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第76話

「もうお話は済んだのですか?」

 建物の中に戻ったシェリアは、ちょうどその入り口に佇んでいたイーニアスに迎えられた。ライナスの執務室まで送ってくれた彼は、これまで目立たぬところで控えていたらしい。

「うん、ありがとう」

 シェリアは少し微笑んで頷いた。イーニアスも笑みを浮かべそれに応える。


 先日彼に想いを告げられてからも、二人の関係は相変わらずだった。

 気まずい思いをせずにいられるのは、イーニアスが気遣ってくれているからに違いない。シェリア自身も、変に避けるような素振りを見せる方が彼に失礼だと自覚していた。


 ――けれど。

 こうしてイーニアスと向き合っていると、同時にアシュートの姿が頭に思い浮かんでしまうのだった。彼と気まずい状態のまま、はや幾日が過ぎてしまっている。一体どうするのが一番いいのか――答えの出ないまま、堂々巡りの問いがシェリアを悩ませる。

 イーニアスは、シェリアにまっすぐ気持ちを伝えてくれた。そしてシェリアも、彼にきちんと心のままの気持ちを伝えることができたと思う。だがその相手がアシュートとなれば、途端に全てがぼやけてしまうのだ。「言葉」にして彼に気持ちを伝えようとすることは、とんでもなく自分勝手で、許されないことではないのか、と。

 色んな人に背中を押してもらった。国王のロノさえもが、シェリア自身の想いのままに行動していいのだと言ってくれた。

 それでもまだ、シェリアの中には迷いがある。


「……部屋に戻りましょうか」

 シェリアの様子から、思うところがあったのだろう。イーニアスが優しい声で問いかけた。シェリアは俯きかけていた顔を上げて、慌てて首を横に振る。

「ううん、今日はこのあとミズレーさんの医療室に行こうと思ってるんだ。イーニアス、まだ時間大丈夫?」

「はい、それはもちろん大丈夫ですが」

「よかった。そろそろ約束の時間になるはずだから、行こっか」

「約束の時間、ですか」

 よく分からないというように瞬きをするイーニアスに、シェリアは悪戯っぽく笑ってみせた。



 医療室の入り口には、「休憩中」の札が掛っていた。

 それを確認してから、シェリアは扉を開けて中を覗き込む。ベッドに掛けられた白いシーツの眩しさに目を細めながら、部屋の奥で談笑しているミズレーとナシャ、そしてカーリンの姿を認めた。

「あらいらっしゃいませ、シェリアスティーナ様。それにイーニアス様も」

 こちらに気づいたミズレーが、立ちあがりながら声をかけてくれる。ナシャとカーリンも同じように席を立ち、頭を下げた。

「遅くなってごめんなさい。わざわざ休憩中の札を掛けてもらってるのに」

「いえいえ、全然遅くなんてありませんよ。私たちもちょうど今席に着いたところですから。ねえ、カーリンさん、ナシャさん」

「はい、本当についさっき来たばかりで」

 ナシャとカーリンが顔を見合せながら頷く。

「それならよかったです。さ、イーニアスも入って入って」

「シェ、シェリアスティーナ様、これは一体……?」

 シェリアに腕を引かれたイーニアスが、戸惑った表情でそう問いかける。それも無理はあるまい。ミズレーに侍女たちにシェリア、そしてイーニアス。どうにも奇妙な組み合わせだ。それにイーニアスは、いつも護衛で訪れた先では銅像のごとく立ったまま、決して輪には加わろうとしない。シェリアもそれを分かっているから、最近では無理に付き合わせようとはしなかったのだ。それが今は、積極的に同じテーブルに着かせようとしているのだから、驚かない方がおかしいだろう。


「今日はみんなでお茶をしようと思って」

 ね、とユーナは部屋の奥の女性陣に笑いかける。話を振られた三人が笑って頷いたのを見て、イーニアスはますます面食らった様子になった。

「俺は遠慮します。せっかくですし女性同士の方が」

「『せっかくだから』だよ! 今日くらいはお願いだから付き合って」

「いえ、ですが」

「医療室の扉、見たでしょう? 今は『休憩中』なの。だから護衛の仕事も休憩しようよ。ミズレーさんも医療室の仕事を休憩中。ナシャたちも侍女の仕事を休憩中。私も聖女を休憩中。――ね、たまにはこんな時があってもいいんじゃないかな」

「は、はあ」

 イーニアスは弱り切ったように、それでもなんとか頷いた。頷くしかない、という状況なのだろうが。

「皆でね、立場も身分も関係なく、楽しく話ができたらいいなって思ったんだ。なかなかそんな機会もなかったし」


 そして――これまでの、ささやかなお礼をしたい。

 昨日の晩、部屋から外の景色を眺めていたシェリアは、不意にそう思い立ったのだ。もうすぐ自分はいなくなってしまうという確信めいた予感の中、恐れと焦りに蝕まれ――それでも、あの景色をじっと見つめるうちに、妙に凪いだ気持ちに包まれた。

 聖女という立場を除けば、自分にはなんの力もないけれど。どんなに小さな形であれ、この気持ちだけは伝えたい。


「イーニアスは男一人になっちゃって申し訳ないなとは思うんだけどね。ネイサンはしばらく他の仕事で王宮を抜けてるっていうし、ジークさんやライナスは、どれだけ頑張っても絶対来てくれなさそうだったから。ごめんね」

「い、いえ」

「まあまあ、せっかくですし、とにかく皆さんお掛けくださいな。今お茶をお淹れしますから」

 このままでは話が進まないと察したらしいミズレーは、イーニアスの心が少し揺らいだと見える隙をついて明るい声を上げた。

「あ、待ってください。今日は私にお茶を淹れさせてもらえますか?」

 そこへシェリアが慌てて口を挟む。

「ええっ、さすがにそんなわけにはいきませんよ」

「大丈夫、淹れ方は分かりますから。それに、そのつもりで準備をしてもらってるんです」

 カーリンに目配せをすれば、彼女もこくりと頷いてくれる。

「台所お借りしますね。わ、小さいのに結構しっかりした台所なんですね」

 シェリアはミズレーの当惑に気づかないふりをしてそそくさと備え付けの台所へ足を運んだ。きれいに整頓された台所だから、カップや茶葉などの場所はすぐに分かった。そしてカーリンが用意してくれたサルトーの花びらと、その茎もある。

「シェリアスティーナ様、せめてお手伝いさせてください」

 ナシャが後ろからついてきて、そう声をかける。そしてシェリアの手元にある花びらに目を止めた。

「あら、綺麗な橙色の花ですね。これを使うんですか?」

「うん。摘みたてのサルトーで煎じるとね、さっぱりした味わいのお茶ができるんだよ」

「わあ、華やかで素敵ですね」

「でしょ? でも、サルトーの花びらは一定の時間以上煎じちゃうと、一気に変色しちゃうんだ。その見極めが難しくて」

「そうなんですか……。じゃ、じゃあ、私はお茶菓子の準備だけでも」

 少し尻込みした様子のナシャに笑いながらも、シェリアは首を横に振った。

「ありがとう。でも、今日ぐらいは私に任せて。ナシャもみんなとお話しててよ」

「ええっと……、それでは、お言葉に甘えて」

 ナシャも諦めたように台所をあとにする。ちらと振り返ってみると、テーブル席にミズレーたち四人が向き合って、二言三言なにか言葉を交わしているようだ。気まずそうな雰囲気でもないので、シェリアはほっとした。


 それにしても、こうしてお茶を淹れるのは本当に久しぶりのことだ。摘みたての植物を細かく刻んだ時に漂う独特の香りも懐かしい。目を閉じれば、実家の薬草であふれた台所に立っているかのような気分になる。

「お待たせ」

 盆に茶器を乗せて皆の元へ戻る。なんだか不思議な光景だと自分でも思って、シェリアはつい吹き出した。四人は慌てて席を立って手伝おうとしたが、それを再度押し止める。一人一人にカップを置いて、シェリアは自分も席に着いた。茶菓子とともに、お茶を一口。皆が口々においしいと褒めてくれたので、シェリアはなんだかくすぐったい気持ちになった。

「おいしいって言わせてるみたいで、ごめん」

 気恥ずかしさにシェリアは苦笑する。

「いいえ、本当ですよ。甘みがあるのに爽やかというか、初めて飲みました、サルトーのお茶って」

 ミズレーはこの状況を楽しむことにしたのだろう、肩の力を抜いた様子で茶菓子を一つ口に放り込む。次いでナシャもくつろいだ様子でミズレーに頷き返した。

「私もこんな飲み方があるなんて知りませんでした。花の時期が終わる頃に、こんな鮮やかな花のお茶が飲めるなんて」

「そうですね、サルトーの花を煎じるのは、時間と温度の兼ね合いが難しいと聞いていますが」

 一生の思い出になります、普段は口数の少ないカーリンにまでそう言われて、シェリアは胸がいっぱいになった。こんなささやかなもてなしでも、心から喜んでくれる人たちに囲まれているのだ。恵まれているな、と心底感じる。

「でもこれは、私たち五人の秘密にしないといけませんよね。シェリアスティーナ様と同じテーブルで同じお茶を飲んでたっていうのが分かったら、クビになっちゃうかも」

 ナシャが冗談めかしてそう言うと、ミズレーもそれに乗ってくすりと笑う。

「あ、そうよねえ。『休憩中』の札を掛けるだけじゃなくて、鍵もかけておかないといけないわ」

「でも、この医療室って鍵かかるんでしたっけ?」

「しまった、そうね、ここ、鍵がないんです。仕方ないからベッドで扉を塞ぐとかどうかしら」

「そんな姿を見られたら、それこそ大目玉ですよ」

 女三人、声に出して笑い合う。イーニアスだけはなおも遠慮した様子を見せていたが、ミズレーが少しずつ話の輪に引きずり込んでいく。

「それにしてもイーニアス様、こうしてお近くで拝見すると、本当におとぎ話の王子様みたいですよねえ」

「え、そ、そうですか」

「金の髪に、青い瞳がとても綺麗で。今はなかなか青い目の方って少ないですよね」

「そうなんでしょうか。うちは母方の家系に青い目が多いんですが」

「では、イーニアス様はお母様譲りのお顔立ちなのかしら。なんにせよ、羨ましいですわ。私はなんの変哲もない茶色ですから」

「それは私も同じですよ、ミズレーさん。珍しくて綺麗な目の色って、子供の頃から憧れていました」

 ほう、と息をついたナシャの横顔を眺めながら、シェリアもぼんやりと思いを巡らせる。

 イーニアスの青い瞳、そしてシェリアスティーナのこの紫紺の瞳、どちらも確かに美しい。しかし強烈な印象をシェリアに与えた瞳と言えば、ミリファーレの漆黒の瞳だった――闇夜に輝く三日月のように、鋭い光を内に秘めた、あの瞳。

 アシュートも同じ瞳を、持っている。

 そこまで考えて、シェリアはふと我に返った。せっかくの楽しいお茶の時間に、鬱々とした表情を見せるわけにはいかない。気を引き締めて周囲をちらりと見渡すと、幸いシェリアの様子に気づいた者はいないようだった。


 そのまま長い間雑談を続けていると、気づけば昼近くにまでなっていた。

 そろそろ互いに持ち場へ戻らねばまずいということになり、皆しぶしぶという体で後片付けに入る。洗い物も自分がやると申し出たシェリアだったが、こればかりは全員から却下され、結局皆で手分けをして取りかかることとなったのだった。

 一通りの片付けを終え、一足先に医療室を出されたシェリアとイーニアスは、ゆったりとした足取りで廊下を歩いていく。いつもは半歩後ろをついてくるイーニアスが、今日は隣に並んでいる。それが嬉しいシェリアだった。――が。


「シェリアスティーナ様」

 声を掛けられ見上げた先に見えた彼の表情は、穏やかながらもどこか真面目なものだった。

「俺、前に言いましたよね。シェリアスティーナ様のことは、諦められないと」

「……」

 突然その話を蒸し返されるとは思っていなかったので、シェリアは少なからず驚いた。

「立場上、諦めなければいけないというのは分かっています。それでも諦められない。だから俺は、一生でもこの想いを抱えていく覚悟を決めています。ですが……シェリアスティーナ様は違うのですか?」

「……私?」

 イーニアスはこくりと頷いた。顔は前を向いたままだ。

「アシュート様を慕っていると、以前打ち明けてくれましたね。その想いに、後ろめたいものを感じているのではないかと思ったのです」

「それは」

 思いもよらず確信を突かれ、シェリアは言葉を失う。

「的外れなことを言っていたらすみません。ただ、俺はずっとシェリアスティーナ様のことを見てきたから、分かる気がするんです。シェリアスティーナ様は、アシュート様への想いをどうにかして諦めようとしているんじゃないかと」

「……」

「あなた方の間に一体どんな問題があるのか、俺は知りません。でも、諦めようとしても諦められない想いというのはあると思うんです。感情を無理やり抑え込もうとしても、辛いだけだ。少なくとも、俺は……そうでした」

 イーニアスは足を止め、シェリアに向き直った。

「シェリアスティーナ様、もしこれが俺の勘違いではないのなら、どうかご自分の気持ちを大切になさってください。こんなこと、俺が言うのも変な話ですし、シェリアスティーナ様には不快かもしれませんが」

「イーニアス……」

 常にシェリアと行動を共にしているイーニアスは、近頃シェリアがアシュートと会っていないことを知っている。二人の間に気まずい空気があることも――きっと、つい今しがた医療室でシェリアが俯いたことも――気づいているのだ。

 だから今このタイミングで、彼はこんな話をしたのだろう。

 ありがとう、とシェリアは心の中で呟いた。

 たくさんの人に支えられているのだ、本当に。こんな時でさえも――。

 シェリアは一度目を閉じ、それからゆっくりと開いた。


 やはり。

 もうこれ以上逃げるべきではない。アシュートから、そして、自分の気持ちから。

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