第23話
月曜日の2限目、登校して講義室に入ると、背中からドン!と衝撃を受けた。
「おっはよ!」
「おはよ翔。」
翔はニマニマした顔をして俺の腕を引きながら適当な席についた。
「どした?」
「昨日連絡して聞こうと思ってて、美羽と一緒だったから忘れてた!」
「へ?なに?課題写させてとか?」
「違うわ!課題は美羽とやったわ!そうじゃなくて!」
翔は少しあたりをキョロキョロしてから小声で言った。
「んで?土曜日あの後・・・佐伯さんとどうなった?」
「・・・えぇ?どうって・・・しばらく色々話してて、今度ランチでも行こっかぁってなって・・・ああ、サークルで作ってたぬいぐるみとか見せてもらったよ。」
「で?で?」
「でって・・・何さ・・・何もないよ?その後帰ったよ。」
翔はニヤついていた表情を解いて、ポカンとした。
「え・・・二人っきりになって何もしなかったの?」
「・・・・・・言いたいことはわかるけどさ・・・・。佐伯さんの立場からしてみなよ、ただのゼミの知り合いの男子に、いきなり襲われたら事件だよ。」
「・・・ええ~?ただの知り合いっていうかさぁ・・・だいぶ知り合いだし・・・いいなぁって思ってるかもしんないじゃん。」
「・・・・だとしてもだよ?いきなりそういう関係になるのは・・・あんましたくないんだよ。」
「・・・ん~?そういう関係になってさ、俺たち付きあおっか?ってなるじゃん。」
「え、翔は椎名さんとそうなったってこと?」
「いや・・・俺は~・・・1年の時1回飲み会の帰りで、美羽んち行ってエッチしちゃったことあるけどさ・・・付き合ったのは、こないだ普通にデートして告白されたからだよ。」
「1回やってんだ・・・。別にそれはそれだけどさ、俺はそういうつもりなかったからいいじゃん。逆に俺がさ、そういうことあっさりする奴だと思った?」
「・・・ん~・・・思ってた。だって男だし、可愛い女の子好きだろうし。前の彼女とはそういう感じで付き合ったって言ってたし。」
「・・・・まぁそうなんだけど・・・・。今だから言うけどさ・・・俺桐谷と遊びで付き合ってた時も、エッチしてないからね。」
「えっ!!!!!」
「声でか!」
衆目を集める翔の口を思わず塞いだ。
「翔、もういいだろ?静かにしてような?」
翔は俺の手をどけて息をついて、改めてひそひそ話した。
「え・・・、セフレになろってことで付き合ってたわけじゃないんだ?」
「違うよ・・・・・まぁ・・・未遂だよ・・・」
ため息をついて鞄を開けて勉強用具を取り出した。
翔は「ふぅん・・・」といつものように考え込みながら静かになった。
「よ、おつかれ~~」
パッと見上げると眠そうな桐谷が立っていた。
「あ・・・おつかれ・・・」
気だるく髪の毛をかき上げる彼を見ていると、翔のせいでちょっとそういうことをした場面を思い出す。
横にずれてスペースを作ると、桐谷はノソノソと隣に座った。
眠そうに気だるそうにしている桐谷を、未だに可愛いなとか思ってしまう。
翔は一つ前の席からじっと桐谷の顔を覗き込んで、問いかけた。
「桐谷ぁ、何で最近眠そうなの?彼女でも出来た?」
「・・・?なんで眠そうだと女がいるってことになるんだよ。」
「え、お泊りしてエッチし放題かなって。」
「そりゃお前だろ。」
「はは・・・」
思わず乾いた笑いが漏れると、翔は不満そうに口元をゆがめた。
「そうだけどさ!大丈夫かな、元気かな?って確認してんじゃん!」
子供のように駄々をこねる翔を、桐谷は優しい手つきで撫でた。
「はいはい、お気遣いど~も。だいじょぶで~~す。」
学際に参加するための生け花で忙しいんだろうけど、恐らく翔にあれこれ聞かれたくないんだろうし、俺は特に何も言わずにいることにした。
翔は俺と桐谷を交互に見ながら言った。
「俺はさ~・・・お前らみたいなイケメンで中身もいい奴らが、周りから軽視されてるのがやなんだよ。咲夜もすげぇ誤解されるしさ・・・よく知りもしねぇのに浅はかじゃん?」
意外な本音に俺も桐谷も思わず黙った。
すっかり拗ねた様子の翔に、桐谷はまた手を差し出して、髪の毛を弄ぶように触った。
「よくわかんねぇけど・・・万人に好かれる奴なんて存在しねぇだろ。あの外面いい咲夜ですら嫌う奴はいるし。モテたいと思うことはねぇし、皆が皆俺らを悪く思ってる人間ばっかじゃねぇ。イメージが悪いからって気にしてくれてんのはわかるけど、俺はそもそもそんなこたぁどうでもいい。友達としてそれが気になるっていうお前の言い分はわかった。けど周りからどう見られようが関係ない。」
桐谷は終始眠そうな口調で言った。
翔はつままれている髪の毛を気にせずに、上目遣いで言った。
「確固たるアイデンティティ?・・・西田は?悪口陰口知ったらやじゃない?」
「やじゃないよ。翔や桐谷や咲夜がいるから。わかってくれる友達がいるなら十分だよ。」
「あ~!西田が泣かせようとしてる!」
「お前よくもまぁ・・・歯が浮くようなセリフさっと言えるよなぁ・・・。」
個性ある二人のリアクションに苦笑いが漏れた。
「泣かせようと思ってないし・・・恥ずかしいとも思ってないよ。」
桐谷は頬杖をついてまたため息をつき、ボソっと呟いた。
「まぁ・・・翔の言う通り、いい奴なのに報われないっていうのが納得いかねぇっていうのは、西田を見てると俺も思うわ。」
そういや桐谷はそんな風に思ってくれてたんだな・・・
「・・・桐谷は西田に対してラブはないの?」
あろうことかそんな質問をする翔に、俺も桐谷も硬直した。
チラリと横目で伺うと、桐谷は相変わらず無表情だ。
「・・・・さぁな。俺はそんなもん知らずに生きてきたんだよ。教えてくれよ、どういう時に自分の愛を自覚すんだ?」
薄笑いを浮かべながら桐谷はそう言った。
翔は「ん~」と口元に手を当てて、視線をキョロキョロさせる。
「そうだなぁ・・・なんていうか・・・相手の言動にいちいちドキドキしたり、いつの間にか何してるかなとか、会いたいなぁとか、考えちゃう時かな。」
意外にも素直でかつ当然の答えを翔は出した。
「へぇ・・・なるほどな、無意識に相手を想う気持ちがあるってことか。」
桐谷は腑に落ちたように少し考えて、俺の顔をじーーっと見た。
「・・・俺は翔が言う愛情はないかもな。常時考えてることってのは、自分が今何をしたいかっていうことが多い。こなすべきことを成して、その後は何をしたらいいか、何をしたいかをずっと考えてる。誰かを想うことはほとんどない。もちろん予定が入ってたり、言われたことが気になってたりしたら考えることはあるけどな。」
「ふぅん・・・そっか。・・・西田ごめんな?余計なこと勝手に聞いて。」
「・・・・・・いや・・・。」
その後の1日の流れをほとんど覚えていない。気付いたら帰路に着いていた。
バイトがない日だったけど、桐谷のうちに向かう気にはなれなかった。
家に着いて自分の部屋に鞄を置いて、夕暮れ時でオレンジに染まったベッドに体を沈めた。
桐谷の中で、俺との関係は何も始まってなかったんだ。
わかってる。そんなことわかってるけど・・・俺は心の中で、どこかまだ好きだった。
一緒に居たかったから、家事をしてほしいという願いも受け入れたし、まだ自分は誰よりも特別な存在でいるんじゃないかと思ってた。
咲夜もそう言ってたし・・・
けど桐谷からしたらそんな気持ちは自覚出来ないし、必要性を感じないことなんだ。
「桐谷は・・・自分と他人の生きる世界を分けてるんだ・・・」
俺は何度心を折られなきゃならないんだろう。
無性に涙が出た。
心の中に残留していた気持ちが、いつしか根を張って育って・・・花開こうとしていたんだ。
泣けば泣くほどもっと育ってしまう気がした。
咲夜は桐谷に言うべきじゃないって言ってたけど・・・
俺ばっかりこんなに傷つくのは不公平だろ。
ポケットに入れていた、彼のうちの合鍵を握りしめた。