エレナの主張
ルダスの国の昼はほとんどが移動のために費やされる。
さまざまな国と国を行き来して、享楽を提供するのが私達なので旅には慣れっこ。そのためルダスの民は誰もが馬を操れる。
総勢30人程の馬や馬車の集団の大移動を引き連れて、私が先頭を走っていると、後ろから馬の駆ける音が聞こえてきた。
「おい! なんで俺がこんなことしなくちゃいけないんだよ!」
そう言って、こちらにやってきたのは、大きな荷物を背に背負い、横にも荷物をぶら下げて動きにくそうにしているクリス坊やだ。
彼にはルダスの栄光ある荷物運びの役職を与えた。
「あら、クリス。その荷物を背負う姿、とても似合ってるわよ」
そう言って、笑ってあしらうと、クリス坊やはムスッとした顔で私の隣に並ぶ。
ちなみに呼び方は王子とか言って呼ぶのも変なので、クリスと呼び捨てで呼ぶことになっている。
「そりゃあ、城まで一緒に行ってくれるのはありがたいけど……なんで、俺がお前達と一緒にこんなこと……」
と、クリス坊やはブツブツと不満の声を漏らした。
どうやら、私が昨日グンデと話をつけて城にまで送る役目を請け負ったことを知ってはいるけれど、まさか労働することになるとは思ってなかったらしい。
まあ、めちゃくちゃ王子だもんね。労働とは無縁の環境で育って来た箱入りだ。
私はそんな箱入り王子に艶っぽい視線を送る。
「あら、グンデのお爺様から聞いてらっしゃらない? 貴方を城まで届けることは仕事として引き受けたけれど、貴方はルダスの女王である私にあんなことしたのだから、それなりの誠意は見せてくれないと」
私がそう尋ねると、決まり悪そうにクリス坊やは眉根を寄せた。
「え!? なんだよあんなことって……」
「理性を失った貴方が私にあんなことやこんなことをしてきたんじゃない」
と、私がホラを吹くとクリス坊やは目を丸くさせた。
「ええ!? う、嘘だろ!? なんだよあんなことやこんなことって、全然覚えてないぞ! だいたい昨日は、お前が先に俺の、俺の唇にキスしてきたんだろ!?」
顔を真っ赤にさせたクリス坊やがそういうので、私は悲しそうに眉根を寄せた。
「私にあんなことをしておいて、ひどい人。お酒がすぎたのね。でも、だからって許されることではないわ。だから、罰として肉体労働をしてもらってる。わかるかしら?」
「いや、だって、おれ、覚えてないけど……!?」
「これ以上喚いて恥をかくのはやめておきなさい。貴方の仲間たちが、貴方の醜態を見せつけられて、黙って私に従ってくれているのがその証拠よ」
私がそう言うと、クリス坊やは「まじか……」と言って呆然としたような顔で固まった。
どうやら信じたらしい。
クリス坊やには悪いけど、少しだけ胸がすっとした。
昨日、君が私を夜の相手にとか言い始めたとき、めちゃくちゃ焦ったからね。
これはお返しである。
私は、茫然自失状態の彼を置いてさっさと馬を歩かせる。
後ろで、「全然覚えてない。うそ、おれは一体何をしたんだ、一体……なんてもったいないことを、あじゃなくて、なんてことを……」と呟く声が聞こえてきたが、クリスは後ろに下がったようだ。
そして代わりにローベルトが隣まで馬をつけてきた。
「裏切り者がだれか目安はつきそう?」
小さくローベルトに問いかけると、彼はかすかに首を横に振った。
「今のところ怪しい動きをするものはおりません」
「そう、尻尾を隠すのが上手そうね。引き続き警戒して。それと、エレナを連れてきてくれる? 昨日のことで少し話したいの」
私がそういうとアルは返事をして後ろに下がっていった。
エレナは昨日、クリスに粗相をしてしまった酌取りの子だ。
昨日のことについて少し話し合わなくてはいけない。
彼女は、かなりの男嫌いで隣に男がいるだけで不快そうな顔をする筋金入りだ。
だから、私は裏方をやってもらいたかったのだが、本人はルダスの夜の仕事をしたいという強い意志があった。
本人の希望だからと、給仕でまずは男性に慣れてもらおうと思っていたのだけど、やっぱり昨日の反応を見る限り、難しいのではないかという気がしてくる。
改めてエレナにはそのことについて意志を確認しなくちゃいけない。
私がエレナと話す内容について考えていると、「イレーネ様、参りました……」と言って、馬に乗ったエレナがやってきた。
かなりしょんぼりした顔をしている。
「エレナ。気分はどう? 体調の方が問題ないかしら」
「は、はい。お気遣いありがとうございます。体調は大丈夫です。……昨日は本当に申し訳ありませんでした」
そう言って、エレナは心底申し訳なさそうに頭を下げた。
今にも泣きそうだ。
「そんな顔をしないでエレナ。私は怒ってないわ。でも、貴方の気持ちを確かめたくて」
「私の気持ちは、変わりません! ルダスの夜の仕事がしたいです」
「華やかなだけの仕事じゃないのは知ってるでしょう? たしかにうちは、完全解毒剤があるから、病気のリスクはない。でも、2人きりとなれば無体なことをしてくる人というのはいるわよ。怖い思いをすることもあるかもしれない」
「分かってます! でも、でも、私は……夜の仕事がしたいんです」
「夜にこだわる理由を聞いてもいいかしら?」
私がそう尋ねるとエレナは大きな目をさらに大きくして目を潤ませた。
泣きそうなのをこらえているのか、みるみる顔が赤くなる。
「お姉さま方から聞いたんです。夜の仕事をする際は、夜の指導をヴィクトーリヤ様自ら手ほどきしてくださるって……」
そう言って、熱を孕んだ瞳で私を上目遣いで見つめてきた。
えっと、手ほどき? してたっけ……?
私は視線を左に上げて記憶を確かめた。
手ほどきも何も、私はそういう経験がないから、教えられることはない。
あーでも、ルダスの女王が未経験ということを隠すために、たまに夜組の練習に付き合って、そこはもっとリズミカルに! そうそこで流し目よ! とか適当なことをそれっぽくいう時があるけれど。
まさか、それのことだろうか……?
「手ほどきとは言っても、そんな大したことはしてないわよ」
いやまじで、という気持ちでいってみたけれど、夢見るエレナはふるふると首を横に降って、彼女の二つ結びの栗色の髪が揺れる。
「お姉さまがたは、ヴィクトーリヤ様のご指導はそれはもう素晴らしいって、おっしゃってます!」
いやそれ、絶対お姉さま方になんかからかわれてるでしょ!?
素晴らしいわけがない。こっちは知識だけでどうにか誤魔化そうとしてる女だよ!? 知った被ってるだけだよ!?
まあ、それを知ってるのは、ルダスでも古株の夜組リーダーのデボーラ姉さんぐらいだけど……。
私はデボーラ姉さんにあとで問い詰めようと決めて、小さく息を吐いてからエレナを見た。
「エレナ、からかわれているのよ。それと、それって貴方が夜の仕事がしたいということと関係があるの? 夜の技巧が上手くなりたいという気持ちは分かったけれど、どうして上手くなりたいのかしら? 男性恐怖症を直したいってこと? でも、そんな無理して直さなくても、あなたには他にできることはたくさんあるわ。そこにこだわる理由がわからない」
夜の仕事がしたい理由を訪ねて、私が指導するからという答えはどうも釈然としない。
そう思って尋ねると、エレナは顔を下に向けた。
「イレーネ様にご指導していただきたい。わ、私が夜の仕事をしたい理由は、それが全てです!」
顔を真っ赤にさせて俯いたエレナがそう言った。
いや、意味がわからん。
ただ意味はわからないけど、エレナが本気なのはよく分かったのでとりあえず頷いた。
「そ、そう。そうね、そこまでいうのなら、これまで通り給仕で様子を見るわ。それで大丈夫そうなら、デボーラと相談する。それでいいかしら? でも、無理はしないでね」
私がそういうとエレナは顔を上げて嬉しそうに「はい!」と返事を返した。
いい笑顔。本人はやる気なんだよね。
私はあまり無理してほしくはないけれど、本人が望むのなら。
ちょうどクリス殿下御一行という形で慣れない男どももいるし、これを機に男性に慣れてくれたらいいけれど。
ただ、その前に、クリス殿下御一行の中にいる裏切り者とやらをなんとかしないとね。
危ないことをする可能性がある人を、ルダスの子達の近くに置きたくないもの。