第2話
別れ話をしたその日
彼女の予定していた夕食を二人で作って、一緒に食べた。
その後は沙奈の泣き腫らした目がずっと気になって、お風呂の後タオルで冷やしてあげた。
俺はそれから、出来るだけ未練を引きずらないためにどうしたらいいか考えた。
疲れた沙奈が早めに寝たのを確認して、ノートパソコンを開いて課題をこなした後、手早く色んな不動産サイトで物件を漁った。
とりあえずは大学の近くがいいだろう。交通の便もいいし、周りに店は何でもある。
ちょっと入った住宅街は静かで治安もいい。けど・・・やっぱり家賃はそこそこ高い・・・。
「・・・13万かぁ・・・。」
元々土地が高い地域ということもあってか、真新しいマンションの家賃は10万を優に超える。
同棲している間は両親から仕送りをもらっていなかったし、今更別れて一人暮らしになったから仕送り頼むってのはなぁ・・・
だったら実家帰ってこいって言われそうだよなぁ・・・けどどうせ就職して家出ることになったら一人暮らしすんだし・・・元手はかかる・・・
俺の両親は二人とも会社員だ。それも二人ともそこそこの役職についているので、金銭的に困っていないとは思う。
けどわりとお金にはシビアな人達で、俺が甘えたことを言っても許してくれないだろう。
だからと言って安い物件を探すのに手間取って、時間を食うのは沙奈に申し訳ない。
「あ~~・・・実家帰るしかねぇかなぁ・・・。」
多少の妥協は必要だ。沙奈からしたら一緒にいても気まずいだろうし、過ごしにくいことは目に見えてる。
俺は俺で、女性として好きじゃなくなってきた・・・と言っても、1年半も一緒にいたから色んなことに気を回してしまうし、俺の意志とは関係ない本能で彼女を襲ってしまわなくもない。
しょうがない・・・実家に連絡して帰ろう・・・。
不本意ではあるけど、どうせ大学生活は後丸2年だ。その間に出来るだけ金は貯めて、就職してまとまった金が作れたら改めて一人暮らしだ。
俺の中でのプランが決まって、その日はようやく・・・・寝れるはずだけど~・・・
あ~・・・いっつも同じベッドで一緒に寝てたし・・・布団ねぇんだよなぁ・・・
寝室でぐっすり眠っている沙奈の寝顔を見て、さすがにこっそり入るわけにはいかない。
たぶん彼女は気にしないだろうが、俺は気になる。
しゃあねぇ・・・ソファで寝るか・・・。
4月に入ったけど夜は少し肌寒いので、俺はクローゼットからダウンジャケットを取り出し、布団代わりにかけて寝ることにした。
フワフワした柔らかくて温かい空気の中にいた気がする・・・。
夢を見てた。いつもよりフカフカの布団の中、隣にいつも通り沙奈がいた。
優しい笑みを浮かべて、俺の髪を撫でていた。
「円香・・・」
沙奈の優しくて可愛い声が好きだった。
一生懸命で笑顔が可愛いところも、真面目で頑張り屋なとこも。
「ごめんな、沙奈・・・。でもさ・・・このまま同じ生活が続くなら・・・俺・・・沙奈のこと嫌いになりそうで嫌だったんだ・・・。沙奈は何も悪くないのに・・・」
1年半だ。大学1回生の夏から、沙奈と付き合っていた。
浮気されて彼氏にフラれたという沙奈の話を、最初はなんとなしに聞いてあげてたくらいだった。
たまたま近所に住んでいたから知り合って、たまたまデートして仲良くなった。
一緒に遊びに行った場所や、家で過ごした何気ない場面が見える。
夢の中は都合がいいもんで、隣で横になっていた彼女と、あろうことかそのまま体を重ねた。
何でも知っている気になってた。
彼女の口癖も、好みも、苦手なものも、どういう俺が好きなのかも、エッチの時どこが気持いいのかも。
全部全部自分だけのもので、俺を頼りにしてくれているから、俺を好きでいてくれるから、家に帰ってきてくれるんだと思ってた。
けど違う・・・俺はたぶん・・・都合よく甘えられるペットだった。
甘いどうしようもない夢から覚めたその日・・・
あまり記憶のないまま午前中を過ごして、はたと気が付くとカフェテリアの前にいた。
学生が騒がしく出入りする入り口で、ボーっと突っ立ってるのはまずいと思って中へ入った。
適当なメニューに目をつけて頼んで、お盆を持って空いてるテーブルについた。
「はぁ・・・」
正直もう何も考えたくない、ってのが本音だ。これまでが考えすぎてた。
箸を取っておかずを口に運んでも、あまり味はしない。
何度もため息をつきながら、皆が楽しそうに食事をする風景を、どこか他人事のように眺めた。
「おつかれ。」
ガタっと目の前の椅子を引いて、桐谷が席についた。
「・・・おう・・・」
桐谷はチラっと俺の顔を見ただけで、特に何も言わず同じく食事を始めた。
桐谷は時たま、心の中を読んでるのか?と思える質問をしてきたりする。
けど今は何となく、何も話したくなくて淡々と食事を進めた。
そうだ・・・親に連絡入れとかないと・・・。
別に帰る分には特に文句言われないだろう・・・。
そう思いつつ、余計なやり取りは避けたかったので、簡潔に『彼女と別れたから、実家に帰ろうと思う。』と送った。
あれ・・・
「な、桐谷・・・・咲夜は?今日」
俺が尋ねると、桐谷はパッと顔を上げて気だるそうに少し顔を傾ける。
「ん、あいつ今日昼まで・・・。家で食うからってもう帰ったよ。」
「あ、そうか・・・。」
相談乗ってもらったし、今度なんかお礼するか・・・
家の荷物は・・・とりあえず段ボール一つに、今すぐいるような衣類まとめて郵送して・・・・後の物はちょいちょい取りに帰る感じでいいか・・・。
別れを無事切り出して、恐らく了承をもらえたけど・・・こんなにもモヤモヤしてスッキリしないのは・・・
沙奈をめちゃくちゃ傷つけたってのがわかってるからだ。
それに俺も傷ついてるのは、まだ少しは好きだから?でも・・・もう一人になりたいんだよなぁ・・・
「なぁ・・・」
「へ?!」
不意に桐谷に声をかけられて、思わず情けない声が出た。
「・・・なに?」
「西田さ、甘いもん好きだったよな?」
「・・・・え・・・・ああ・・・・まぁ・・・好きだよ。」
桐谷は無類の甘党だ。よく咲夜に心配されていたのを覚えてる。
「最近俺控えてたんだ。一回虫歯になったし・・・。んでもどうしても食べに行きたいやつがあって・・・一回控えてたらだんだん忘れてくるから、そんなに執着してなかったんだけど、でもこないだ目の前を通ったらいい匂いしてさ・・・」
桐谷が珍しく自分の好きなものを語っている・・・。
「ふ・・・なにさ、パフェとか?クレープ?」
「わっかんねぇの、店の名前見たけど、なんて書いてんのかよくわかんなくてさ・・・。んでも場所は知ってるし、毎回行列出来てるからすぐわかる。たぶんこう・・・チュロス的なもんだと思う。」
「へぇ・・・」
「食いに行こうよ。」
意外だった。桐谷が行列が出来てるような店に行きたがるなんて・・・。
「まぁ・・・うん・・・。」
その後昼過ぎの講義を終えて、俺たちは二人で原宿に向かった。
しかもまさかの竹下通り・・・いつも思うけどここは人がごった返してる。
若い子たちが奇抜な格好をして歩いて、あちこちから色んな匂いがしてて、一度4人でぶらつきに来た時、翔は子供のようにはしゃいでいたのに対して、咲夜は人込みで気持ち悪くなって先に帰ったっけ・・・。
「桐谷がこんなとこ歩いて店見つけるって意外だったわ・・・」
俺が隣を歩く桐谷を見ると、パーカーのポケットに手をつっこんで彼は、姿勢が悪いからか俺より低い目線で見上げた。
「うっそぷーーー」
「へ??」
「来るわけねぇじゃん、こんなとこ・・・。ネットで話題になってんの知って、食いたくなったのはホントだけど。」
相変わらずボソボソと聞こえる低い声でそう言うと、桐谷は咲夜に似た意地悪そうな笑みを見せた。
「どうでもいいとこに来て、どうでもいい思い出になるような、どうでもいいもん食って、どうでもいい話してやろうかなぁって、西田の貴重な時間をどうでもいい時間にしてやれ~って、俺の嫌がらせだよ。」
そう言って一歩先を歩いていく桐谷を、人込みで見失わないように歩いた。
「ふ・・・何だよそれ・・・」
そのうち「疲れた」と言って適当なベンチに腰かけた桐谷に、自販機で買ったカフェオレを手渡してやった。
「さ~んきゅ」
「店はもうちょっと先か?」
「ん、もう数十メートル。すぐ行列見えるだろうし、派手な看板で分かると思う。」
「そっか・・・」
同じく缶コーヒーを開けて口をつけると、ふっと目の前に影が落ちる。
「あの~・・・」
桐谷と二人して見上げると、ロリータ?っぽい格好をした人形のような女の子二人組が、ニコニコして話しかけてきた。
「はい?」
「あのあの・・・お兄さんたちお暇だったりします?」
「えっと・・・暇というか・・・目的はあって休憩中ですけど・・・」
二人は恥ずかしそうに目を見合わせながら続けた。
「あの・・・カッコイイなぁと思って・・・良かったら~・・・カラオケとか・・・あ、ホテルでもいいですけど・・・行かないですかぁ?」
ナンパだと理解してチラリと桐谷に視線を送ると、何故か当事者なのに第三者らしくスマホを眺めていた。
「えっと・・・・・すいません、そういうのはちょっと・・・」
「え~・・・連絡先とか聞いちゃダメですか~?」
最近の子は積極的だな・・・
女子高生か、もしくはもう少し年下かもしれない。
俺がどういう断り方をしたらいいか思案していると、唐突に桐谷が口を開いた。
「君ら何歳?」
「え・・・15歳です。こっちの子は14歳です。」
「俺らは大学3回で二十歳。流石に君らくらいの子に手ぇ出したら犯罪だからさ、勘弁して。」
「え~?でも・・・」
彼女たちの返事を待たず、桐谷は俺の手をパッと取って立ち上がって歩き出した。
「・・・西田ぁ、あれだ・・・。あそこの店。」
「へ?ああ・・・・」
桐谷は俺の手をそのまま繋いで、ずいずい進んで行く。
「西田、相手のためにハッキリ言うことは言っていいんだぞ。相手がどう思うかとか、傷つかないようにとか、そういう配慮が出来るのはお前のいいところだとは思う。けど世の中ってのはな、毎回お前の都合のいい返事を返してくれる奴ばっかじゃねぇ。強かで狡猾に、お前を貶めようとする奴は、大人になりゃいくらでも湧いてくる。ウジ虫みたいなクズが人間には存在する。俺はお前がガキだとは思ってないけど、優しすぎる人間ってのは、損をしてても無意識に自己犠牲の精神を絶やさなかったりする。お前は馬鹿じゃないだろ?ずるくなれとは言わない。お前のアイデンティティを否定しない。お前が変化したい時に、変化したい場所で生きていくと思う。俺も咲夜も翔も、西田が知らんとこで傷ついて、傷ついてんの隠してんのもわかってる。ただ・・・俺らはわかってるっていうことは、わかっとけ。」
桐谷がそんなに長い言葉を話しているのを、久しぶりに聞いた。
人込みの騒がしい中、ちゃんと聞こえるように声を張っていた。
「ここだ・・・行列だっり・・・西田、途中でやっぱヤダったら・・・」
列の最後尾について振り返った桐谷は、俺の手をパッと放して驚いた表情をしていた。
「な・・・・・」
「へ・・・?あ・・・わり・・・」
無意識にボロボロ涙がこぼれていて、慌ててそれを拭った。
喉元につっかえていた苦しいものが、熱くて痛い涙になって頬を伝った。
沙奈が謝りながら泣いてたのを見ても、俺は泣かなかったのに・・・
袖で拭いながら鼻水をすすって、鞄からティッシュを取り出した。
「ふぅ・・・ごめん桐谷・・・はぁ・・・だいじょぶ。」
列の前を並んでいた女性客も、若干心配そうに視線を送っていた。
「俺が・・・泣かせたみたいになってんだろ・・・」
「はは・・・そうだよな。ってかそうじゃね?」
「ふざけんな・・・」
目は真っ赤かもしれないけど、何だか心は少し軽くて、桐谷が何か弁明するのが可笑しくて、久々に気持ちよく笑った気がした。