第4話
それから数日後の週末、沙奈のうちに荷物を取りに向かった。
毎日使うような生活用品や衣類は持って帰っていたけど、まだまだ色んな私物や衣類が残っていたからだ。
彼女に取りに行く時間も伝えて、鍵はまだ持っていたので別に在宅でなくていいと言っておいたけど、特に予定はないから家にいると連絡を受けた。正直顔を突き合わせるのは気まずい。
咲夜がアドバイスしてくれた通り、別れる前に距離を置くという期間を設けようとも思ったけど、あの時別れるために話していた俺は、これ以上の時間を与えても何も変わらないと思ってしまった。
考えても仕方ないな・・・
俺はマンションに着き部屋の前まで来て、ガチャリと鍵を差し込んで入った。
あれ・・・そういや・・・なんて言って入ったらいいんだろう・・・ただいま、は違うしな・・・
お邪魔します?
頭の中が混乱しながらも、いるなら声をかけた方がいいだろうと思った。
「沙奈~入るよ~。」
俺はいつもと変わらない調子で彼女を呼んだ。
玄関にいつも履き慣れているであろう靴はある。
すると奥の部屋からパタパタと足音がして、彼女が出迎えた。
「あ・・・どうぞ。」
彼女も何と言ったらいいのか躊躇ったんだろう、少しぎこちなく笑った。
「ごめんね週末に・・・。すぐ荷物纏めて出るから。」
さっと靴を脱いで上がって、つい最近まで生活していたリビングに入ると、何だか不思議な感覚だった。
普通に帰宅した気持ちで、落ち着くし違和感もないし・・・私室として使わせてもらっていた部屋のドアを開けて、本棚やクローゼット、小さいテーブルや座椅子、カーテンがひかれた窓・・・ここは俺がパソコンを置いて課題をしたりして過ごしていたところ。
実家にいる今の方が居候感があって、こっちがまだ家だという認識がある。
持ってきたキャリーケースを開けて、本棚に雑に置いていた物を入れる。まぁ本なんて少ししか持ってないし、漫画だったりゲームも置きっぱなしだ。
大して必要ない物だったら沙奈にあげてもいいけど、そもそも彼女はゲームや漫画を嗜んだりしない。
ゆっくり詰めていると、沙奈がやってきて同じように側に座った。
「漫画・・・それで全部?クローゼットにも入れてたんだっけ?」
「あ~・・・段ボールに入れっぱなしのやつがある・・・。あれは・・・もうほとんど読んでないし、今度車持ってる友達に頼んで来た時に売りに行くわ。」
「そっか・・・。最近は全部・・・スマホで漫画読んでたもんね?」
「そうだね。もうあんま単行本買わないし・・・。」
「・・・今はどういうの読んでるの?」
特に興味ないであろうことなのに、何気なくそう尋ねる沙奈が、何か引き留めようとしているようにも思えた。
「ん~・・・最近は無料で読める連載もの読んだり・・・後はまぁ・・・たまに有料のエロ漫画買って読んだり?」
何も取り繕う必要もないので、気にせず正直に答えた。
沙奈は少し黙ったので、チラっと伺うとまたぎこちなく口角を上げた。
「そうなんだ・・・。」
「ふ・・・なに?引いた?」
「引かないよそんなことで・・・」
俺がおどけると沙奈はやっといつもの笑顔になった。
粗方詰め終えて、俺は立ち上がってクローゼットを開いた。
今使ってない冬物の衣類は・・・どうしよう・・・もうそんなに入らないし・・・
「・・・円香・・・」
「ん?」
「・・・・あの・・・」
沙奈は目を伏せて口ごもると、ゆっくり視線を上げて言った。
「一度だけ・・・やり直すチャンスもらえない?」
「・・・・・・・・・え?」
「考えてたの・・・自分がダメだったところ、反省してどうしたらよかったのか・・・。一緒に住んでたら私、甘え切っちゃって円香に家事をほとんどやらせちゃってたし、貴方の自由な時間をたくさん奪ってた・・・。だから離れて暮らしていていいから・・・また・・・デートしたりしてほしい・・・付き合う前みたいに。デートが嫌なら、普通に友達同士みたいに、遊びに付き合ったりしたい。もちろん円香にその気はなくてもいいし、ただ何となく誘ってくれるだけでいいから・・・。私、貴方と知り合った頃の関係値0からやり直したい。」
声を震わせながら、沙奈は真っすぐ俺を見て言った。
その時、桐谷が言っていたことを思い出した。
一度味わったらまたそれがほしいと思ってしたくなる、と・・・。
「沙奈・・・」
俺はまた側に腰かけて彼女に視線を合わせた。
「それはさ・・・絶対俺じゃなきゃいけないの?」
「・・・そうだよ?当たり前だよ。私は・・・!私は大好きだから今も。」
「俺はそうじゃないのに、沙奈が今言った通りただ遊びたいからとか、何となく誘ったりしたらさ、俺は沙奈じゃなくてもいいのにデートするってことでしょ?そんな扱われ方でいいの?」
「いいよ・・・。これから好きになってもらうように頑張るから。円香は・・・何も頑張らなくていいの。気を遣ってくれなくていいの。好きなように振舞っててほしい、友達といると思って。私は気遣ってない円香とちゃんとコミュニケーションを取って、もっとちゃんと円香を知りたいの。」
思わずため息が漏れた。
「・・・やだよ・・・。」
「・・・どうして・・・?」
「俺は・・・友達としてやり直そうって切り替えられないよ・・・。だって1年半も沙奈と過ごしてきたし、それなりに知ってるから・・・。仮にそうやって友達からやり直しても、一緒に出掛けてたら、好きになってほしいためのアプローチするってことでしょ?そんなことされたらただのセフレになるよ。・・・そんな男最低でしょ?」
「・・・・そ・・・円香は・・・そんな・・・最低な人じゃないじゃん。」
沙奈は困惑したように手を震わせた。
「ごめん沙奈、俺も所詮性欲に負ける最低な男だよ。自分をまだ好きな元カノと出かけて、いい感じになったら、まぁいっかってその場の雰囲気できっとやるよ。沙奈がまだ好きな俺は、そういう人間だよ。それでもやり直したい?」
沙奈は泣きそうに顔を歪ませて俯いた。
「沙奈・・・肝心なのは、俺に好きな気持ちがないってことだよ・・・。あれば大事にしたいと思うから、軽はずみで手を出そうとは思わない。でも沙奈が提案してる0からやり直そうはさ、俺の好き勝手にしていいってことになるから、ただのセフレになっちゃうんだよ。俺はそんな自分になるのは嫌だし、そうなっちゃったらやっぱりより戻した方がいいよな人として・・・って気持ちでやり直す羽目になるよ。俺はそんな自分になりたくない。」
「うん・・・。」
次第に沙奈はすすり泣きながら黙ってしまった。
「ねぇ・・・泣かないでよ・・・。俺はずっと一人で家の中で沙奈を待って、気遣いながら話す時間もなくて、泣きたかったけど泣けないうちに時間が過ぎて嫌になったんだよ・・・。」
「うん・・・ごめんなさい。」
「はぁ・・・。もう謝んなくていいからさ、普通にしててよ。」
そっと沙奈の頭に手を置いて撫でた。
やっぱりもうこれ以上話したり会ったりするのはダメだな・・・。
沙奈は涙を拭って頷いた。
「お茶淹れるね・・・。」
「いいよ、詰めたら帰るから。」
「・・・でも・・・」
「もう何話しても、時間があってそつない会話しても変わらないから。何度も傷つけることを言いたくないし、友達に戻るってことも俺には出来ない。ハッキリ言い過ぎたくないから会いたくなかったけど、ごめんね。」
こんな会話を最後にしたくて言うと、沙奈はわずかに声を震わせながら「わかった。」と呟いた。
俺だってこんな気持ちになりたくなかった。
沙奈は静かにリビングへ戻ったので、残り入りそうな物を詰めながら、一人脳内で彼女と過ごした時間を振り返った。
好きな人と一緒に暮らしていけることが、ただただ嬉しかった。
自分が子供だから、その夢見心地な空間に一緒に居たかっただけなんだってわかってる。
将来の結婚やその先のことを考えられなくて、今のお互いの気持ちや時間を大事にしていける関係がほしかった。
沙奈とはもう叶えられない。
正直・・・恋しさがないわけじゃないし、触れられたり好きだと言われたら、思い出して抱きしめたくなる。
でももうそこに気持ちがなくて本能だけなら、そんなこと不毛でしかない。
入るだけ詰めたキャリーケースを引いて、彼女に別れを告げて家を出た。
今度残りの衣類を取りに来るときは、もう最後にしよう。
確か翔はたまに運転してるって言ってたし・・・頼めたら頼もう。
スマホで翔にメッセージを入れながら、エレベーターに乗った。