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「しもつげむら」   作者: 新開水留
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[5]


「この家だ」

 言われて見上げたそこは、平屋ながら大きな家だった。ただ少しだけ、正面に立つ僕から見て右側に傾いているように見えた。気のせいだろうか…。昔ながらの擦りガラスがはめ込まれた、スライド式の玄関扉に三神さんが手をかけた。

「入るぞー」

 鍵のかかっていないその扉を右へ滑らせると、つーんとする樟脳の匂いが漂ってきた。

 玄関でしばらく待ったが応答はない。

 上がろう。と三神さんが言って、僕たちは靴を脱いだ。

 ミシミシと音を立てる短い廊下の先にこれまたスライド式のガラス戸があり、開けて中に入る。そこは板張りのダイニングキッチンになっており、左側、正面、右側にそれぞれ奥の部屋と続く襖が見えた。

 三神さんは迷ったように指先で顎を撫でた後、

「右」

 と答えを出した。

 襖を開けて入ると、そこは仏壇の備えられた六畳ほどの和室であり、無人だった。

 と、その和室の隣の部屋から声が聞こえたきた。

「おーうい。三神だぁ。開けてかまわんかねえ」

 隣室へと続く襖の側に立って三神さんが声を掛けると、その奥から聞こえていた囁き声のようなものがピタリとやんだ。

「開けるぞ」

 三神さんが襖を開くと、十五畳程の和室の中央に座る四つの人影が目に入った。

 サッ、と黒い何かが部屋を横切るのが見え、「あ」と気を取られた次の瞬間、部屋の人数が三人に減っていた。見ました?と傍らの辺見先輩に問うと、先輩は青ざめた顔でコクコクと頷いた。しかし三神さんは気にする様子もなく、いつもの調子で声をかけた。

「何じゃあ、バンビがおるじゃないか」

 そう三神さんが言った瞬間、誰がバンビだ!と返す声があった。

 部屋の真ん中で円座する三人のうち、どう見ても村人とは思えない男が立ち上がった。

 髪の毛を綺麗に七三分けで撫でつけた、フレームの細い眼鏡をかけた男で、二十代後半から三十代前半といったところか。端正な顔立ちと言えるだろう、しかしどことなく冷たい印象があるようにも感じられた。村人に見えないというのは、彼が皺ひとつないスーツを着こなしていたからで、僕には役所の人間か銀行員に思えた。

 だがその男は三神さんの顔を見るなり、「天正堂かよ…」と、目を逸らしてぶっきらに呟いたのを僕と辺見先輩は聞き逃さなかった。少なくとも、役所の人間ではなさそうだ。

「新開の、辺見嬢、紹介しよう。チョウジのバンビ君だ」

 変な紹介するな!

 三神さんとその男のやり取りに、家主と思しき、玉宮家のお婆ちゃんをさらに高齢化したような老人が顔を上げた。サイズの大きな綿入り半纏を着ており、体が埋もれている為どの様な態勢であるのか分からないが、僕たちを見るなり、

「~ん家で騒ぐなボケが」

 とたしなめる声を上げた。最初の部分は聞き取れなかったが、仙人のような容貌に反して口調は誰よりも荒かった。

 男性か女性かも分からぬほど皺の深く刻まれた顔が、僕と辺見先輩を見た。

 皺が少し広がり、その奥で二つ、きらりと光る眼があった。

「お前…なにを連れとる」

 明らかに、言われたのが僕だと分かった。バンビと称された男が、首を前に突き出して僕を睨む。

 村の最深部に到達した段階で、僕は背後にその気配を感じていた。僕を産んですぐに命を落とした、亡き母・よりこである。母は僕の危険(あるいはそれに準ずる何か)を察すると、自ら霊穴と呼ばれる通り道を開いてあの世から戻ってくるのだ。

 そうか。この部屋に入った瞬間、四人いたと思ったのは、ここに元居た霊体だったのだ。僕の母の気配を感じて去ったか、一時的に離れたのであろう。

 そして「何か見えるんか」とご老体に寄り添い耳を差し出したのが、この部屋にいた三人目、三神さんと同年代の女性である。

 三神さんは両手を開いて家の者たちに見せると、

「害はない」

 と強めに言って、場を落ち着かせようとした。「あんたは、確か隣の家の…」

 言われた女性は背筋を伸ばして居住いを正し、

水中(みずなか)です」

 と名乗って軽く頭を下げた。

「久しいなあ、ご苦労さん。この家の手伝いに通っているご婦人がいるとは聞いていたが、水中さんの事だったんだね。ワシらも頼まれて来た。ちいと邪魔するが、構わんかね。おことさん」

 三神さんはそう言い、座したまま微動だにせず僕の背後を睨み続けるご老体を見下ろした。おことさん、そう呼ばれた家主は答えようともせず、僕の肩あたりを睨んでいる。

 その時、「こっわぁ…」と無遠慮に呟く声が聞こえ、見るとバンビが僕の背後をニヤニヤしながら見つめていた。母を馬鹿にされたと思い僕が殺気立つと、

「カァッ!!」

 物凄い声でご老体が気を吐いた。

 あ。辺見先輩が声をもらして後退する。

 僕の背後から、母の気配が消えたのが分かった。

「…」

 僕の両肩に辺見先輩が両手を置き、三神さんが左手を僕の胸に添えた。

 僕は無意識のうちに一歩踏み出そうとしており、それを止められたのだと悟った。

「ええな、おことさん」

 三神さんが低く念を押すと、その老人は無言のまま視線を逸らして前を向いた。




 三人が顔を突き合わせて座る中へ、三神さんが割って入った。

 三神さんはスーツを着た男性と、水中さんという隣家のご婦人との間に居座り、わざわざご老人の正面を陣取った。僕と辺見先輩は三神さんの後ろに座り、なるべく家主であるそのご老人を視界に入れないように努めた。

「おいバンビ。お前、いつ上から話を貰った?」

 と、三神さんは右側に体を倒して聞いた。

「その名前で呼ぶなって」

 新開の、辺見嬢。三神さんが首から上を振り向かせて、言った。

「こちらは、坂東くんと言ってね。何を隠そう国家公務員だ。国から派遣されて日本各地の禍事や超常現象の調査にあたっている。坂東ミチルくんだ」

「く、国から?」

 辺見先輩の声が裏返る。好奇の目で見つめられるも、その男性は辺見先輩の視線に頬を染め、無言で顎を突き出した。

「チョウジ、とワシらは呼んどるがね。正式名称はー、…なんだった?」

「忘れてろ」

「広域超事象諜報課、だ」

「わざわざ口に出さなくていいだろ」

「公安の一種だ」

「言うなッ」

 公安…。ごりごりの警察機構じゃないか。

「まあ、ワシらの商売敵だな」

「一緒にするな」

 三神さんの言葉にいちいち突っかかるその様子は、険悪に見えて何か絆のようなものが感じられた。仲は確かに悪いのだろう。しかし、お互いに対する一定の評価もまたあるように見えた。

 後に頂いた、携帯電話の番号だけが記された名刺には「坂東美千流」と書かれていた。なるほど、確かにバンビだ。しかしこれは偽名であるとも教えられた。

「この男を呼んだのは、おことさんか?」

 三神さんが正面に座るご老人を見据えた。

 紅おこと(べに おこと)。おことさんとは愛称ではなく本名だという。紅さんはしばらく三神さんを見つめ返した後、隣の水中さんを見やった。耳が遠いらしく、唇が触れる程そばで話をせねば聞こえないようだった。

 水中さんの話では、水中さんはもちろん紅さんも、村の外の人間に対してはまだ何も連絡を取っていなかったそうだ。つまり、彼女らにしてみれば坂東さんも我々も、何故この家を訪れたの分かっていないのだ。ただ…。

「ただ、助けを求めにゃならんことは、分かっとりました。今はもう伝手とかそういうのもないもんで、どないしたもんかと迷っておりました。その点お二方の来訪は、渡りに船といいますか」

「助け…」

 思案顔で頷く三神さんに、坂東さんが言う。

「上司から俺の所に話が回って来たのは今月に入ってからだ。その後、さる筋から連絡を受けて、訪れるつもりがあるなら、今日が良いと」

「さる筋とは?」

「ネタ元は明かせん」

「なぜ今日が良いと?」

「教えない」

 三神さんは呆れた様子で頭を振り、そしてふと、視線を右に向けた。

 視線の先は、閉じられた障子である。この部屋の入口正面に位置し、来た時から閉ざされていた。

「確かこの部屋の奥が、庭だったねえ」

 しみじみ、と言った調子で三神さんが言うと、

「見ゆるか」

 と紅さんが口を開いた。聞こえてはいないが、三神さんの気持ちがそちらへ移動したのを、感じ取ったのだろう。失敬して、三神さんは言いながら立ち上がり、障子に手をかけた。次いで坂東さんも立ち上がり、三神さんの背後に立った。

「何をやっとるか。お前はこっちに来て障子を、こう、引く」

「うーるーさいなァ」

 怒りながらも坂東さんは言われた通りに三神さんの反対側に立つと、ピタリと息の合ったタイミングで両側から障子を開いた。

 庭に面した、掃き出し窓だった。その向こうに見えるのは…。

「井戸…」

 辺見先輩が呟き、そっと自分の腕を抱いた。



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