表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末大江戸奇譚  作者: 村上蘭
6/34

翳りある追憶






  六





   喜三郎は、土間から板の間の上がり框の境に


  にある小さな縁台に座った。手順としては、娘


  に引導を渡さなければならない。もし、娘が愚


  図れば口八丁手八丁で吉原に行けば綺麗なべ


  べを着て毎日白い飯が食えるなどと良い事を


  並べ立て、それでも言う事を聞かない時は証文


  をたてに脅しにかかる事になるのだが、出来れ


  ば事を荒立てずに喜三郎としては話を運びたか


  った。あれこれ、そんな事に考えをめぐらしてい


  たら娘が手桶に水を汲んで運んで来た。




  「・ ・ ・ ・ ・」




   娘は、黙ったまま手桶を渡した。どうやら、


  これで足を洗えという事らしいなと喜三郎


  は思った。




  「お、済まねえな」




   そう、言いながら喜三郎は娘の品定めをして


  いた。吉原に、身売りされる娘はその見た目や


  器量の良しあしで極上、上玉、並玉、下玉と格


  付けされそれぞれの買値も違っていた。一番、


  肝心なのは器量が良いのは勿論そうなのだが


  娘の年が大事であった。大まかに、言えば五歳


  から十歳の若いと言うより幼女が重宝された。


  こう言う、子供は直ぐにお客を取らされる訳で


  は無く最初の内は禿かむろと呼ばれ、花魁の


  身のまわりの世話などしながら一人前の女郎に


  なる為の読み書きや礼儀作法だったりの躾を覚


  えさせられる事になる。やがて、歳を重ねると水


  揚げと呼ばれる儀式で初めて男を知る事になる。




  「あんた、名前は何て言うんだい?」




   手桶の水で、足の指を洗いながら喜三郎は娘


  に聞いた。




  「夏 ・ ・ ・」




  「そうかい、夏さんて言うのかい」





   手拭きで、濡れた足を丁寧に拭くと「ちょい


  と、上がらせて貰うよ」と言って喜三郎は上が


  り框からすぐの板張りの部屋に、ちょこなんと


  座っている源三の前で胡坐をかいた。




  「確か、源三さんて聞いたんだけどそれで良か


  ったかね」




   源三が、小さく頷いた。




  「昨夜は、この辺りを取り仕切る烏町の清五郎


  親分の所に世話になったんだが、その時の話で


  あんた清五郎親分の賭場で十両てえ大金を負け


  ちまったらしいね。それで、娘を吉原に奉公に出


  す羽目になっちまった。て、所までは良いかね」




   源三は、顔を上げず頷いた。いつの間に来


  たのか夏も源三の後ろに座っていた。




  「順序が、逆になったが俺は喜三郎と言って娘


  さんの様な身の上の人を、吉原まで送り届ける


  のを生業としている者だが、夏さんチョイと聞


  きてえがお前さん齢は幾つになるんだい」




  「十八 ・ ・ ・」




   俯いて、話を聞いていた夏はこの問いに答え


  る為につむりを上げた時まじかで喜三郎の顔が


  見えた。




  「・ ・ ・ ・ ・」




   その顔を、見た夏は喜三郎につい見とれてし


  まった。実は、喜三郎の声だけ聴いていた夏は


  勝手に顔を想像していた。その低く、押し殺した


  声から以前家に押しかけて来たやくざ者の様な


  ガラの悪い顔を思い浮かべていたのだが、思い


  の他の良い男っぷりに夏は自然と頬を赤らめて


  いた。夏の、微かな変化に喜三郎は気付かず話


  の続きを始めた。




   十八か、ところで源三さん娘さんは吉原に奉公


  に行くって事は得心していなさるのかい」




   源三は、夏の顔をチラッと見てから答えた。




  「へえ ・ ・ ・」




  「そんなら、話は早えやそれじゃ今日からあん


  たは十六だ。吉原に行ったら今俺が言った歳


  で通すんだ」




   夏は、納得いかぬ顔で喜三郎を見た。




  「なんで、おらが十六 ・ ・ ・」




   喜三郎は、ニヤリとして言った。




  「訳は簡単さ、あんたを出来るだけ高く買って


  貰う為だよ。まんま、十八で通したらそうさな


  あんたの買値は、下玉で三両が相場って所か


  な親父さんの借金が十両でそこから三両を引


  くと残りは七両それを背負うのは誰でもねえ


  夏さんあんただ。どうだい、あんたも早く借金


  返して年季明けしてえだろ。だったら、借金は


  少ねえ方が良いに決まってる。十八だと、三両


  だけど十六だとそれに上乗せ二両で合わせて


  五両にはなるというのが俺の算段だよ。差し引


  き残りは五両になる訳でこの二両は大きい」




   実際には、そう上手く行かないことは喜三郎


  には解っていた。吉原に、入った女は自分の化


  粧品や暮らし向きの品そして着るものその他


  全て自腹になる。全部、自身で払う事になるか


  ら大抵の物は借金が減るどころかどんどん増


  えて行くたとえ運良く年季明けしたとしても一


  度吉原の水を飲んでしまうと世間に馴染めず


  結局は、吉原の影が一生ついて回る事になる


  のだ。吉原と言う苦界に、一度身を落としたが


  最後この世の地獄が待っている重々承知だっ


  たが、何故かこの娘と話をする内つい口から


  出てしまったのだ。




  「でも、おら十六に見えるだか?」




   夏が、そのくるくるっとしたつぶらな瞳で聞


  いて来た。




  「大丈夫、お前さん見た目が幼いし可愛い顔を


  してるからから一つや二つ歳を誤魔化しても


  バレやしねえよ」




  「ほんとか?」




   その時、喜三郎は内心驚いていた。苦界に、


  今から堕ちて行く女とは思えない満面の笑顔


  を夏が見せていたからである。ふと、喜三郎は


  以前遠い昔にたったいま夏が見せた様な笑顔


  を見た事がある。そんな思いが、胸をよぎった


  が何かの思い違いだろうと心の中で直ぐに打


  ち消して話の続きを始めた。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ