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第42話

 不思議な沈黙が広がった。

 肯定も否定もできずに、シェリアは無言で立ちつくした。

 とっさには言葉が何一つ見つからなかったのだ。そんなシェリアの様子を見つめていたアシュートは、言葉を失ったままのシェリアに代わって先を続けた。


「……あなたは記憶を失われたという。未だその状態は、続いておられるのでしょう?」

「あ……う、ん」

 そういえばアシュートには記憶喪失であると告げていたのだった。そのことを思い出し、シェリアはようやく我に返る。

「それで、以前のご自身についてもっと知ろうとされている」

「そう……、そうだね」

 シェリアは頷いた。根本だけは事実と異なるが、それはあえて告げるべきことではないはずだ。

「私、『シェリアスティーナ』のこと、未だに何も知らない。だから知りたい。知らなくちゃ」

「……」

 今度はアシュートが口を閉じた。しかしそれも一瞬のことで、わずかに逡巡したのち、意を決したようにシェリアを見据える。


「初めてシェリアスティーナ様が王宮に上がられた時、美しいが愛想のない方だと思いました」

 初めて語られる、アシュートから見たかつてのシェリアスティーナだ。


「しかしそれも仕方がないと思いました。市井の者としてごく普通の生活を送っていた少女が、ある日突然『聖女だ』などと騒がれて、訳も分からず王宮につれてこられたのです。その状況で回りに愛想を振りまけと言うほうが無理な話だ。幾らか周りに対する不信感が強すぎる傾向がありましたが、日が経つうちに侍女たちとも少しずつ打ち解け始めたので、時間が彼女の心を解してくれるだろうと考えていました」

「……私は、他の人と仲良くしてたの?」

「連れてこられてすぐは、気が立っておられたのか、いつも周りを睨みつけ誰とも話をしようとなさいませんでした。しかし侍女たちが辛抱強くシェリアスティーナ様と接するうちに、他愛のない世間話程度は交わされるようになったようです。始めのうちは拒否していた聖女教育も受けられるようになり、少しずつ儀式にも参加されるようになりました。しかし……」

 そこでアシュートは言葉を濁す。


「それも束の間のことでした。平穏に見えた生活は何年も続きませんでした。シェリアスティーナ様は再び、少しずつ周りの者を遠ざけ始めました。それまで側でお世話をしていた者たちを一気に全員解雇されたのが一番大きなきっかけでしたでしょうか。それから使用人たちを傷つけるような言動をとられるようになりました。それはどんどんエスカレートしていき、ついには彼らに……死を命ずることも、厭わなくなった」

「……」

「ホリジェイルもそんな行動の一端に過ぎません。シェリアスティーナ様の命令で命を落とした者は数知れず。彼女は誰からも恐れられる存在となっていきました」

「どうして、どうしてそんなことになってしまったの?」

「分かりません。それは恐らく誰にも未だに分からない。しかし、奇妙に思える点があったのは確かです。私はそれについてシェリアスティーナ様に問い質しました。そして――」

「そして?」

 思わずシェリアは先を促す。が、その時見たアシュートの顔に血の気が全くないことに気づき、はっとシェリアは息を呑んだ。

「――っ」

 アシュートは右手を額にやり、わずかに俯く。その手が震えていることは薄暗がりの中でも見て取れた。

「アシュート、ごめん。嫌なこと思い出させちゃったね。もういいよ、ありがとう。私、人に聞くばっかりで、全然自分で努力してなかった。自分で思い出す努力もしないで」

「いいえ、そうじゃない。あなたは間違っていない。ただ私がまだ」

「もういいよ、いいから」


 シェリアは思わずアシュートにしがみ付いた。それでどうにかなると思ったわけではない。むしろ落ち着いて考えれば、彼の惑いの元凶である自分自身が近づく方がよっぽど彼の負担になることは、分かったはずだった。それだけシェリアも平静ではいられなかった。

 アシュートがシェリアの両手を掴んでその身体を起こしたときに、やっとそのことに思いあたった。――拒絶されて当然だと。


 シェリアは自分の突拍子もない行動に気がついて、慌ててその身を引いた。だが、意外にもアシュートはシェリアの手を放さない。両手を強く掴んだまま、彼は深い呼吸を繰り返した。

「……アシュート?」

「何故だろう。何故、こんな形であなたはここに現れたのだろう」

「なあに? あんまり、聞こえないよ」

「何故あなたは、記憶を無くしたシェリアスティーナでなければ、ならなかったのだろう」

「アシュート?」

 名前を呼びながら、シェリアは泣き出しそうになった。喘ぐようなアシュートの言葉がわずかに聞こえてきて、叫びだしそうになる。違う、私を見て! ちゃんと見て! 私は全く別の人間なんだよ、私はシェリアスティーナじゃないんだよ!


 ――ダメだ、そんな思いに飲み込まれたら、ダメだ。

 そうならないように、今こうしてシェリアスティーナのことを知ろうとしているのに。


 シェリアはすんでのところで言葉を飲み込んだ。

「アシュート……、ごめんね、無理に話させて。落ち着いて。本当に、もういいから。また、話してもいいって、思ってくれたときに、話してくれればいいから。ね?」

 アシュートは最後に大きく息を吐くと、掴んでいたシェリアの手を放した。力なく頷き、すぐ後ろにあった机にもたれるように腰を下ろす。


「申し訳ありません」

「気にしないで。私のほうこそ、今日はこんなところまでつき合わせちゃって本当にごめんね」

「この部屋には、シェリアスティーナ様に関する資料はまだないのです。シェリアスティーナ様は、過去の方ではありませんから」

「考えてみればそうだよね。私はこうしてここにいるんだもんね」

 シェリアは笑って見せたが、アシュートは険しい表情を崩さなかった。

「……あなたになら。お見せしたい資料が、別にあります」

「見せたい、資料?」

 はい、とアシュートは頷いた。

「ただ、ここにはありませんので後ほどあなたの部屋へ届けさせましょう。……まだ私の口から全てをお話しすることはできませんが、それが少しでもお役に立てれば」


 見せたい資料とはなんだろう。シェリアはその場で尋ねてみたかったが、つい今しがたのアシュートの取り乱しようを見ればそんな気持ちにも歯止めがかかる。アシュートにとって、その時の出来事は未だ癒えることのない深い傷なのである。思い出すだけで負担になるというのなら無理に語らせたくはない。

 ただ、はっきりしたことは――やはりシェリアスティーナとアシュートの間には、かつて「何か」が起こったということだった。

(それも、アシュートが心を乱すほどのことが)

 だとしたら。

(私とこうして二人で向かい合ってるだけで、きっと相当つらいはずだ。全ての元凶を目の前にして平気でいられるはずがない。それなのに、今までずっと耐えててくれたんだ。記憶を無くして全部忘れちゃいました、なんて……確かに、無責任にも程があるよね)

 自分は完全に部外者だ。この問題の一番深いところを、なにも知らずにいる。

(やっぱり私、シェリアスティーナのことを知らなくちゃ)

 シェリアスティーナに一番「近くて遠い場所」にいる、それが今のシェリアだった。


 部屋に戻りくつろいでいたところに、ネイサンが資料を携えてやってきた。

 アシュートからだというから、先ほど言っていた「見せたい資料」に違いない。手渡されたのは、黒い表紙の分厚いファイルだった。面に「慶弔記録簿」とある。ネイサンによると、王宮関係者のここ十年の祝い事と不幸を記したファイルだそうだ。ページをめくると、年月日と個人名、慶弔の内容が一覧になっている。


(どうしてこれを、私に……?)

 怪訝に思いながらもシェリアは一覧を順に追っていった。一見何の変哲もない記録だ。しかしアシュートがわざわざ用意してくれたからには、どこかに何かが隠されているのに違いない。ややもすればページから目が滑ってしまいそうになるのをどうにかこらえ、シェリアは辛抱強く記録を読み進める。


「……あ」

 やがて最初の違和感が訪れた。数年前からこちらまで、突然弔事の記録が増えているのだ。つまり、ある年を境に王宮関係者の死亡が急増しているということである。ある年、それは――。


(シェリアスティーナが王宮に上がった年)


 シェリアはぐっと眉根を寄せた。多く並ぶ「極刑」の文字。覚悟していた以上の衝撃が胸を打つ。どうしてこんなことになってしまったのだろう? どうして命まで奪う必要があったのだろう。自分の言葉一つで、人の命が簡単に消えてなくなる。それでシェリアスティーナは満足だったのだろうか? 後悔はなかったのだろうか?

 ――否、彼女にも後悔はあったはずだ。だからこそ彼女は最後に自らの命を絶つという選択肢を選んだのだ。しかし、どうしてそうなる前に他の道を選ぶことができなかったのか。たくさんの可能性が、きっと打ち捨てられたまま弱々しい光を放っている。そのどれか一つを拾い上げていれば何もかもが違っていたかもしれないのに。


「ネイサンは、憶えてる? 私が色んな人を――処刑したときのこと」

 扉付近で気配を殺して控えていたネイサンに、力なく声をかける。ネイサンは無言のまま静かに頷いた。

「私は憶えていないんだ。私、どうして人の命を奪うようなことを何度も繰り返していたのか」


 十四歳で突然王宮に連れられたシェリアスティーナ。親しい人たちから遠ざけられ、思い描いていた未来を奪われて。単調な毎日の繰り返し、どんどん神格化していく自分。そうした様々な積み重ねが彼女を壊していったのだろうか? 他の聖女たちが内に篭っていった一方で、シェリアスティーナは外に向けて攻撃を始め、それに歯止めが利かなくなって――ついに刃を自分に向けてしまったのか。


「それは誰にも分かりません。シェリアスティーナ様ご自身以外には」

 ネイサンの声はどこまでも静かだ。夜、深い海の底を漂っているような。

「ただ、シェリアスティーナ様はひどく気まぐれにものを命じられていたように見受けられました。極端に言えば、同じことをしても死刑になる者と咎めの無い者がおりました。あなたの中に何らかの基準があったようには思えません」

「そう……か」

 シェリアスティーナ自身にしか分からない。きっとその通りなのだろう。どれだけ知りたいと願っても、何を想像したとしても、それは飽くまで「想像」の域を出ない。それでも、目を逸らすことはしたくない。真実にたどり着くことはできなくでも、一歩でも近いところまで歩み寄りたいのだ。

 シェリアは再び記録簿に目を落とした。一切の感情を廃した事務的な記録は、ますますくっきりとシェリアスティーナの罪を浮き立たせている。

(あれ?でも)


 “シェリアスティーナが王宮に上がった年から王宮関係者の死亡が急増している。”


 この事実に、シェリアは妙な引っ掛かりを覚えた。

 シェリアスティーナは王宮に上がった当初、ごく大人しく過ごしていたのではなかったか。アシュートの話によれば、身近な侍女とは打ち解け始めてすらいたはずである。


「ネイサン、私が人を処刑し始めたのって、ここへ来てすぐだった?」

「なぜ、そのようなことを?」

「お願い、教えて。どうしても知りたいの」

「……王宮へ上がられてすぐの頃は、そのようなことはなかったと記憶しています。恐らく二年ほど経った頃からだったと」

 二年。

 思った以上に長いその期間にシェリアは驚いた。では、それまでの間に死亡している人々には一体何が起こったというのか?シェリアスティーナと無関係というにはあまりに不自然に人数が増えている。


(どういうこと?)

 もう一度一覧を確認する。シェリアスティーナが王宮に上がってから二年の間に死亡した者たち。――そこに「極刑」の文字はない。

(シェリアスティーナが死刑を命じたわけじゃないんだ!)

 その事実に愕然とする。


 ――イルフィス=ゲリオール、侍女、ウジルクス病により死去。享年二十歳。

 ――ミラアス=ハイルスカ、侍女、東別塔からの転落により死去。享年十七歳。

 ――ソニア=ラヴィネ、王宮付教師、中毒により死去。享年四十八歳。

 ――ポール=オリガ、王宮付料理人、階段からの転落により死去。享年四十六歳。

 ――ナディオ=ヴェーディオス、修道女、心臓発作により死去。享年十六歳。


 最初の一年、年齢と死亡理由の釣り合いが取れない者は、ざっと上げただけでもこれだけいる。皆死ぬにはまだ若く、シェリアスティーナとも何らかのつながりがあってもおかしくない立場の人間だ。しかしその死因を見た限りでは、その死にシェリアスティーナが関係しているとは考えにくい。


(シェリアスティーナが殺したわけじゃない……、でも、もしかしたらどこかで何かが関係している?)


 きっとアシュートもこの不自然さに気がついたのだ。彼がシェリアスティーナに問いただしたというのも、この件についてなのかもしれない。


(そしてその後アシュートの心の傷になる出来事が起こった)


 そのように全てを繋げて考えるのは危険だろうか。裏付けになるものは何もない。しかし……。


「ネイサン、私がここへ来てから人がよく亡くなるようになったでしょう?その、二年の間にも」

 ネイサンは少し考えるように目を伏せたが、分からないというように首を横に振った。

「申し訳ありません。当時はまだ正騎士団の見習いになったばかりでしたので、王宮の出来事についてはあまり存じていませんでした」


 それもそうか。四、五年も昔の話なのだ。その頃の王宮事情に詳しい者となると数は限られてくるだろう。話を聞けるとすればライナスかアシュートくらいしか思いつかないが、今はそのどちらも頼ることができない。

 シェリアスティーナが王宮に上がった。それから間もなく増え始めた不可解な死。そしてついに始まるシェリアスティーナの無慈悲な命令。アシュートに降りかかった事件、シェリアスティーナ自身の死。


(一番最初に、全ての原因となる何かが起こったんだ、きっと。それを知ることでシェリアスティーナの想いに近づくことができるかもしれない)


 となると、いつまでも逃げているわけにもいかないかもしれない。

 ライナスに話を聞くべき時が――まもなく訪れるだろう。

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