第1話
「はぁ・・・」
やっべ思わずため息出ちゃった。
いつもの若干騒がしい学食で、俺は咲夜の隣で昼食を食べ終えたところだった。
俺のあからさまなため息を聞いて、同じくスマホを眺めていた咲夜はチラリとこちらを見た。
「・・・どうしたぁ?」
「・・・いや・・・」
頭の中で俺は、彼女の顔を思い浮かべては消した。
そして自覚している気持ちを、何とか認めたくなくて葛藤している。
「あ~~~・・・・・・も~~~・・・・な~~~咲夜ぁあぁああ」
俺が突っ伏してスライムのように溶けて腕を伸ばすと、咲夜は眉をひそめた。
「なになに・・・・だいじょぶか?」
「ちょっと・・・マジさ・・・一旦落ち着いてガッツリ聞いてほしいかもしんねぇ・・・・」
俺がそう漏らすと、咲夜はスンと真剣な顔つきになってスマホを見た。
咲夜 「今日バイトあんの?」
「ないよ~」
「4限終わってから時間ある?」
「あるよ~・・・彼女今日も仕事遅くなるだろうし・・・。え、家来る?」
「ん、行くわ」
「え・・・彼女と予定ないの?」
「・・・いいから。聞いてほしいんでしょ?」
ったく・・・咲夜マジで中身もイケメンかよぉ・・・
正直もう抱えこんで考えすぎていたので、その日珍しく友達を家に呼ぶことになった。
家と言っても、元は彼女のうちだ。俺が転がり込むように同棲が始まった。
講義をすべて終えて帰路に就いた俺たちは、コンビニで適当にお菓子や飲み物を購入して、うちの玄関を開けた。
「適当に座って~」
「うん。お邪魔します。」
ソファに腰かけた咲夜をキッチンから見ながら、さっき買った飲み物をグラスに入れた。
なんか・・・どえらいイケメンが家にいると落ち着かねぇな・・・。
「ありがと。・・・で?」
腰を落ち着けて、ジュースを一口飲み、何から話そうかと思案する。
「一年半くらい付き合ってんだけどさ・・・」
「おん」
「じわじわとさ・・・好きな気持ちが薄れてってんのに気付いて・・・・別れたいなって・・・思うようになっちゃってさ・・・。彼女6つ上だし、社会人で、俺は学生なわけだけど、ちゃんと将来のことは考えてたつもりなんだよ。俺が卒業して、さぁ仕事頑張るぞ!ってなる時、彼女はもう30手前になるわけだからさ。女性はそういうの気にすんじゃん・・・。だからさ・・・早いうちにいい人見つけなさいっていうお母さんをあしらってるっていう話を聞いて、別に俺は挨拶行ってもいいよって言ってたし、彼女もそれは喜んでくれてたんだけどさ・・・。しんどそうでも、自分の仕事が楽しくて一生懸命な彼女を、支えてるつもりではあったんだけど・・・なんか遅くまで帰り待っててさ、或る日思っちゃって・・・・。あれ・・・俺こういう付き合いしたくないかもしんないなって・・・。でもさ・・・結婚の話も二人でちょっと考えたのにさ、今更そんな軽薄なこと言えないじゃん・・・。でも悲しいくらい自分の気持ちは変わんなくてさ・・・。別に彼女に嫌いなとこはないんだけど、同じ目線に立ててない付き合い方が、俺は嫌になってきてる・・・。」
他に誰もいない静かなリビングで、咲夜は黙って聞いていた。
「そんでさ・・・決定打みたいなことがあって・・・俺3月末誕生日なんだけど・・・社会人の人って職種によるけど、年度末はやっぱめっちゃ忙しいらしいじゃん。だからしゃあねぇんだけど・・・誕生日忘れられててさ~・・・んでも・・・今年の夏はボーナス入ったら旅行行こうね!って言ってくれて、ほとんど生活費は向こう持ちだし・・・一生懸命お金貯めてくれてんだなって思うとなんかさぁ・・・。遊びも行きづらくて、俺ほとんど断ってたじゃんか?」
「そうだね。というか・・・ここ数か月俺らどっこも一緒に行ってないな。」
「だな・・・・。マジでもう・・・なんか・・・どっちも別に悪くねぇんだけど、俺がもう無理かも・・・」
ソファにだらんともたれて、また深いため息が漏れた。
「・・・別れたら?」
「・・・・だよなぁ・・・」
「それだけ長く付き合ってたなら情はあると思うけど、今話したことを全部伝えなよ。それでやっぱりやっぱりって・・・ずるずる付き合ってたらどうなると思う?」
「・・・・どうなるかなぁ」
「西田が就職して稼げるようになったら状況は変わるかもしれないけど、一旦気持ち冷めといてもっかい持ち直すことってあんまない気がするよ。お互いが好きなように仕事してたら、すれ違いも起こりやすくなるだろうしね。それからやっぱり別れたい、別れてくださいって言ったらさ・・・それこそ彼女からしたら、結婚出来ると思ってたのに・・・ってなるじゃん。加えて実家から色々言われてる人なら、尚更余計なストレスを抱えてると思う。」
「うわ~~~的確~~~~アドバイス的確~~~~。」
咲夜の言い分にぐうの音も出ない自分がいる。
「切るなら今のうちに切ってあげな。」
「つらぁ・・・・・・。何がつれぇって・・・俺は年齢差とか関係なくずっと好きでいられると思ってたし、結婚したいなぁって思ってた時期もあるがゆえに、気持ちが冷める前に話し合えなかった自分が悔しい。」
咲夜はまた一口ジュースを飲んで息をついた。
「西田はさ、相手のことを考えすぎて行動する方じゃん。例えば晩御飯用意して待ってたとして、飲みに行ってくるって連絡が来たら、用意してたのにって言わないだろ?挙句帰りが遅くなったら絶対迎えに行くだろうし・・・どうせ誕生日忘れられた時も、何も言わなかったんじゃない?」
「言わなかった・・・。だって楽しそうに仕事の話されたし、頑張ってんだなぁ・・・ってそこは尊敬してるから・・・。まぁいっかって思っちゃった・・・。」
「てか誕生日忘れたことまだ向こう気付いてないの?」
「気づいてないね・・・。今は新年度だし、新人の育成で大変みたいよ。」
「お前・・・お母さんかよ。」
咲夜にそう言われて、自覚なかったけど、そうかも・・・と思った。
「西田が言った通り、同じ目線に立ててないんだな。彼女も無自覚かもしれないけど、そういうお前の、他人を優先しちゃう気質を知りながら気付いてあげられないんだとしたら、西田に合ってない相手なのかもよ?」
咲夜が十分に配慮してそう言ってくれているのが伝わった。
「無理してたんだろ?遊びの誘いも断って、飲みに行くなら心配して・・・我慢しててもそれを言わずに、傷ついてても何でもないって思いながら、遅くなっても待ってあげてさ。・・・いきなり別れるって話じゃなくても、ちょっとの間考える期間設けるっていうんでもいいんじゃない?」
「・・・うん・・・そうだな。」
何だかしんみり話を聞いてもらっていると、次第に涙が滲んできた。
「ふ・・・泣くな泣くな~」
咲夜にそう言われて袖で涙を拭って、乾いた笑いを返すと、不意に玄関のドアがガチャっと開いた音がした。
「ただいま~」
「あれ・・・やけにはや・・・」
彼女の声に慌てて玄関に向かうと、沙奈は出迎えた俺をニッコリ見つめた。
「誰か来てるの?友達?」
「あぁ、ごめん連絡してなくて・・・。めっちゃ早いじゃん。」
「ふふ、今日営業先から直帰出来たの~。久しぶりに一緒に夕飯作れるね。」
そう言って一緒にまたリビングに戻ると、咲夜は荷物を持って立ち上がったところだった。
「あ・・・咲夜悪い」
「いいよ、すみません勝手にお邪魔してて・・・」
「あ・・・いえいえ!ゆっくりしてっていいよ?まだ夕方だし・・・。良かったら夕飯食べてく?」
沙奈が気を遣ってそう言うと、咲夜はかぶりを振った。
「いえ、お気遣いありがとうございます。ちょっと話したい事があって来てただけなんで、もう用件も済みましたしお暇します。失礼します。」
咲夜は丁寧にお辞儀を返して玄関へと向かった。
その後咲夜をマンションの下まで見送ると、『大丈夫だから、頑張れ』と肩を叩いてくれた。
部屋に戻ると、沙奈は先に夕飯の準備を始めていた。
「おかえり。今日はさ~まどかが好きな角煮作っちゃうから♪」
俺を名前で呼ぶのは、親と沙奈だけだ。女の子のような名前が昔から苦手だった。
けど彼女は好きだと言ってくれたその名前を、沙奈が呼んでくれる度に俺も好きになっていた。
優しくて一生懸命な彼女を、好きでなくなっていっている自分が嫌だった。
「沙奈・・・」
「ん~?」
言わなきゃ・・・
「ちゃんと聞いてほしいことがあってさ・・・」
俺の声のトーンで異変を感じたのか、彼女は手を止めて一緒にソファに座ってくれた。
「あのさ・・・・俺ずっと色々・・・我慢して言えなかったことが多くて・・・」
「・・・そうなの?・・・なあに?」
「・・・沙奈・・・俺の誕生日いつか覚えてる?」
「え・・・・・3月でしょ?3月・・・・28日・・・・・・あ・・・・・え・・・・私・・・」
沙奈は忘れていたことを忘れていて、それに今気づいたことに怖くなったのか、狼狽えるように視線を泳がせて、だんだん青ざめていった。
「ごめ・・・私・・・」
「いや、それはもういいんだけどさ・・・。問題はさ・・・俺が言いたい気持ちをちゃんといちいち言えてなかったことなんだよ。」
沙奈は不安そうでたまらない目で俺を見た。
「遅くなっても待っていたいから待ってたけど・・・正直残業続いてると心配だったし、寂しかったよ。それでも一生懸命頑張ってるのは知ってたから、サポートしてあげなきゃなって・・・遊びに行くのも控えて弁当作ってあげたり・・・食費もあんまかかんないように気を付けてさ・・・。俺がバイトの時は帰る時間ずれるし、いつの間にか一緒にいる時間少なくなって、デートもしないようになっちゃったし・・・週末疲れてるだろうし休ませてあげよって思ってたんだけどさ、ホントは・・・色々デートしたかったんだよなぁ・・・。でもそういう気持ちの繰り返しをさ、なかなか言えなかった・・・ごめん。」
沙奈は俺の手をぎゅっと掴んだ。
「・・・私の方こそごめんね・・・。」
そのうち彼女の目からポロっと涙がこぼれて、何だか一層悲しくなって何も言えなくなる。
「泣かせるつもりはないんだけど・・・えっと・・・あ~・・・ダメだな・・・。この期に及んで俺まだ気ぃ遣って話してるな。」
沙奈が泣いているのは、俺の気持ちを考えて同情しているからか、自責の念かはわからない。
けど俺は言いたい事を今言えないと、今後も言えないんだとわかった。
「俺さ、正直・・・自分のせいでもあるけど、沙奈を好きな気持ちが薄れてる。だから・・・一生懸命頑張ってる沙奈は尊敬してるけど・・・別れたい。」
ハッキリとそう言った。
やっと言えた。知らないふりをしてきて、そうじゃないと振り切りたかった気持ちを、やっと伝えた。
沙奈は目を真っ赤にしたまま、呆然と俺を見つめていた。
そして瞬きするたびに涙が落ちて、やがて目を伏せて「ごめんね・・・」と何度も謝った。
単純な話だ。仕事と恋愛の両立が、彼女には出来なかった。俺がさせてあげられなかった。俺は自分のこういう付き合い方がいいという気持ちを、持ち続けていたし、彼女のためにそれを捨てられなかった。
「沙奈あのさ・・・別にその・・・嫌いになったとかじゃないし、人間として沙奈のことはすごく好きだよ。けど俺は未熟でさ、まだまだ子供でさ、社会人でもないからさ・・・どう気持ちに折り合いを付けたら、沙奈と一緒に生きていける恋人であり続けられるかわかんないんだ。それを一生懸命考えて一緒にいたいって思えるほどの気持ちがさ、もうないんだ。・・・・これでも結構悩んだし・・・結構考えてたよ・・・。別れないでいる方法ないかなって・・・でも・・・別れないでいるように気持ちを保つってなんだよって思っちゃってさ・・・」
沙奈は涙を拭って、また俺を真っすぐ見つめた。
「うん・・・。私が仕事で手一杯の時、一人で・・・・考えさせてごめんね。察せなくてごめん。」
「いいよ・・・。もう・・・ごめんって言われても好きな気持ちは戻んない。たぶん、どれだけ愛してるって言われても・・・。沙奈がどういう人かは少しは知ってるし、仕事に前向きで、俺の好物を作ってくれて、料理上手で、将来結婚したいってことまで考えてくれて、二人のために旅行行けるように貯金してくれてるのも知ってる。未練を持ってても、じゃあまた好きになれるかもしれないから頑張るかぁとか、失礼過ぎるし・・・沙奈が悲しむのを見たくないからやっぱり別れるのやめる、とかも言えない。そんな無責任な判断はしたくない。俺は今、沙奈にもし、別れたくないって言われて、妥協して関係を続けてても、何年か経って結婚しよって言われて出来ないよ。そうなったら沙奈の時間を無駄にすることになる。」
「・・・・もう・・・何を言っても変わらないの?」
沙奈とこんな風に話す時間をとれたことも、いつぶりかわからない。
「沙奈、俺が本当に悪かったのは、さっきも言ったけど・・・ちゃんと嫌だなって思った時に気持ちを言えなかったことなんだ。それは本当にごめん。察してくれよとか思ってたこともないけど、それは俺の悪い癖だから・・・。ただ・・・一つだけお願い聞いてほしい・・・。」
「・・・なに・・・?」
「俺に・・・別れたくないとか・・・縋らないで・・・。もう泣いてるの見たくないし、ちゃんとお互い納得して別れたい。」
沙奈の目から光が消えた気がした。
「ただ・・・今話したことは全部、俺の身勝手な気持ちでしかないし、いきなり全部わかってくれ、受け入れてくれっていうつもりじゃない。てか・・・ここ沙奈のうちだし・・・出て行くまでちょっと時間もらうことになるから・・・。」
そこまで言うと彼女は堪えきれないように泣き崩れた。
それを見るのもつらいけど、けど俺はそれから逃げることは出来ないし、別れるということは、相手を傷つけて振るということだから、沙奈の背中を撫でて抱きしめた。
沙奈はきっと、今日早く帰宅できることが嬉しくて、スーパーで俺の好物を作るために買い物をして、ゆっくり過ごせると思って帰ってきたんだ。
急に別れ話をされるなんて思ってもみなかっただろう。
けど贅沢を言うなら、我慢をしている俺に少しくらいは気付いてほしかった。
でもそれは絶対に言わない。言わなくても伝わっているだろうし、伝えたいことはちゃんと伝えられたから。
泣きじゃくる沙奈をなだめながら、涙と鼻水でぐじゅぐじゅになった顔にティッシュを渡してあげた。
しばらく止まる様子のない涙を、一生懸命また堪えようとしていたけど、俺に謝罪しながら泣き続けた。
沙奈の泣き顔なんて久しく見てなかった。うれし涙とかはあるけど・・・。
俺はボーっとそんなことを考えながら隣にいても、彼女への慈悲はもうないことを知った。
キスをしたり、最後だと思って抱いてやろうとか、そういう気持ちもなかった。
そんなおこがましいこと思えないし、彼女に追い打ちをかけて傷つける行為はしたくない。
やがてどれ程そうしていたか、俺の胸元で鼻をすすっていた沙奈は、真っ赤に腫らした目で俺を見上げた。
「まどか・・・」
「・・・ん?」
「ありがとう、話してくれて・・・。」
「うん・・・。」
「・・・いっぱい考えてくれてありがとう。・・・私・・・色々思い返してた・・・。あの時もあの時もあの時も・・・きっとまどかは我慢してくれてたって・・・。甘え切っててごめんね・・・。」
「・・・いいよ~。」
可愛い彼女の反省の言葉を受けて、思わずおでこにキスをしてしまった。
「私も・・・伝えたい事ちゃんと言っとくね。・・・大好きよ。」
無理に笑った沙奈の笑顔が、ぐさりと音を立てて心に突き刺さった。
痛くて動けないでいると、沙奈はそっと俺の唇にキスした。
その柔い感触が伝わっても、愛おしいと思いたくても湧いてこない気持ちに苛立ちすら覚えて、俺が全部悪かったんだと思いたくなった。
「前向きにさ・・・考えて別れたい・・・。お互い反省を活かして、次はいい人と付き合えるようにしよう。」
沙奈はゆっくり頷いた。




