大事なことはいつも忘れてしまう
酷く懐かしい匂いがした。
「ケント君?」
「ケント君!」
「ケント君!」
誰かに……呼ばれてる?
俺……の名前は、ケント?
「ねぇ、いつまで寝てるの。ケント君ってば」
肩をぐらぐら揺すられる。
やめてよ。頭がずきんずきん痛むんだ。
「起きてってば!」
揺れがさらに大きくなった。
ほっといてくれよ。
「起きて! 起きて!」
うるさいなぁ。
さっきから誰?
目をあけると、女の子がいた。
小学校低学年くらいの女の子。
「やっと起きた!」
あれ? お、ぼくは一体何をしてるんだ?
「君は…だれ?」
そう言うと、女の子はほっぺたをぷくぅと膨らませた。
「寝ぼけてるの? 私はカヲルよ!」
カヲル? 脳の奥に何かが引っ掛かる。
カヲル…….
「あっ、カヲルちゃんか!」
「わたしの顔を忘れちゃったの? ひどい!」
唇を尖らせて怒りを露わにする。
そして、ぼんぼこ肩を叩いてくる。
痛い、痛い。
あ、そういえば、ぼくは何をしてたんだっけ。すごく遠い場所に居たような……
気が付けば、夕焼けがぼくたちを赤く包んでいた。木々が陰に覆われる。
「あれ? ケント君泣いてるの? そんなに痛かった?」
心配そうに顔を近づけてきた。
ん? 泣いてる?
顔を触ると、手が冷たかった。そして、服がべっしょり濡れていた。
なんで泣いてるんだっけ。
*******
「ケント君、ハンバーグおいしい?」
「うん。とってもおいしい!」
「あらそう、良かった」
カヲルちゃんのお母さんは料理上手だ。ハンバーグ、からあげ、カレーライス。隠し味が効いてて、特別な味がする。何より温かい。
「ねぇ、聞いてママ」
うずうずしていたカヲルちゃんが言った。
「さっきね、ケント君が泣いてたんだよー。男の子なのにねー」
「あらまぁ、カヲルが何かしたんでしょう。
ほら、ケント君に謝りなさい」
「違うもん。わたしは何もしてなーい!」
カヲルちゃんのお母さんが「こらっ」とたしなめる。
カヲルちゃんは足をぶらぶら振って、ブーブー文句を言う。
「わたしじゃないもーん。ほんとだもーん」
その光景におもわず、くすっと笑いが込み上げた。どうしたものか、止まらない。最後はあははと声をあげて笑った。
お腹が痛い。
あぁ、楽しいな。
急に大笑いしたぼくを2人が訝しげに覗いた。
「ああ、ごめんね。つい、面白くって」
「そうだ、カヲルちゃんは何もしてないですよ」
「ほんと? ならいいのだけど」
カヲルちゃんのお母さんが不思議そうにぼくを見つめた。
「だから、言ったでしょー! ママ酷い!」
「あらあら、ごめんなさいね」
よしよしと頭を撫でられ、機嫌をなおすカヲルちゃん。
それは微笑ましい光景だった。
温かく、優しい。
いつまでも、留まりたかった。
でも──
「あら、もうこんな時間。そろそろ、ケント君は帰らないと」
「え、ぼくここに居たい」
「ダメよ、お母さんとお父さんが心配するわ」
優しい声音で囁かれる。
「また、きてね」
「ばいばーい!」
その瞬間、真っ暗な闇がぼくを覆った。
カヲルちゃんとカヲルちゃんのお母さんが離れていく。
「待って、行かないで!」
********
「さっぶぅ」
ひんやりした空気で目を覚ました。時計をみると、午前12:30。日付が変わっていた。
カーテンがゆらゆら煽られ、月明かりがふんわり落ちてくる。カーテンをひらくと遠くに満月が見えた。寝静まった街をひっそりと照らす。
「なんだか、すごく懐かしい夢をみていた気がする。なんだっけ」
窓を閉めて、今度こそ深い眠りについた。