第15話
梅雨が近づいて暑さを増していた或る日、いつものようになんとなしにバイト帰りに桐谷のうちに寄った。
「あれ・・・まだ帰ってないのか・・・。」
22時半を過ぎていたけど不在だったので、荷物を置いて少し休憩してから、桐谷が雑に取り込んでいた洗濯物を畳んだ。
箪笥やクローゼットに洋服をしまっていると、以前目についた適当に置かれた段ボールが、随分と埃をかぶっていた。
気になったので掃除用具を探して半開きになった蓋の埃を取ると、中に入っていた何かがキラっと光った。
「・・・何入ってんだろ・・・。」
チラっとなら見ても問題ないかな・・・。触らなければ大丈夫かな。
そう思いながら好奇心が勝ってそっと蓋を開けると、そこには金色に輝く大小様々なトロフィーや盾が、雑にいくつも入れられていた。
「え・・・・何これ・・・・」
さすがに何のトロフィーか気になって手に取ると、そこには『全国高校生 生け花コンテスト 優勝』と刻まれている。
他のものも確認すると、中学生の頃に獲得したであろう金賞のトロフィー。それもどうやら、中学1年生の時から、高校を卒業する年まで、毎年全ての大会を優勝しているようだった。
「ええ・・・・?すご・・・・」
トロフィー以外の物を見ると、学生の大会ではないっぽい優秀賞の盾だった。
気になったのでスマホで確認してみると、どうやら一般参加出来るもので、プロも出場するような大会だと書いてあった。
それもすべてが最優秀賞・・・。
ミカン箱サイズの段ボールいっぱいに入ったそれらは、立派なトロフィー棚を設けて飾っていい量がある。
自分の知らない桐谷の経歴だ。
俺が想像もしない技術を、彼は持っている。
俺は更にスマホで桐谷のフルネームを検索した。
案の定いくつもの大会で優勝した経歴を称えるものから、雑誌や新聞に取り上げられた記事がいくつも出てきた。
その界隈では『生け花王子』とまで名づけられて、かなり有名人のようだ。
今の大学に進学したことまで知られているようだけど、大学入学以降は大会などに出場することもなく、本人が受けたインタビュー記事にも、プロや講師になる意志はないと発言していたようだ。
テレビなどのメディアからも取材が来ていたようだけど、その一切を断っていて、更に気になる記事を一つ見つけた。
『生け花大会6年間総なめ!桐谷 春 かの有名な華道の家元の子息だった!』
そこには桐谷が前に話していた母親の実家や、両親と実家との不仲説、ついでには桐谷の右目を失明した真相など、ありとあらゆることに尾ひれがついた記事が書かれていた。
よく見る芸能人のスキャンダルを取材する週刊誌だ。たった一ページだけど、桐谷自身その見た目で人気があったからか、当時のSNSでの記事や、ファンやアンチの発言まで検索していないのに出てくる始末。
俺は酷い胸やけを覚えて画面を閉じて、手に取って触ってしまったものを、また丁寧にしまった。
何も知らなかった。桐谷はどういう気持ちだっただろう。
6年間優勝し続けるって、半端な才能と努力じゃないはずだ。
けど家のことが公になって・・・辞めてしまった?
俺の浅はかな推測は何の意味も持たない。
重い体を立ち上がらせてボーっとソファに戻ると、カチャっと鍵を回す音がした。
無意識に体が動いて出迎えに行くと、桐谷はパッと俺を見て、いつもと変わらない様子で「おう」とだけ言った。
「おかえり・・・」
「・・・あ?ああ・・・ただいま・・・。どうした」
「いや・・・・あ、シャワー借りていい?」
「おう。てか別に断り入れなくても勝手に俺の着替え取って入れよ。」
彼はぶっきらぼうにそう言って部屋に上がり、疲れた様子で息をついた。
言われた通り着替えを借りて、さっとシャワーを浴びて続いて入る桐谷に譲った。
ドライヤーを先にリビングに持って待っていると、浴室から戻った桐谷は、髪の毛をタオルで拭きながら冷蔵庫に手をかける。
「なんか買ってきて飲んでた?」
「・・・いや、今日は何にも」
「は?マジで?お前何時からいんの?」
「えっと・・・22時半くらい?」
「ふ・・・1時間以上も何も飲んでないんかよ。」
俺が側に行くと、桐谷は俺にグラスに淹れた冷たい緑茶を手渡した。
「ありがとう・・・。」
「馬鹿野郎が・・・」
「え?」
同じくお茶をグイっと飲み干して、桐谷は流し目で俺を見た。
「何だよその辛気臭い雰囲気・・・言いたいことあんなら言えよ。」
「・・・・あれ、桐谷なんか身長ちょっと伸びてない?」
ふと目線が同じくらいになっていることに気付いて言うと、桐谷はピクっと眉をしかめて、俺の首を徐に掴んでキスした。
思いの外深く重なるキスに興奮が増して、持っていたグラスをそっと置いて、桐谷の腰に手を回した。
パッと唇が離れて、もっと欲しくて顔を寄せると、いつもの綺麗な目が射貫くように俺を見た。
「調子乗んな。」
桐谷は俺のほっぺをむぎゅっとつまんで、さっと俺を避けるように離れた。
ソファにどかっと腰かけた桐谷はまた俺をジロっと見る。
「ドライヤーは?」
「はいはい・・・。」
希望通り髪の毛を丁寧に乾かすと、まだ少しイライラした様子で俺を見るので、カチリとドライヤーを切った後、正直に話すことにした。
「あのさ・・・寝室の段ボール勝手に見ちゃって・・・」
桐谷は特に表情を変えずに黙ると、「ふぅん」と言った。
「なるほど。素直な反応してねぇってことは、ネット検索でもしたか。それで色々気ぃ遣って考え込んでたんか?つくづく損な性分だなぁ。」
「・・・どうせそうですよ・・・。けどなんかさ・・・すごい才能あるのに、ああいう世間の目で辞めることになったんかなって思って、桐谷はどう思ってたんだろって・・・知らない所ですげぇ傷ついてたんかもなって変な同情しちゃったんだよ。たぶん桐谷はそんなのごめんだろうと思うし、ホント勝手なことしてごめん。」
「ふ・・・ば~か。アホ・・・・ボケ。」
「口悪ぅ・・・。」
桐谷は足を組んで頬杖をついた。
「今確信したわ。俺はどうあってもお前を好きにはならない。お前が女でめちゃくちゃタイプだったとしても好きにはならない。俺が女だったとしても、お前のことは絶対好きになる対象じゃない。」
「・・・・言い切ったね。」
桐谷はふっと笑みを浮かべて俺の頭を優しく撫でた。
「友達としてはお前はいい奴だ。けど俺とお前じゃそもそも持ち合わせてる性質や、感性がまるで違う。俺が感じていること、考えてることを説明したらわかるかもしれないけど、こう思っていてほしいっていうところにお前は辿り着かない。言ってる意味わかるか?」
「・・・・わかんないかもしんない。」
「世の中の見え方が違うんだよ。そりゃお前は賢い方だし、説明出来たらいくらでも分かってくれるとは思う。けど少なくとも俺は、いちいち説明しないとわからない奴を特別な相手として意識して好きだとは思えない。何故かというと、今まで20年間生きてきて、唯一惹かれた相手がいた。それは俺が参加し続けてた大会を支援していたその道のプロで、皇室に招かれて作品を献上するほどの人間だった。心酔してたわけじゃない、目の前でその人を見たこともあるし、大会で話しかけられたこともある。尊敬っていう意識以上に、煮えたぎるくらい体は熱くなったし、もっと話していたいと思ったし、触れたいと思ったし、心も体も異常なほど反応した。・・・手に入らない人だし、手が届かない存在だけどな。」
桐谷は立ち上がってまたキッチンに向かった。
「その人を想った時くらいだ、興奮して眠れなくなったり、自分の性欲を感じたのは。髪の毛の一本、指先一つ、口元が動くだけで、喉から手が出るほど欲しいと思ってた。そういう自分の気持ちの全てが、絶対に叶わないとわかっているのに、不毛でしかないのに俺は会いたくて大会に参加してた。俺を見てほしくて、誰にも優勝は譲らない努力をしてた。」
桐谷は俺の分のプリンも持ってきてまた腰かけた。
「ふぅ・・・まだ俺の無駄話聞くか?」
「聞きたい。」
「ふ・・・何で?」
桐谷の左目の中に、俺が映っているようで映っていない。
「・・・・桐谷に手が届かないなら、その考えや思い出の一つにでも触れたいから。」
桐谷は苦笑いしてプリンの蓋を開けた。
俺が今まで、欲を満たしたいがためにキスしていたことが、そうした遊びの全てが恥ずかしく思えた。