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第6話

 部屋でライナスを待っている間、他に誰も訪ねてくる者はなかった。

 シェリアスティーナという娘は、いつもこうして時を過ごしていたのだろうか。

 何をするでもない、手持ち無沙汰なこの時間。その次に待っているのは、意味などほとんど見出せぬつまらない儀式。それが終われば、やはりまたこうして無為に時間を過ごすことになるのだろう。そんな毎日の繰り返しなら、きっとすぐに飽きてしまう。


 確かにユーナであったときも、劇的な毎日が待ち受けていたというわけではもちろんない。

 しかし、小さな喜びならばいくつもあった。

 手ずから薬草を育て、店頭に並べる。様々な料理を研究し、友人たちをもてなす。親戚の家に生まれた赤ん坊を、抱いて世話する。どれも特別なことではないけれど、確かにユーナにとっては大切な時間の一コマであった。それが今では、こんなに遠いものに感じられるなんて。


「はあ……、つまんないな」


 することもなく、ごろりとベッドに横になった。

 昼になるまで一体何をすればいいのだろう。以前のシェリアは、どんなことをしていたのだろう? 見渡す限り、この部屋には何もない。高級そうな調度品ばかりが冷たく無機質に並べられているだけだ。大人しくしているようにとライナスは釘を刺したが、こんな部屋で活発に動き回れという方が無茶だろう。


(ああ、そうか)


 シェリアは気づいた。この部屋には、人が暮らしていた余韻が全く感じられない。空っぽなのだ。唯一優しさを感じさせるのは、大きな窓から差す日の光だけ。そうと気付いてシェリアは途端に心細くなった。


(いやだ、この部屋にいたくない)

 しかしここ以外にシェリアの居場所などなかった。今も――きっと、「昔」も。

 ――かのシェリアスティーナは、何を思い、何を感じていたのだろうか。



 言われていた通り、昼頃になるとライナスがシェリアを迎えにやってきた。

 祝福の間へ向かう道すがら、聖女シェリアスティーナとしての振舞い方を教授される。

 言われたのは、とにかく偉そうに、気だるそうに、嫌味ったらしく。……もっとこう、人間としてあるべき姿を諭すまともな助言はないものだろうか。


「あと形式的なことだけど、祭壇の上からは動かぬようにね。相手が先に挨拶をするけれど、君は挨拶など返さず祝福の言葉を一言口にするだけ。相手は全部で七人いるが、全てその繰り返しだ。全員終われば向こうが勝手にまた挨拶をして退出する。簡単だろう?」

「……でも祝福の言葉が」

「気にしなくていいから、適当な嫌味を言っとけばいいんだよ。深く考えずにね」

 適当な嫌味って! あいにくそう適当に嫌味が出てくるようにはできていないのだが。しかしそんなことを言っても取り合ってもらえそうになかったので、シェリアは大人しく口をつぐんだ。


 王宮の中庭を通り抜けて祝福の間へ。

 入り口にたどり着くと、シェリアは一人中に通された。


 祝福の間は意外に小さく、白を貴重とした六角形の一間があるのみだ。鋭くとがった天井には大きな天窓がいくつか備えられ、そこからの自然光が部屋を明るく照らしていた。出入り口から見て奥の方に数段の階段があり、その上が祭壇となっているようだ。非常に簡素な部屋の造りが逆に神々しく目に映った。


 祭壇の上に登る。

 なんだか、『あの時』を思い出させる空間だ。シェリアの人生が大きく狂わされた、あの空間。彼女に激動をもたらした張本人のお気楽天使は、今頃どこで何をしているのだろうか。


「失礼いたします」

 不意に声がかけられ、厳かに扉が開かれた。身なりの立派な中年男性が、深く礼をして部屋に入ってくる。それに倣って同じような男たちが六人あとに続いた。


 始まったのだ、とシェリアはすぐに理解した。気合を入れて、どうにか気だるそうな顔を作る。しかし気合を入れている時点で、すでに気だるさからは遠く離れたところにいるのではという疑念がよぎった。そんなシェリアの心のうちは捨て置かれたまま、儀式は何事もなく進んでいく。


 祭壇を前に、男たちは横一列に並んだ。その姿を見ると、誰も非常に身分の高い人物のようである。くどいようだが平民出身のシェリアにとっては一列に並ばれただけで威圧感を感じずにはいられなかった。


「聖女様、私はジョルジュ・エヴァンズと申します」

 唐突に一番右の男が口を開いた。

「どうぞ私に祝福を」

 ものすごく直球だ。その直球ぶりに、シェリアの頭は真っ白になった。嫌味。こんな神聖な雰囲気の中、嫌味。無理だ。この場でカツラの話題を出したシェリアスティーナにいっそ敬意さえ抱いてしまう。

「……あの」

 うろたえて、シェリアは口ごもった。だが相手は七人が七人、誰一人として口を挟まずひたすら頭を垂れている。

「……あなたに、ヴェーダ神の祝福を」

 場の雰囲気に耐えかねて、至極普通の何の変哲もない言葉をかけてしまった。途端、ジョルジュと名乗った男が驚愕の表情で顔を上げる。

 沈黙。

「……わ、たくしは、バレット・ミシュレーと申します。聖女様、どうぞ私に祝福を」

 気を取り直したらしい二人目が、どうにか言葉を口にした。

「……ヴェーダ神は、いかなる時もあなたの側にあられるでしょう」

 告げると、二人目も泣きそうな顔をして顔を上げた。


 怯えている。完全に怯えられている。

 シェリアもそれに気がついたが、だからといってどうすればいいのか皆目見当もつかない。もはや考えることを放棄して、同じ調子で六人目までを終えてしまった。が、その頃までに貴族たちの方が相当参ってしまったようだ。全員真っ青な顔をして固まっている。ごく当たり前の祝福の言葉でここまで怯えるとは、普段どれほど嫌味な言葉を浴びせかけられていたのか。つくづくシェリアスティーナは想像を絶する女性だったようだ。


 駄目だ。やっぱり、まともじゃ駄目なんだ。シェリアは悲壮な決意を胸に秘めた。

「せ、聖女様、私はクロード・トレバセンと申します。……どどどうぞ、私に祝福を」

 かわいそうなほど縮こまっているこの男。きっと己の領地ではのびのびと暮らしているような大貴族なのだろう。なのに今は、その辺の子男よりも哀れな姿で震えている。

「あなた――」

 哀れみに満ちたまなざしを向け、シェリアは口を開いた。

「――ど派手なスカーフ巻きつけたクジャクみたいな格好してるのね。馬鹿じゃないの?」


 その瞬間、場は完全に、凍りついた。



「もう嫌。ホントもう嫌」

「落ち着きなさい、シェリア」

 ククク、と笑いを堪えながらライナスは祝福の間に入ってきた。

「やっぱり私、絶対無理ですっ! シェリアスティーナになんかなれっこない!」

「いや本当に、傑作だったな」

 まだ肩を震わせ、ライナスは目じりにたまった涙を拭う。そんな彼を横目で睨みながら、シェリアは大いに憤慨した。

「おかしくないですか、ごく普通のことを口にしただけで怯えられるなんて。やっぱり絶対、そんなのおかしいですっ」

「君は何に対して怒っているんだい? 私には、晴れの舞台で芸に失敗した道化が逆切れしているようにしか見えないんだがねえ」

「私が道化だっていうんですか! 誰に言われてあんなことをしてると思ってるんですっ」

「まあまあ、それでも君はよくやったよ。まさかあそこまで来て、最後にそう行くとは……クッ」

「もう笑わないでください!」


 本当に散々だった。最後の最後に血迷ったことを口走ってしまったがためにに、場はあまりにも寒い空気に包まれてしまった。

 ただ一人けなされたクジャク男ならぬクロード・トレバセンは、わけがわからず途方にくれているように見えた。

 他の面々もあっけに取られてシェリアとトレバセンを見比べ、沈黙。誰も一言も発さぬ静かな混乱に居たたまれなくなり、シェリアは一言「出て行って」と告げたのだった。途端、貴族たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去って。深い自己嫌悪に陥りながらシェリアが扉を開けると、外ではこっそり様子を窺っていたライナスが腹を抱えて笑っていたのである。


「最初からあの調子で相手をしておけば、何事もなく終わったんだよ」

「そんなこと、普通できませんよっ」

「最後にはできたじゃないか。――まあ、ようは慣れだね。他にも似たような儀式は山ほどあるから、そのうち自然に嫌味が出るようになるだろう」

「それっていいことなんですか……?」

 その呟きには答えず、腹の底の知れぬこの男は、ただニコニコと笑みを浮かべるだけだ。


「それにしても本当に、もしかしたら本物のシェリアよりも才能があるんじゃないか。全員等しく貶すより、ただ一人だけを貶める方がよほど威力がある」

「だからもうその話はやめてくださいってば」

「とにかく、この調子で頑張りたまえ。君はやればできるんだね、シェリア」

 やってもできない方が良かった。そう思ったが、シェリアにはもうこれ以上口を開く気力など残っていなかった。

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