・・・。」
芹沢くんはそう呟くと、また目を伏せて黙り込んでしまう。
「・・・涼しくなって過ごしやすくなったね。ちょっとそっち座って話す?」
公園のベンチを指さしたけど、芹沢くんは動こうとしなかった。
「・・・・ううん・・・・。たくさん話してたら・・・たぶん・・・またハンカチ借りることになっちゃうから。」
目を合わせない彼が、俺を想って静かに呟く様が、少し悲しくなってしまうけど、それは芹沢くんほどの痛みじゃないんだから、俺が傷つく資格はなかった。
「ホントはあの・・・・・円香くん食べてくれるって言ってたし、手作りハンバーグとか持ってこようかなとか・・・考えたり・・・。俺あれからいっぱい料理頑張って・・・自分のお弁当も作れるようになったし・・・・でもそれは別にいいんだけど・・・・」
「へぇ、そうなんだ・・・えらいねぇ。」
芹沢くんは相変わらず目を合わせないまま、ぎゅっと肩にかけた鞄の紐を握った。
「・・・・・・・・円香くん・・・・・大好き。」
風に飛んで消えてしまいそうな声でそう言って、彼はそのまま踵を返して家の方へ走り去った。
最後まで堪えたような表情は、ハッキリと見せてはくれなかった。
手渡されたハンカチは、綺麗に洗濯してアイロンをかけられてて、彼が俺に手渡すまで、どれ程大切に保管していたか知れた。
そういう気持ちを汲んでしまうから、尚もつらかった。
どうしてこう、他人の気持ちを受け取れないのに、親切にしてしまうんだろうかと、自己嫌悪に陥る。
後悔するなら、咲夜みたいに最初から受け取らず突き放せばいいのに。
トボトボと自宅前に着いて、玄関ドアを開けて、自室に入って窓を少し開けた。
ほんの少しだけ涼しい空気が入ってきて、ボーっとあまり使っていない勉強机の椅子に腰かける。
その時ふと何故だか、子供の頃に親に呼んでもらった絵本を思い出した。
それは二羽のウサギが主人公の話で、一方が幸せな暮らしを手にして、一方は不幸にも命を落とす話。
誰かが幸せになる時、違う誰かは不幸せに見舞われてる。そういうシンプルな話だった。
もちろん絵本なのだから解釈は自由だし、もっと教訓がたくさん詰め込まれていたと思う。
芹沢くんが俺に恋をしてフラれた一連の経験を、本人がどうとらえているのかは俺には知り得ない。
人間には感情があるから、相手に恋人が出来たんだから仕方ない、諦めようと思って納得したとしても、素直な気持ちが逆を向いていれば苦しむことになる。
それは本人の問題で、俺が直接的に彼を苦しめているわけではないかもしれない。
だけど・・・・
会えただけで涙を堪えながら、『大好き』と言葉にするのは、どれ程身を割かれる気持ちを抱え続けているか、想像出来てしまった。
けど芹沢くんにしてあげられることは何もない。
他愛ない話をするだけの友達関係に戻れたとしても、彼の気持ちが変わらないなら、それはリサに対して不誠実だ。
誰よりも好きで世界一大切なリサがいるのに、振った芹沢くんのことを考えている時点でどうかと思う。
共感しなければいいものの、今になって気遣い癖が裏目に出てきた。
「はぁ~・・・・何て言ってあげればよかったんだよ・・・」
慰めなんて言葉はいらないし、普段通り優しく何でもなく接していれば無難なのかもしれないし、そもそも気を遣い過ぎるのがダメなのかもしれない。
悶々とそんな風に考えていると、目を覚まさせるかのように着信音が鳴って、ポケットに手を突っ込んだ。
「もしもし」
「あ、円香くん、今大丈夫?」
「うん、家に着いたとこだよ。」
リサの可愛い弾んだ声が耳に入ってきて、思わず頬が緩む。
「そうなんだ、私ね、今日は5限まであってぇ・・・円香くん今日バイト?」
「ううん、今日はないよ。」
「そっかそっか・・・」
「・・・なあに?」
「・・・んふふ・・・さっきまで同じ教室にいたけど・・・あ、今はねカフェテリアの近くの自販機の前なの・・・。」
「そうなんだ。」
「ん・・・・ちょっとでいいから会いたくて・・・」
「・・・ふふ・・・ちょっとでいいの?」
愛おしいリサの声が聞こえてくるのが、嬉しくて可愛くて、控え目にねだる言葉が、尚の事愛おしさを倍増させていく。
「うん・・・円香くんの無理のない範囲で・・・」
「ふふ・・・じゃあ・・・・・」
明日俺は昼過ぎからだし、リサが帰る頃に家に行って泊まっちゃおうかなと、言おうとした。
けどその時、数分前に話していた芹沢くんが頭に浮かんで、苦しそうに言葉を絞り出してる彼をまた考えて、今頃自分の部屋で泣いてるんだろうかと思ってしまった。
「円香くん・・・?」
「・・・あ・・・えっと・・・」
俺が散々気を持たせて仲良くして、自己満足に好きな人が出来たってご丁寧にフって、挙句自分勝手にフられた彼に同情してる。
「・・・俺って最低だな・・・」
黙っていたリサにそう愚痴のようにこぼしてしまった。
「・・・え?どうしたの?」
「・・・・・・・電話で話すより、会って話したいかな。・・・・別に何かあったとかじゃないし、浮気したとかじゃないからね?」
「うん・・・。」
「リサが終わった頃に連絡して。帰る時間に合わせて家行くから。」
「うん、わかった。」
あ~~・・・リサどう思ったかな・・・・。リサもまぁまぁ気にしぃだから、不安にさせちゃったよな・・・。
けど心の中で抱えているモヤモヤを、抱えたままなかったことにして、忘れても結局ぶり返すもんで、自分勝手ではあるけど、俺はリサに話を聞いてほしかった。
今更だけど恋愛はエゴの繰り返しだと気づく。
リサのうちに行くまで、俺は今までの芹沢くんとの付き合い方を振り返りながら、自分が彼にとって酷いことを言ったりしたりしなかったかと思い返した。
日も暮れて家を出て、改めて電車に乗ってリサのうちを訪ねる頃、思考を巡らせすぎた脳内は、リサに嫌われるんじゃないかと話すことを恐れてた。
「円香くんいらっしゃい♪ありがとう、わざわざ。」
「ううん・・・こちらこそありがとね。」
落ち着いてソファに座って、目の前のテーブルに飲み物を置いてくれた彼女と、横並びに腰かけていると、それだけで幸せな気持ちになる。
リサはそっと俺の左手を握って恋人繋ぎした。
「何かあったわけじゃないって言ってたけど・・・きっと何かあったんだよね・・・」
「・・・・・友達付き合いしてた近所の男の子がいて、その子がずっと俺を好いてくれてたんだ。」
リサは真剣な表情で俺見つめ返して耳を傾けていた。
「・・・リサを好きだって自覚した時、告白の返事をしてなかったから、家で話して断ったんだ。そんなの俺のエゴでしかないんだけど、ちゃんと向き合っていたいと思ったから・・・。・・・・今日さ、俺の帰りを近所の公園で待ってくれてた芹沢くんに会って、貸してたハンカチを返してくれてさ・・・他愛ない話をしようと思ったけど、「大好き」って言い残して帰っちゃって・・・人の気持ちを・・・考えちゃう性分だから・・・自分勝手に同情しちゃったんだ。ホントはそういう自分が心底嫌いで・・・。気持ちに応えられないくせに、可哀想だと思ってるんだよ・・・。」
「・・・そうなんだね・・・」
「・・・幻滅した?」
「・・・どうして?」
「俺は・・・リサのことだけ考えて、リサの幸せを優先したいよ。なのに・・・芹沢くんを傷つけたことに、俺はまだ傷ついてるんだよ。」
「・・・円香くん言ってたじゃん。大事だった人を忘れられなくてもいいって。その芹沢くんは、円香くんにとって大事な友達の一人でしょ?相手の気持ちを真摯に受け止めることは、きっとお互いちゃんと出来てたよ。・・・好きっていう気持ちが相手にあったから、関係が続かなくなっちゃったとしても、ちゃんと円香くんの返事を受け入れてくれたことを、尊敬しててあげよう?」
「・・・うん。」
「それに・・・二人の間に、私は無関係だと思うの。・・・大丈夫だよ、円香くんは、大事にしたい友達との関係を一つ失くしちゃったけど、それを最低なんて思って突き放す彼女とは付き合ってないんだから。」
リサは天使みたいな優しくて可愛い笑顔をして、俺をぎゅっと抱きしめた。
「・・・・・俺が幸せになることで、芹沢くんは傷ついた毎日を過ごすのかなぁ・・・」
「円香くん、それは別に表裏一体じゃないの。だって他人とは人生が別々だから。明日芹沢くんの目の前に、運命の人が現れて惹かれ合ったら、そんなの関係ないもん。」
「確かに・・・」
きっとこの先も芹沢くんとの思い出を振り返ったら、やるせない気持ちになるかもしれない。
けど俺が向き合っていきたいのはリサだから、自分と関わってくれた感謝の気持ちを持っても、会いたいや話したいって気持ちは、きっと湧いてこない。
それでいいんだと思えた。




