表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

3/3 なぜ 秀吉は 信長に

 前回の最後に疑問が一つ生じましたと書きましたが、それは毛利攻めにおける秀吉の行動です。

 説明のために、秀吉サイドの時間経過を書きます。全て天正10年の旧暦です。


 5月15日 秀吉が信長に来援要請の書状を書く

 5月17日 上記の書状が信長の元に届く

       信長は光秀や細川忠興ほそかわ ただおきらに出陣を命じ、自らも出陣の意向を示す

 5月下旬  秀吉の元に毛利家側から和議の申し出がある

 6月2日  本能寺の変勃発 昼には決着

 6月3日夜 京の茶人・長谷川宗仁はせがわ そうじんより変を知らせる書状が秀吉のもとに届く

 6月4日  和議成立、清水宗治切腹

 6月5日朝 秀吉勢引き上げ開始


 通説では『本能寺の変を毛利に告げる明智からの密使が秀吉勢に捕らえられ、事態を悟った秀吉が急遽毛利と和議を結んで中国大返しが始まった』となっています。

 先年の大河ドラマ『軍師官兵衛』では、毛利側の交渉相手である安国寺恵瓊あんこくじ えけいと和議の交渉が行われている中で秀吉が変を知り、交渉を一任された黒田官兵衛があえて変の情報を恵瓊に公開することで抱き込み、和議を成立させるという筋書きでした。

 実際のところ、毛利側からすれば勢力圏を削られるわけですから、和議の内容を詰めるには時間がかかるでしょう。上記の『5月下旬  秀吉の元に毛利家側から和議の申し出がある』というのは、『甫庵太閤記』内の毛利輝元の言葉に寄りますが、おそらく実情に近いのではないかと推察します。

 ではなぜ、秀吉は信長に和議の交渉開始を知らせていないのでしょうか。

 本著によると、京都から備中高松まで230.3km。これをおおよそ36時間で長谷川宗仁の飛脚が走って伝えています。彼はいわゆる道々の者(傀儡師などの大道芸人や、死体処理などを生業とする賎民)に関係があり、早飛脚も伝手があったようです。5月15日付秀吉書状も同程度の時間経過で安土にいた信長の元へ届いています。

 下旬というのがいつかにもよりますが、和議の交渉に入った時点で信長に速報を入れることはできたはずです。

 そういうと、こう反論される方がいると思います。

「秀吉はやり過ぎて警戒されるのを恐れ、最後の詰めを信長に任せたんだよ」と。

 ですがそれ、証拠はありますか? 一次資料にそんなもの、ありませんよ?

 処世術としては確かにうなずけるものがありますが、当時の秀吉がそう考えたという証拠は何もないのです。“見てきたような嘘”なんです。



 さて、自分で疑問を呈しておいてなんですが、可能性のある理由を3つ挙げるならば、

①和議が成立しなかった場合の力押しのため

②和議が当初の見込みより早く成立してしまったため

 毛利側は兵糧が心もとなかったことを示す文書が残っています。和議が成らなかった場合、収穫期まで耐えなければなりません。「ヘーイ商人!」と呼び出せばいつでも米が買えるシミュレーションゲームとは違うのです。

 また、毛利家は関白秀吉によって家格を引き上げられるまで、配下の豪族たちを統率する力が強いとは言えない家、専門用語で表現するなら『国人領主連合の盟主』でした。駆り出している豪族たちの不満が高まった結果、前線が崩壊するよりはと手打ちを考えたかもしれません。それがたまたま、あの日に成立してしまったと。

③「備中表びっちゅうおもてへ出陣となれば、○○はいつものようにお屋敷に泊まられるだろう。少ない供の者を連れて……あとは、分かるな?(肩ポン)」

 ○○に“上様”と入れれば織田家中もしくは家康を含む徳川家中(いわゆる十八松平の一、深溝ふこうず松平家忠の日記である『家忠日記』では、信長を“上様”と表記しています)、“前右府さきのうふ”と入れればその他の人物の台詞になりますが、さて……



 ③はいささか陰謀論になりましたが、こういった史料によるズレはよくあることです。信長の側近が書き溜めたメモを元に執筆された『信長記』ですら、日付間違いや事実の誤認があるのですから。ですので、6月4日に和議が成立というのも実は間違った情報かもしれません。

 でも、そういうズレから妄想を膨らませる、もしかしたら新事実発見かも、というのが歴史趣味の醍醐味だと思っています。


-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-


 最後に、本著の評価としては、学術書的記述ながら啓蒙書としても読めるものだといえます。

 ただし『学術書的記述』とは、知っていることが前提の歴史用語・人名が多用されているという意味です。もちろん高校の日本史レベルではありません。

 その筋に不案内なら、ネット検索と首っ引きで読むことをお薦めします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ