壱
『そりゃあ、驚いたのなんのってさぁ』
満月の丑の刻(午前二時)、夢買いの密は墓場にいたという。
この男は界隈でも有名な変態で、縁起の良い夢や怪談噺を売り買いして生計を立てている。しかし万事、商売繁盛というわけにはいかず、腹が減ったが銭は無いというときなどは墓場の供物を頂戴しているのであった。
『いやぁ、罰当たりだってのはわかってますよ、あっしだって。でもねぇ、空腹なんてマヌケな理由でくたばったら、天国の父上と母上に顔向けできないってさぁ。戯言はいいから早く話を進めろって? アンタせっかちだねぇ。まぁ、いいさ。アレは、あっしが今まで経験したなかでも、とびきり恐ろしい出来事だった。思い出すだけで震えがきやがる』
さて、供物漁りをした密は、運良く饅頭にありつけた。数日前に供えられたものらしく皮がパリパリに乾いていた。固い皮を噛み砕きながら、鳥の糞がついている箇所に『罰当たりめ』と自分を棚上げして悪罵したときであった。
『嗚呼ぁ、嗚呼ぁ――ってね』
どこからか女の呻き声がした。息を殺して耳をすましていると、声は大きさを増していく。
『呻きというよりは、喘ぎかな。アンタの奥方、美人かい? そうかい。そりゃあ羨ましい限りだ。じゃあ、アノ時の声はどうだい? あっしなんかはどれほどの美人でも睦みあうときの声が悪かったりすると、がっかりだね。――その女の喘ぎといったら、本当に悦かったよ。発情期の猫が切なく鳴いているような、かといって下品じゃない、淫蕩な響きでね。夜中の墓場でそんなのを聞いて怖くなかったのかって? なぁに幽霊だってあれほど艶っぽいなら、むしろ口説き落としたいくらいさぁ』
こうして四半刻(約三十分)ほど、得体の知れぬ艶声に聞き惚れながら饅頭を食っていると、墓石の影からぬっと二本の脚が現れた。
『お月さんの灯りに照らされた青白い足がはっきりと見えた。それが、この世のモノとは思えないほど気味が悪い様でね。たまらず悲鳴を上げると、途切れなく漏れていた喘ぎ声がぴたりと止まった。と思ったら、今度は狂ったように笑い出した。――ところでアンタ、“けらけら女”を知っているかい? 寂しい路を歩いていると後ろにぬっと現れてけらけらと笑われ、振り返ると、屋根を超えるほどの大女になっているって妖怪さ。男を弄んだ淫婦の霊が妖怪に化身した姿なんていわれてるけどね。
まさにそれだった。けらけらと狂ったように笑い続ける。まったく、先の艶声で熱くなった芯が冷えきっちまったんだよ』
けらけら女の嬌声はとどまることを知らず、耳障りなことこの上ない。
空腹も癒えたし密は墓場から立ち去ることにした。だが、このまま女の正体を確認せずに退散できるか。密の、夢買いとしての好奇心が行動を起こさせた。
『あっしは後ろ足で退散しながら柳の陰に隠れた。で、そおっと木陰から女の様子を伺った。するとそこには、狂って暴れている“白い狐”がいた。だがな、その白狐は――女の裸身だったんだ。裸の女が墓石に抱きついてやがる。乳房やら股座やらを墓石に擦りつけているのさ。どうしてなかなか悦い喘ぎを漏らすと思ったら、墓石とまぐわっていたわけだ。髪をざんばらに振り乱して、憎らしい男に呪詛をかけているようにも見えたよ……丑三つ刻だったしね。
そんなこんなで、あっしはとうとう心の臓が縮み上がって、さあ退散しようというときに、妖が血走った目でこちらを見た。人とは思えない憎しみの篭った目付きでねえ、殺されるかと思ったよ。無事に逃れることができたからよかったようなものの。ありゃあ、本物の妖怪に違いねえ。悪いことはいわないから、アンタ、件の墓場には近づかないことだ。特に丑三つ刻にはね――』
と鼠のように突き出た前歯をかたかたと鳴らして話し終えるのである。
夢売りの密のこの怪談噺は、久方ぶりに盛況な売り上げをした。よって町民に飛び火のごとく広まった。
菓子屋の跡取りであった森村武臣が、食医の九摺李笈助の元を訪れたのは、それから間もなくのことであった。




