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その昔、村にとある姉妹がいた。その姉妹には大層強く霊能が備わっていたそうだ。
ある時村に、姉妹の噂を聞きつけたという若い霊能者が現れた。その若者は名をカナメと名乗り、姉妹は常人とはかけ離れたその霊能者に心を奪われ、恋をし、それぞれがその若者に求愛した。
だがどちらか一方の求めだけに答えることを良しとしなかった若者に業を煮やし、姉妹は我が手に落ちぬならば不要とばかりにカナメを殺してしまった。だがもちろん、自ら手を下したわけではない。姉妹に強く備わっていた、霊能力を用いて呪い殺したのだ。
しかしカナメ自身も並々ならぬ力を持つ霊能者であったがゆえに、村の全ての家々に霊障を巻き散らすほどの勢いで抵抗し、戦った。あえなく彼は姉妹の力に屈したものの、息絶える瞬間まで霊力を放出し続けたその体は、姉妹が決して触れられぬ程強力な結界、いわゆる即身仏と化したという。
戦いに勝利したとは言え、姉妹はすぐに後悔した。そしてカナメの死の原因を隠匿したいと考えた姉妹は、その若者をあえて『魔物から村を守った英雄』として祭り上げ、その証拠として死体を結界石と言い張る事で、外部に真実が漏れ出る事を防いだのだという…。
「この場でそれが事実かどうかを議論しても意味はない。この村には一部の人間の間で、ワシの語った言い伝えが今も受け継がれておるのだ。魔物という呼び名を使い始めたのはワシでも村の人々でもない。本人たちなのだ」
三神さんの話に、僕と辺見先輩は頷くことさえできず、ただ黙って生唾を飲み下すしかなかった。
話が違い過ぎる…。
そもそも、村を襲った魔物の存在からして噓なんじゃないか。
「そして、今も村に若人が少ない理由としては、どちらかと言えばそのもう一つの伝承の方に真実があるとワシはみておる。これについては諸説ある。昔実際に起きた流行り病が原因という説もあるが、その流行り病自体がカナメの呪い返し、一種の霊障ではないかとワシは考えておる。そして若人が自ら村を出で行ったのではなく、親たちが率先して子を村の外へ出し、故郷との関りを断つように仕向けたのが始まりなのだ、とする説もある。その後、村に残った親たちは当時の流行り病を利用して、『この村では若者が早死にする』という因縁を自らで振りまいた。つまり、村の表側に残る因習や伝承は全て、後から塗り替えられた作り物の呪いなのだよ」
頭が痺れるような感覚に陥りながらも、張り詰めていた緊張の糸がほぐれるように、僕の中にあった様々な謎が融解していく感覚もあった。
この村についての話を辺見先輩と二人して聞いた時、三神さんは魔物と封印の言い伝えを教えてくれた。説明を受けた今となってはそれが、後付けされた建前上の因習だと理解できる。だが初めて聞いた時には、逃げ去りたい程恐ろしい話だと思った。と同時に、何故そんな曰くのある村に僕と辺見先輩を連れて来るんだ、という怒りを抱いたのもまた事実だった。
気を遣ってついて行くと言い出したのが僕たちだとしても、断ってくれてもいいじゃないか。三ヶ月前、僕たちがどれほど危険な事件に巻き込まれたのか、同じ被害者である三神さんは当然知っているはずなのに…。
そう、思っていた。
だが、その答えは簡単だった。彼は遥か以前から、村に伝わるもう一つの伝承について知っていたのだ。闇夜に紛れて若者をさらい、食い殺す魔物など、初めからいないと三神さんは知っていたのだ。
「じ、じゃあ、姥捨て山がどうとかっていうのも…?」
思わず口をついて出た、あまり言葉にするにはよろしくない噂に対しても、三神さんは頷いて答えた。
「残った村人たちが自ら作為的に流したのだろうと思う。だが、よその土地からあえて高齢者や老人たちを招き入れて、空いた家々に住まわせるようになった。そういう事実はあったし、それを姥捨てと呼んでいたのだと思う。そしてそれら全てが、若人を村に居付つかなくさせるためだったのだ」
な、何故?
どうして、とほぼ同時に発した僕と辺見先輩の疑問に、三神さんはこう答える。
「ないものは、ない。しかしあるものは、ある。この村で住人たちを襲った魔物などいなかったかもしれない。だが、魔物として恐れられた人間たちならいたのだ。ここ十年、二十年の話をしているのではない。インフラ整備の行き届かない文字通りの小さな村社会が、人々の住む世界の全てだった。そんな場所で魔の物と暮らし、逆らえばどうなるか、それは紅家の井戸を見れば自ずと答えが知れよう」
「だって!」
と辺見先輩が声を上げる。
「人を殺したわけでしょう? 殺人事件があったんですよね!? 全員かどうかは分からないけど、そのことを知る住人たちが結託して秘密にしようって、そういう話にも聞こえるじゃないですか。そんな、未来のある若者を外に逃がすより先に、村全体でやるべき大切なことが…。…殺されたカナメという人はずっとこれまで、その真実を隠されたまんま…」
「そんなこと、昔っから全員が思っとるよ」
ポツリと、そう呟いたのは水中さんだった。
「だけどさ、都会から来たあんたはそうやって簡単に正義を振りかざすけども、実際どうだい? あの二人を前にして同じ事が言えるか? いやあ、いくらあの二人が実際の人殺しでないにしたって、魔物たちの子孫であることは変わらない。人を殺すのに凶器はおろか、両の手さえ必要とせんのですよ。そんなモノ相手に、警察や御上にどうやって進言すりゃあええのですか。親から子へと何代にも渡って聞かされてきた風習の裏に、そんな禍々しい事件が隠されているんだ。聞いたとて、長い物に巻かれて、流れるように生きるしかなかったのよ。選択肢など、ありゃせんかったですよ」
辺見先輩の口が開き、閉じ、そして彼女の首が、ゆっくりと横に振られた。
水中さんは今、自分がとても恐ろしいことを口にした事実に、気が付いていない。
しかし、僕も辺見先輩もこの時ようやく理解したのだ。
水中さんの心の中に、紅家あるいは村そのものに対する恨みが秘められていたことを。
なぜ、三神さんが水中さんに向かってまじないをかけたのかを。
「ボゲエーテエーテスマニ、オーアゴーンキヨージャガダ。ケッセダ。ショオーツゲラッハ、…アイジャ」
突然降ってわいたようなその声に、僕と辺見先輩、そして水中さんがギクリとして三神さんを見やった。
彼が発したのは、この家の隣室で紅おことさんが口走った言葉に違いなかった。
その時僕は全く理解が出来なかった。だが、三神さん だけ は理解していたらしい。
「ボケていてすまない。女子が来よったんじゃがな、消え失せた。下告村は、(もう)しまいじゃ」




