戦駒盤での勝負2
「そうね。貴方は定石をよく勉強してるから、正攻法で来る場合は安定して手堅い手を返せる。でも、あまりみたことがない手を打たれると途端に尻込みしてしまう」
私がそういうと、クリスは頷いた。
「この時、こう動いた方がいいような気もしたんだ。でも、打ったことのない手で……自信が出なくて打てなかった」
そう言ってクリスは、槍兵の駒を二駒前に進める。
「そうね。そう打ってこられたら、私も少し苦戦したかも」
「少しかよ」
「少しよ」
不満そうな顔をするクリスに私がからかうように笑うと、クリスの顔もつられて笑顔を浮かべた。
「もう1局打ってもいいか? アレクシス以外の人と打つのは初めてだから、楽しかった」
「いいわよ。付き合ってあげる」
そもそも、そのつもりだったし。
そして結局その後クリスとは5局ほど打った。
一局ごとに成長を見せて来るクリスに感心しながらも、私も私で負けたくないので手を緩めずなんとか勝利を勝ち取った。
クリスは、負けが続いても腐ることなく集中力を継続させて打ち続け、一局打ち終わるごとに開かれる反省会では、私の指摘に素直に頷き、直ぐにその反省点を改善していく。
素晴らしい素直さだ。
時計を見れば時間はすでに深夜。
彼の集中力には驚かされる。
彼はまだ最初と変わらぬ集中力を継続し続けている。
このまま続けて戦駒盤をしたら、先に私の集中力が切れて負けそうだ。
体力勝負になれば、意外にもしっかり鍛えている彼には勝てないだろう。
……本人は、王になる気は無いのだろうけれど、もったいない。
彼には思わず構いたくなるような魅力があり、実際ここまでついてきてくれてる臣下もいるのだ。
良質な家臣に囲まれれば、彼の治世はかなり安定するだろう。
彼は、臣下の言葉にきちんと耳を傾けることができる素直さがあるのだから。
とはいえ、良き忠臣を得るのが難しいところだ。実際彼についてきた護衛の中には、兄王子側に付いている人もいるみたいだし……。
クリスと6局目の戦駒盤を打ちながら、目だけであたりを伺う。
ずいぶん時間がたったが、未だに不法侵入無し。
今日は、誘いには乗ってこないか……。
「グンテから聞いたわ。貴方王族として生まれたのに、王になる気がないみたいね」
私がそう声をかけると、駒を動かそうとしていたクリスの手をピタリと止める。
そしてゆっくりと視線を私に向けた。
「そうか。グンテから事情をきいてるんだったな。言っとくけど、説得しようとしても無駄だから。俺は王になりたくない」
思いの他にまっすぐ瞳を返されて、逆に好奇心が湧いてきた。
「あら、どうして王になりたくないの? 男の夢でしょう?」
「俺の夢じゃない。……それに、俺が王になりたいと言ったら、多くの不幸な人が生まれる」
クリスはそう言って視線を盤上に戻すと、一手進めた。
意外な答えが返ってきた。
「どうしてそう思うの?」
「俺が王になりたいと言ったら、兄上と戦うことになる。内戦が起こる。うちの国は父上が即位するまで後継者争いでひどい戦があった。誰も幸せになれない。国力が減るだけの意味のない争いだ。あれを繰り返したくない」
坊やのくせに、思ったよりも考えてるのか。
王になりたくないとはいうけれど、どちらかといえば国のことを思うが故ってところだろう。
「けれど……王の器でないものが頂点に立つことは、内戦よりも多くの不幸な人を生み出す可能性があるわ」
私はそう言って、戦駒盤を一手進めた。
「……兄上は王の子だ。王の器も持ってる」
「ふふ、あらやだ。私は、別に貴方の兄上のことを言ったわけじゃないのよ? それとも、本当は心のどこかで兄王子は王の器ではないと思う気持ちがあるのかしら」
「そんなこと、思ってなんか……!」
私の揶揄う言葉に、クリス殿下は顔をしかめて否定した。
「冗談よ。でも、そうね、王の子が全て王の器を持つとは限らない」
私がそういうと、彼はばつが悪そうに眉根を寄せて視線を逸らす。
「それは知ってる。例えば俺がそうだ」
「貴方は、まだ器ですらないわ。だからこそ、どんなものにもなれる可能性がある。その可能性にすがりたくなる人はきっと少なくないわよ」
私がそういうとクリスは、目を見開いて私を見た。
おそらく、彼を王にしたいと思う人の数は、少なくない。
王家の忠臣と名高いケイマール家が、内戦を覚悟してもクリスを王に推したのには、彼の将来性を見込んでのことだろう。
正直、兄王子の評判はあまり良いものではないしね……。
噂では、彼は政務にはほとんど無関心で周りに任せっきり。
彼を取り囲む家臣というのは総じて評判の悪い貴族ばかり。
本人は取り囲む貴族の甘い言葉をうのみにして、好きなことばかりやって次期王の権力をひけらかして贅沢三昧。
典型的な庶民から嫌われるタイプの王族だ。
それに反して弟王子の悪い評判は聞こえない。
加えて、私の目から見た彼には集中力があって、素直で、人好きにする性格で、戦駒盤の勝負から察するに決断力も悪くはない。
彼には良い王になれる素質は十分にある。
ああ、いつもの癖で、何かうずいてきた!
だって、磨きたい!
彼の才能を磨いて磨いて、綺麗な宝石に仕上げてしまいたい!
磨けば光るものを見つけると、ついつい手が出そうになるのは、私の悪いくせだ。
「でも、俺は……」
と悩むようなクリス坊やの声。
私は何か返そうかと思ったけれど、口を噤むことにした。
これはスプリーン王国の問題。磨き上げてみたいけど、私が口を挟む問題ではない。そう、私達は与えられた仕事をするだけ。それだけ……。
私は自分にそう言い聞かせて、言葉の代わりに一手指した。
次は彼の番だ。
私に促されて、少しだけ追い詰められたような顔をしていたクリスはハッとして戦駒盤に視線をもどした。
そして、その時。ザッと布を引き裂く音がして、天幕の布が大きく揺れる。
来た……!
かすかに漏れ出す月明かりが、天幕の布を引き裂いて乱入してきた者の目を妖しく光らせる。
私は庇うようにクリスの前に出て、腰にくくりつけてある大鞭に手を添えた。
しかし、私の鞭が振るわれる前に、その乱入者は隠れて控えていたローベルト達に抑え込まれた。
こっちの護衛は、ローベルト含めてルダスの護衛が3人いたので、人数的にもかなりの優位に立っているので当然だろう。
はてさて、結構あっさり現れて、あっさり捕まった裏切り者とやらの顔を確認しますか。
という気持ちでローベルトに抑え込まれ、頬を地面につけて動けない男を見下ろす。
この顔は……クリスが連れてきていた護衛の中でグンテの次に年配だった……。
「ダニエル……?」
クリスの戸惑う声が聞こえた。
そう、ダニエルだ。中年でしっかりした人で、他の若い護衛達をまとめ役のように見えていた。
なぜダニエルが、剣を持っていきなり現れたのか。
そして取り押さえられたのか。
意外と物事を考えることに長けているクリスなら気づいた筈だ。
「お前、今、俺を殺そうとしたのか……?」
そういったクリス声は震えていた。
怒りか、悲しみかわからないけれど、ひどく辛そうな声だった。




