最終話「ホムンクルスの恋」
――第六日
「体調に問題はないようだね。昨日のことはホーエンハイム教授から『気にしないように』との伝言も預かっている。気持ちが落ち着いたら、テストの結果を伝えに来てほしいとのことだ」
回復術師の先生が聴診器を首に下げ、落ち着いた笑顔をぼくに向ける。
ワイシャツのボタンを留め、上着を羽織ったぼくは気のない返事をしてその場を後にした。
マルガレーテのことは、研究上の機密事項であったため、内々に処理されている。
ぼくは無罪放免とされ、それどころか今後も研究に携わることをホーエンハイム教授に要請された。
銀杏並木を歩いていたぼくは、教授の研究室の前に立っていた。
自らの犯した愚かな過ちの象徴であるその建物は、しかし、唯一のマルガレーテとの思い出の場所でもあったからだ。
辺りを揺蕩うマーガレットの香りに誘われ、ぼくは研究室の扉を開く。
そこに予想された教授の姿はなく、ただ枯れかけたマーガレットの花がフラスコに飾られていた。
思わず駆け寄り視線を落とすと、そこには教授の文字でぼくとマルガレーテの「テスト」について、荒々しく書きなぐられた「成功」の文字とともにメモがつづられていた。
『結論から言おう。私、パラケルススは完璧な人工生命体の錬成に、ついに成功した――』
ホーエンハイム教授の文字は、その内に秘めた喜びに踊り、とても読みにくい。
それでもぼくは、昨日太陽の光とともに秋の空気に溶けて消えたマルガレーテの姿を思い描き、その文字を追った。
成功ならば、完璧なホムンクルスならば、なぜ彼女は崩れ去らねばならなかったのだ。
ぼくの怒りに、教授の文字は答えた。
『私の作り上げたホムンクルスは、己を人間だと信じ、人と同じように学習し、ついには盲目的な恋までしてみせた。実験の最中、旧型を一体失ったが、そんな僅かな損失など何でもない。私の可愛いホムンクルスは、今も自分の犯した罪に、失った恋人に対する思慕の情に、人間同様に身を焦がしている――』
「……やぁエドワード。ずいぶん立ち直るのが早かったね。報告に来るまであと数日はかかると思っていたのだが……」
背後からかけられた言葉に、ぼくは振り向く。
教授は気さくな笑顔でぼくを見て、胸ポケットから小さなメモとペンを取り出した。
「……やはり人間と同じとはいかないか……」
教授の口角が上がり、恐ろしい笑顔を作るのが見えた。
ぼくはすべてを悟り、ポケットから剃刀を取り出す。
真っ赤な血が飛び散り、マーガレットの花弁を赤く染めた。
床に倒れたぼくの耳元にフラスコが落ち、乾いた音を立てる。
その部屋に、教授がペンを奔らせる音が、いつまでも続いた。