第32話
時々大雨を繰り返すような気候に左右される季節で、じめじめした外気で呼吸すら苦しくなる。
じわじわと真夏が近づいてくる雰囲気を日々感じながら、今日も駅から降り立って、涼しい講義室を目指して歩みを進めていた。
足元に少し残る水たまりに、太陽光が反射して、地面から暑さがのし上がってくるようだった。
あ~熱い・・・せっかく起きてシャワー浴びて来ても、結局大学に着くまででめちゃくちゃ汗かくんだよなぁ~
鞄から取り出したペットボトルの水を煽って、額に流れる汗を拭う。
そこまでの距離じゃない校門までも遠く感じて、すれ違う人たちも真夏の装いで、日傘をさしたり、タオルを首にかけていたり、サングラスをかけたりしていた。
やっと校門が視界の隅に見えて来た時、何となく見覚えのある背中が目に入る。
ささっと早足に背後まで追うと、同じく校門をくぐるその人から、本人だとわかる香りがした。
「桐谷~」
Bluetoothイヤホンを耳に着けていた彼を驚かそうと、ガシっと肩を掴んだ。
しかし桐谷は特に驚いた様子も見せず、左目をチラリと俺に向けた。
「おう。おい・・・掴むな・・・暑い・・・」
「へへ・・・暑いよなぁあぁ・・・アイス食いて~。」
並んでキャンパスを抜けながら、淡々とイヤホンをしまう桐谷に尋ねた。
「・・・桐谷ってさぁ、いっつもいい匂いするけど何の香水つけてんの?」
「・・・・ジョーマローン、ロンドン。」
「ん・・・何それ、香水の名前?」
「そうだよ。」
「え、高いの?」
「・・・そこそこな。一万弱。」
「へぇ・・・。俺も同じのつけたら怒る?」
桐谷は眉を歪めて口を開けた。
「何で同じのつけんだよ・・・??」
「いや・・・だって気に入ったからその匂い・・・。」
何となく二人っきりで過ごしていた時香ってきていたし、刷り込み効果か、それが桐谷だと認識している。
「なんか・・・・あんまいい気分じゃねぇかも・・・香水真似されるって・・・」
「あ、そう・・・?じゃやめとこ・・・」
「ジョーマローンでも他のやつあるし。比較的安価なものでも、気に入る香りはいっぱいあると思うけど。」
「そっかそっか、まぁそうだよなぁ・・・。どういうとこで買う方がいいかな。」
「ん~・・・店頭に行ったら店員が案内してくれるだろうけど。ネットで見ても匂いは伝わってこねぇし。俺は気に入ってるからネットでリピートして買ってるけど。チェーン店の雑貨屋とかでも置いてるし、専門店行かなくても探せるところは多いぞ。」
「なるほど・・・。」
構内に入って階段を上がりながら、桐谷が人とぶつからないように周りに気を付けていた。
基本的に歩いていても、上る時も降りる時もゆっくりな桐谷。
普段は食事も身支度も、片付けも早い奴だし、たぶん本来はせかせかしたいんだろうと思う。
人通りの多い廊下に着いて、別の教室に向かう彼は、「じゃ」と短く言い残して先を歩いて行った。
何となく名残惜しく思っている自分を頭の中で消し去りながら、目的地に着くと教室の中で既に翔の声がした。
明るい笑い声が特徴的ですぐわかるので、空いてる席に鞄を置いて座ると、バタバタと走って側にやってくる足音も聞き慣れたもんだ。
「西田ぁぁ~おはよ。」
「ん、おはよ。あっつかった・・・」
やっと涼しい空気に包まれて、Tシャツの襟元を引っ張って汗を拭くと、翔は俺の腹をペチっと叩いた。
「腹チラしてんぞ!ファンに隠し撮りされんぞ!?」
「ファン・・・?マジで今日もう真夏日だって暑い・・・。着替え持ってきたからトイレで着替えてくるわ・・・。翔荷物見といて。」
「別にこの場で脱いで着替えりゃいいじゃん、Tシャツくらい・・・」
周りに生徒たちがいる中、たった今見えた腹を注意した人間の発言と思えない。
「マナーってもんがあるじゃん・・・。」
「わかってねぇなぁ西田はぁ・・・。西田の着替えシーンなんて女子からしたらご褒美だぞ?男が好きな男からしてもご褒美だぞきっと。」
「はは・・・」
苦笑いであしらいながら、新しいシャツが入った袋と、汗拭きシートを取り出して講義室を出た。
トイレに向かう手前で、階段から足取り重く現れた咲夜と出くわした。
「おう・・・おはよ。」
咲夜も決して体育会系じゃない。ぐったり汗をかいた表情がそれを物語っていた。
「おはよ。咲夜ちゃんと水分摂れよ?」
「おん・・・。ああ・・・夏休みが遠い・・・」
咲夜は日差しを睨むように窓の先を見て、髪の毛をかき上げた。
「あ、西田くん!高津くんもおはよ~。」
俺と咲夜が振り返ると、椎名さんと佐伯さんが仲良く廊下を歩いてきた。
女子二人は何故か汗一つかかず涼し気だ。
咲夜は「おはよう」と短く挨拶を交わして教室へと入っていった。
「ふふ、朝から汗も滴るいい男見れたね~。」
椎名さんが冗談めかしに言いながら笑う。
「あれ、翔はいい男に入らないの?」
若干照れてアワアワする彼女を、佐伯さんもクスクス微笑んで見ていた。
その後トイレで着替えを済ませて、無事1限目の講義を終えて、皆一様に筆記用具を片付けてばらけていく中、漏れそうになる欠伸を堪えながらぐ~っと伸びをした。
「咲夜次は?」
「空いてる・・・。どうしようかな。」
隣に座った咲夜も気だるげに立ち上がって、とりあえず一緒に教室を出た。
「蒸し暑い中出たくないし・・・図書室で涼んでようかな・・・」
「そうしろ~」
女子の注目を浴びながら隣を歩く咲夜は、ホントに心底暑いのが苦手なんだろう、顔色まで悪くなって少し心配だ。
「あ!!イケメン二匹!!」
元気いっぱいな声がして振り返ると、小鳥遊先輩が勢いよくこちらに走ってきた。
「あ・・・どうも・・・」
「西田くん!!そして高津咲夜くん!!お久しぶり!」
咲夜はチラっと先輩を一瞥して、そのまますたこら廊下を早足で歩いていく。
「うぉい!先輩をシカトか!!」
「すいません、咲夜はあんま人に絡まれたくない奴なんで・・・勘弁してあげてください。」
「ふん・・・まぁいい。で、西田くん返事を聞き損ねていたんだけど・・・ミスターコンどうする?」
「・・・・・・あ~!そういや・・・・・スッカリ忘れてました・・・。」
先輩は腕組みをして一つ息をつくと、何か思案するように瞳を泳がせて、次に口元に手を当てた。
「まぁ・・・参加出来なくても何人か当てが出来たことは出来たんだが・・・。イケメンが多いに越したことないからなぁ。目の保養だし。毎年うちのミスターコンって好評だからさ。誌面も賑わって皆よく見てくれるし~♪」
「そうなんですか・・・。でもあの・・・一発芸的な・・・アピールタイムみたいなんあるんですよね?」
「ああ、あるよ。参加人数によってちょっと時間は左右するけど、だいたい一人3分程度の。」
何分自分にはパッと披露できる特技がないのが悩みだ。
「考えたんですけど・・・ないんですよねぇ・・・こう・・・パッとしたもんが・・・。残念ですけど参加はやめとこうかなって思います。」
先輩はじーっと俺を見上げて、くいっとメガネを押し上げる。
「そうか。いいよ、無理言って悪かったね!んじゃ!」
案外あっさりと引き下がった先輩は、また忙しそうにどこかに駆けて行った。
次の教室に入って、スマホを取り出しながら適当な席につく。
最近色々出かけてたし・・・ちょっと金欠気味だなぁ・・・
夏季限定のバイトでもやるかなぁ・・・
なんか・・・俺遊ぶためのお金稼いでるだけだな・・・
来年は忙しくなると思うと、今遊ばなきゃなぁなんて思ってしまう。
体をグタっと机に突っ伏して、ひんやりした感触を感じながら、ボーっとあれこれ考えた。
あ~短期間で色々あったせいで、ちょっと疲れてんのかなぁ~~・・・交友関係広がったのはいいけど・・・精神的にちょっと振り回され過ぎ・・・
ふと焦点の合ってない視線の先に、座っていた佐伯さんがじっとこっちを見ていることに気付いた。
スッと体を起こすと、彼女は口元に手を当ててクスクス笑った。
かわい・・・・・も~~・・・・
ニヤつきそうになるのを堪えて頬杖をつくと、一人で座っていた彼女はそっと席を立ってこちらにやってきた。
「ふふ、お疲れ。一緒に座っていい?」
「うん・・・いいよ。」
並んで腰かける彼女は、どこか前より嬉しそうに会話を始めた。




