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幕末大江戸奇譚  作者: 村上蘭
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序章






  幕末大江戸奇譚





  一




  「おら、伊豆の海が大好きだ。タライに、道具


  入れて大きく息を吸い込んでよ、海の中に潜る


  とそこには青くて音の無え、おらだけの場所が


  あるんだ。海の中だと、うじゃっこい事も忘れ


  られっかんな」




   なつは、今年十八歳になる娘である。しかし、


  嫁ぐにはいささかか歳を取りすぎた感が有った。太平


  の世が、二百六十年余も続いた江戸時代の平均


  的に嫁ぐ年齢は、十四歳から十六歳が普通で十


  七歳は瀬戸際となり、十八歳に至っては現代風


  に言えばオバサン扱いになる時代だった。夏の


  家は、漁を生業なりわいとしていた。父親は、名を源三


  と言い酒飲みでは有ったが漁の腕は、この辺り


  一番と言われていた。けっして、楽では無いが


  そこそこは生活出来ていた。母親はと言うと、


  気立ても良く器量も悪く無かったが、いかんせ


  ん身体が弱かった。ある年の暮れに、風邪をこ


  じらせ水を差さない鉢植えの花の様に、春を待


  たずあっけ無く逝ってしまった。美人薄命を、


  正に絵に描いた様な短い生涯であった。夏がま


  だ、十歳になったばかりの事で以来源三は海に


  出て漁をするのをやめてしまい酒浸びたりになって


  しまった。そんな風だから、家業が成り立つ筈


  も無く家は次第にさびれて行くばかりで、夏が食


  い扶持くいぶちを稼ぐ為に海女あまになったのは丁度この頃


  の事であった。




  「ギィーギィー」




   聞こえ来る、船のの音が春から初夏に変わ


  ろうとしている海に揺蕩たゆたう様に流れている。そ


  んな、小舟を操っている男がぐ手は休めずに


  夏に声を掛けてきた。




  「なあ夏、この頃どんだ源三さんの様子は」




   ぼんやりと、船べりの波を見ていた夏が男の


  方に振り返り返ると答えた。




  「あんまし、ええも無えけどそんなにしょん無


  くもねえ・・・じゃが」




  「じゃが、なんだ?」




   船のツラに、座っている女が言った。夏の、


  両隣の男と女というのは伯父と叔母つまり夏の


  母親の妹夫婦である。叔父の名は留吉、叔母は


  梅と言うが夫婦には子がおらずそれで夏が、幼


  い頃から、我が子のように可愛がっていたが、


  連れ合いをなくした源三が漁にも行かず酒ばか


  り飲んでいるかたわらで、不安な目をしている夏を


  見るに見かねた夫婦が、夏を海女にしたらどう


  かと源三に話を持ち掛けたのだ。最初は、渋っ


  た源三だったが夏が将来一人前の海女になれば


  自分は、働かずとも楽が出来るとでも思ったの


  か結局は承知した。それから、八年の歳月が流


  れ叔母にみっちり仕込まれた夏は、この辺りの


  浜の中で一番のかせぎ頭の海女になっていた。




  「お父っちゃん、この頃酒を呑むだけじゃ無く


  て何か悪い場所に出入りしてる様なんだ」




  「博打ばくちか・・・」




   そう言って、留吉は舌打ちした。潮風が、


  夏の頬を撫でて行く心地良い気分と裏腹に顔


  色はあまりえなかった。




  「博打は、良くねえな・・・」




   梅は、留吉に相槌あいづちを打つと自分に言い聞か


  せるよう言った。




  「悪い事が、起きなきゃええが・・・」




   そういう、留吉の言葉を横で聞きながら夏


  の胸の中にはまだ小さいけれど、しこりの様


  な不安がよぎっていた。それぞれの、思いを

  

  乗せた小舟はゆらゆらと初夏の海を、まだはる


  か遠くの伊豆の浜に向かってのんびりと進ん


  で行くのだった。







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