第零話『ゆめうつつ』
最近、変な夢ばかり見る。これも、昔の記憶に関係しているのであろうか。
役者っぽく心の中で囁くと、僕はそれまで寝ていたベッドから起き上がり、自分に生えた二つの手を見ながら、拳を作っては解き、作っては解きを何回か繰り返した。その後に、自分の顔を触り、自分が現実に生きているのを確認したあと、自分の胸へと目を落とした。
平らだ。何も違和感がないはずなのに……それを分かっているのに……。自分の体にどうも納得がいかない。
「なんでかなぁ」
自分の口からするっと出てきたその台詞は、まさに今の自分の気持ちを表すのに最適な台詞であった。
窓からはオレンジ色の光が差し込んでいるが、木々に光が遮られ、斑になって部屋に入ってきている。
僕はおもむろに重い両手を持ち上げ、自分の胸へと持っていった。そのあと、優しく五本と五本の指を握るように動かした。
手には少しばかりの肉の感触と、硬い筋肉の感触、そして、角張った胸骨の感触がごりごりと伝わってきた。
何故こんなことをするのか。——自分を確かめるため。何を確かめるのか。——自分が生きていることを。
自分が生きていることを確認すると、同時に僕が男として生きていることを確認する。そして安心を覚える。
いつからだったか……性別が変わる夢を見るようになったのは。
俊敏な動きをする何かが、目の前で四方に飛び交う。見ているだけで疲れるくらいの速さだが、夢の中には疲れがないので、僕、いや女の私はただ、突っ立っているだけだった。
僕は女の姿をしている。服装はセーラー服のようなものだ。服だけでなく、体、髪の毛、意識まで女のものだ。
夢の中なので、ハッキリとは分からないが、僕を含め、夢の中に出てくる人は皆何かを探していた。そう、それが何かは分からないのだが、とにかく必死に探している。それだけ大事なものだったそうだが、よく覚えていないのが悔しい。
暫く立っていると、目の前でとてつもない速さで飛び交う何かの動きや姿が段々と見切れるようになった。それは——
いつもここで目が覚める。
内容も起きるところも変な夢をここ最近はずっと見ている。続きが気になる……。
また、そんな夢ばかり見るようになってから、昔の記憶がよく蘇るようになった。幼稚園の頃、外で友達と仲良く遊んでいたな……。小学校の頃、友達と喧嘩して帰り道が気まずかったなあ……など、どうでもいいものが大体だが、何故かわからないが内容的に夢とどうも噛み合いそうなので、思い出してしまう。
というのも、何気なく遊んでいた僕が、実は女だったのではないか、という考えが脳内を駆け巡り、支配するようになったのだ。
夢で女の姿になるようになってからというもの、そんな考えを持つようになったのである。
だが、そんなことは無く、こうしている間にもここに生きている僕は男であり、昔も男であったはずなのだ。第一、夢から覚めたときのあの安心は、自分が男であるという再確認からくる安心なのではないか。
女でありたいという願望はない。ただ、女だったのではないかという考えがあるだけなのだ。
僕はそう割り切った。
考え事に耽ると、どうも疲れてしまう。僕は起き上がっただけのベッドにもう一度横になり、静かに目を閉じた。
頭の中で渦巻いていた数々の考えが、動きを止め、部屋に静寂が訪れた。まるで、波一つない湖の中にいるかのように音がなかった。
大きく息をつき、体中を支配した疲労を口から出した。体がふわっと軽くなっていき、ベッドの暖かい優しさに体が沈みこんでいく。
またあの夢を見るのかな……?
期待とも恐怖とも取れる僕の考えは興奮を呼び、もう一度眠りにつこうとしていた僕の邪魔をしていた。僕の奥歯は小刻みにガタガタと震え、これから来るであろう「なにか」を心待ちにしているようにもとれた。
——意識が遠のいていく。
あの夢を見たい自分と見たくない自分が重なってできた今の自分ができることは、疲労を取るために眠ることしかなかった。
——感覚がなくなっていく。
その夢は、また、同じ内容なのか。それとも、違う内容なのか。
間もなく、僕は眠りについた。
目を覚ました。外はもう暗くなっていて、恐らく一時間程度寝ていたのだろう。
体の感覚がいつもとは違う気がした。何だか、重いような……。僕は寝たまま首を動かし、辺りを見回した。
部屋の様子はいつもと変わらない。部屋にはいつも通りのつまらない日常が散りばめられていた。
となると、体が重い原因は自分自身にありそうだ。見てみよう、とベッドから起き上がるため、手をつく。明らかに力が入らない。途中まで体を持ち上げた腕は、骨を抜かれてしまったかのように崩れ、体はベッドに戻されてしまった。
いつもなら、軽々と上がった体だったのに、今は上げることが出来ない。急に太ったのか……?有り得ないことだが、一応確認するため、腕以外の部分も使って、なんとかベッドから立ち上がり、部屋の床を踏んだ。
立った感覚から、もう既に違うのが、重心が前にいってしまうことだ。
気になった僕は自分の体を見ようと目を落とす。すると——
なんと、自分の胸元には大きくて豊満な二つの膨らみがあった。
だが、そこまで驚かなかった。まだ、夢かもしれないからだ。
自分を確認するため、先ほどと同じように手を胸へと持っていき、大きな脂肪の塊を揉みしだく。
——夢だったら、もう少し感覚がはっきりしないはず……。
手にあたる感覚、揉まれているという感覚がどう考えても現実のものである、という程にリアルだった。
大きな焦りと、少しの興奮を覚え、僕は胸を揉む手をさらに働かせ、自分の胸をさらに、揉んだ。
なんなんだ?この感覚は。これが「気持ちいい」というものなのか?
俗に言う気持ちいいを感じていたはずなのだが、人はありえない状況に置かれると、性的な興奮もただの変な感覚に過ぎない様だった。
僕は信じられないこの状況に対し、
「なに……これ」
と発した。
高い。声が。
いつもなら、喉に何かがあるような重みを経てから声を出していたのだが、今はそのまま声が出るような感覚だった。
僕は怖くなり、あ、あ、と声を出してみたのだが、やっぱり高く、耳に入ってくるのは可愛らしい女の声だった。
確信したくなかった。信じたくない自分もどこかにいるが、ここまで突きつけられると、認めざるを得ない。
僕は、夢ではなく、現実で、女になってしまった。




