木賃宿の一夜
九
「お二人で?」
古びた帳場の前で、上目遣いに木賃宿の親父
が喜三郎に尋ねた。
「そうだ」
そう、返事をすると宿の親父は机に置いた宿
帳を記しながら素っ気なく言った。
「薪代は、お二人で八十文ですが」
支払いを、済ませて上がり框に座り水を絞っ
た手ぬぐいで簡単に足を拭いた二人は、六畳間
程の広さの部屋にある囲炉裏端に陣取った。周
りには、二人と同じような旅の者が旅装を解い
たりしていたが、奥の部屋では人足風の男達が
博打に興じて時々奇声を上げたりしている。喜
三郎は、飯茶碗の中に持参していた干し飯を入
れその上に大根の干したものを乗せると、囲炉
裏から鉄瓶を取りお湯を掛けて夏に渡した。
「おい、飯を食ったら早く寝ろよ明日は夜明け
前にはここを出るからな」
そんな事を、言われなくとも空腹を満たした
夏は旅の疲れも相まって薄暗い部屋の囲炉裏
の日を見つめている内にいつのまにか寝てし
まっていた。夜半、夏は何かの物音で目を覚ま
した。それは、闇の中でうなされている喜三郎
の声だった。
「ウーウー ・ ・ ・ ウー」
暗い中で、しばらくその声を聞いていた夏だ
ったが余りに苦しそうな様子を見かねて体を揺
らすと喜三郎は眼を覚ました。
「 ・ ・ ・ ・ ・ 」
不審な、顔をしている夏をチラッと見た喜三
郎だったが顔を戻すと天井を見つめ何か思案
している風だった。喜三郎は、今回の旅では何
か解せぬものを感じていた。どこの、宿でも床
に就くと同じ夢を見てうなされるのである。そ
もそも、楼主から病気で死んだ遊女の穴埋めに
若い娘を用立ててくれと言われ奥羽の女衒仲間
に、当たりを付けて貰って目星の娘の所に赴い
たもののそこからが何かしら奇妙な事が続いて
いた。娘の家を、探して行ってみると昨日まで
元気でいたのに急に病気で寝込んでいたり神隠
しにあって行方知れずになってしまったと聞か
され結局一人の娘も買えず無駄足になった。
喜三郎は、女衒の生業を始めて二十年近くにな
るがこんな事は初めてで使いっ走りの頃から、
今まで上玉に当たらないことはあっても娘が見
つからないという事はまずなかった。それで、
あきらめかけていた時に居ず辺りに借金のかた
になっている娘が一人いると聞いてやって来た
のが、隣にいる夏だった。その夏に、面立ちが
どことなく似ているその昔関わりのあった一人
の娘を喜三郎は思い出していた。
「あの娘が、祟っている ・ ・ ・まさかな」
それは、喜三郎が女衒の使いっ走りから初め
て仕事を任され北の方に旅立つ前の夜の事であ
った。女衒を、取り仕切る頭領から呼ばれて部
屋まで行った時の事だ。
「喜三郎、解っているとは思うがこの稼業で食
って行くつもりなら女に情を掛ける事は一切な
らねえぞ」
「へえ ・ ・ ・ 」
喜三郎は、素直に頭を下げて返事をした。
「詰まるとこ、冷酷非道にならねえとこの商売
はつまづくって事だ。解るか、娘っ子を人と思
っちゃならねえ今からはお前の食い扶持を稼ぐ
商品と思う事だ」
「へえ」
喜三郎は、そんな解りきった事をくどくどと
言われ少し辟易して聞いていた。頭領に、恩義
を感じているの本当の事だし野良犬の様な暮ら
しをしていた自分を拾ってくれて女衒に必要な
証文の書き方や、面倒事の始末の付け方など楼
主との交渉も一から教えてもらっていた。こう
して、曲がりなりにも女衒の一人として仕事が
出来そうなのも全て頭領のおかげなのだが正座
している足が痺れてきた事もあってそろそろ部
屋に戻って明日の旅支度をやりてえと心の中で
考えていた。頭領の、付き人をしながら女衒の
仕事をこなして来た喜三郎は自分では一人前の
つもりでいた。少々、いやかなり天狗になって
いたのは否めなかったが後々その甘い考えが原
因で苦い経験を味わう羽目になるのである。
蒸し暑さが多少緩んだ木賃宿の外にたむろする
うるさい虫の音もいつの間にか静まりかけては
いたが、朝告げ鳥の鳴き声が聞こえるには早い
刻限で思案に少し疲れた喜三郎は目を閉じ時間
を掛けず眠りの中に入って行った。