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第39話

「どうぞ、座って。畏まる必要は全然ないから」

 シェリアはネイサンに席を勧め、自らもソファに身を沈めた。


 場所は先ほどの部屋からさほど遠くない、簡易応接室のようなところである。

 ネイサンは小さく一礼すると、さっとシェリアの向かいに腰かけた。彼の動作はどこかとぼけて飄々としていると感じていたシェリアだったが、こうした動きの端々から、彼が特別な訓練を受けた人間だということに改めて気づかされる。

 吹けば飛ばされそうな頼りなげな雰囲気なのに、細かな動作が実に機敏なのだ。大事なところでまったく隙が無いとでも言えばいいか。頼りなく感じられる彼の動きは、ホリジェイルで傷を負ったためというわけではなく、もしかしたら前々からの彼の「スタイル」だったのかもしれない。


「いきなり居残りみたいなことさせてごめんね。でも、あなたとちゃんと話しておかなくちゃいけないと思ってたんだ」

「はい」

 相手の顔にも返事にも表情はなく、シェリアは少し戸惑った。それでも気を取り直して次の言葉を探しにかかる。

「あの、……まずは何よりも、ホリジェイルでのこと……ごめんなさい」

「……」

「謝っても許してもらえることじゃないっていうのは、分かってるつもりなの。でも、その、だからって何事もなかったみたいに振舞うなんてできないし。ええと、だからこうして謝ってるのは、自己満足みたいなものですごく心苦しいんだけど」

「謝罪など必要ありません」

 不意に言葉を遮られて、シェリアは思わず顔を上げた。これまでにもう何度も経験した、自身を拒絶する嫌悪の瞳で射抜かれているのに違いないと思ったからだ。

 しかしそんな思いとは裏腹に、ネイサンの瞳はむしろ先ほどよりも穏やかだった。――落ち着いた琥珀色の瞳がシェリアを静かに見つめている。


「ああ……と、あなたを許すつもりはない、と言いたいわけではないんです。俺の気持ちを汲もうとして、あなたが悩む必要はないと言いたい」

 抑揚のない声だったが、不器用にもシェリアを安心させようとしているのが何となく分かった。シェリアは無意識のうちに強張らせていた肩の力を、そっと抜く。

「俺は、自分の目で真実を見ます。何が起こったのか、何故起こったのか。どうするべきなのか、俺はどうしたいのか。そしてその真実に沿うように行動します。それが俺の全てです。俺に与えられた役目でもあったし、俺自身の生き方でもある。だから、あなたが俺に対する償いをしようと考える必要はない」

 理屈が通っているようで、まるで通っていないようでもあった。しかしそれは些細な問題なのか。確かなのは、彼の考えは非常にシンプルで、そのために翳りがなく非常に強固だということだった。

「それじゃあ、つまりは私が何をどうしようと、あなたは私を許さない……ってことに、なるんじゃない、かな?」

 戸惑いながらシェリアは尋ねた。

「ですから、あなたを許さないわけではないと」

「う、ん。でも……よく分からないよ」

「そうですか?」

 ネイサンはふっと顔を上げてどこか遠くを見るような仕草をした。


「俺は、ホリジェイルに入れられた時、聖女を恨むよりも何よりも、まずは生き抜くことで精一杯でした。全てが過ぎ去った後でやっと、色々なことを考える時間ができた。俺はきっと聖女に復讐することはできない、とまず考えました。聖女の行動がどれ程不条理で残酷であろうと、そんなことは関係ない。聖女が『ここに存在する』、それだけが何よりも重要なことだからです。それを踏みにじってまで私怨を晴らすことはどう考えても無意味だった。そうまでして守りたい自分の名誉なんて類いのものも、特になかったですから」

「……」

「ですが、あなたがあの牢屋まで足を運んで俺を見つめたとき、何かを垣間見たような気がしたんです。それがずっと気になっていました。何なのかは分からなかったけれど、ただ、凄く大切な何かのような気がした」


 あの、冷たい牢屋の闇の中で。

 シェリアとネイサンは確かに目線を交わした。

 シェリアにとっては戸惑う瞬間だった。相手が何を考えているのか見当もつかなかったし、自分でも彼に対してどう振舞えばいいか分からなかったからだ。しかしその間に、ネイサンの方ではしっかりとシェリアを観察していたらしかった――そして、「大切な何か」をシェリアから見出したのだ。


「結局頭でいくら考えても答えは出ませんでした。曖昧なひらめきなど放っておいて、あなたとは一切無縁の日常を送ってもよかった。でも私はもう少し模索する道を選びました」

「それで、あの晩――」

 思わずシェリアが口を挟むと、ネイサンは少し驚いたように眉を動かした。

「私だと気づいておられましたか? そうです、あなたがバルコニーに涼みに出ていたあの晩、あなたはバルコニーの鍵をかけ忘れました。そこを突いて私はあなたの部屋に侵入した。そして短剣を突きつけたのです。人は、自身の死に直面した際に、はっきりとその内にある物をぶちまける。余程訓練された者は別ですが、あなたならすぐに大きな反応を見せるだろうと踏んでいました。その瞬間になら、ホリジェイルで見抜けなかった『何か』をつかむことができるかもしれないと思ったのです」

「……それで、分かった?」

 いいえ、とネイサンは首を振った。

「あなたは本当に不思議な方ですね。なぜあの時、ああも落ち着いていられたのか……。自分が死んでもいいと思ったのですか?」

「そういうわけじゃ無かったよ。そんなに私、強くないから。だけど、何だか自分でも不思議なくらい落ち着いていて……、あなたが私を本気で殺すつもりじゃなかったってことが、何となく分かったの」

 本気で殺すつもりじゃなかった――、ネイサンは小さな声でその言葉を反芻する。

「分かりませんでしたよ。自分でもどうなるか分からないままに動いていたのですから。安らかに眠るあなたの姿を実際に見れば、急に憎しみが増してこの手にかけてしまうかもしれないと」

「でもあなたは私を殺さなかった」

「結果論です。今だって、あなたは随分無謀な真似をしています。この私と二人きりになるなんて」

「でもあなたは、昨日だって私を助けてくれたじゃない!」

 思わずシェリアは声を荒げた。

「昨日のことも、気づいてたよ。本物の暗殺者から私を守ってくれたのが、あなただってこと」

「――」

 相変わらず表情に乏しかったが、ネイサンは微かに戸惑ったように見えた。

「思った以上に、鋭いお方だ」

 ぽつりと呟いたその言葉には、どこか呆れのようなものも感じられる。

「その暗殺者の件は、誰かに相談されましたか?」

「ううん、まだ。暗殺者に襲われたのにどうして助かったのかって聞かれたら、あなたのこと話すしかないでしょう? それってあなたにとってはまずいことかもしれないと思って」

 ネイサンは今度こそ呆れきった表情を浮かべた。

「そんなことを気にされていたのですか? ご自身の命が危なかったというのに」

「だから今、こうしてあなたと二人でお話してるの。あなたに不都合がないならアシュートか誰かに相談するよ」

「……昨晩のことは、別に任務というわけではありませんでした。俺の単独判断で行ったことです。以前俺が簡単にあなたの寝室に忍び込むことができましたので、他に害意のある者が現われやしないかと、ここ最近目を光らせていたのです」


 ネイサンの話によると、ここのところ反聖女勢力が力を持ち始めており、密かに懸念されているということだった。聖女に手ひどい仕打ちを受けて王宮を追われた者たちが中心となって、以前からスラム街で細々とした活動を行っていたというのである。その動きが活発になりつつあるというので、内部にも諜報役の人間がいてもおかしくないと考えたのだ。


「残念ではありますが、諜報役どころではない人間が潜んでいたようですね」

「そう……。そんな勢力があるんだ」

「昨晩の件は、すでに上官に報告してあります。あの場で曲者を捕らえられれば良かったのですが、俺もまだ完全に傷が癒えておらず、戦闘に持ち込むのは危険がありましたので」

 そんな身体で、頼まれたわけでもない聖女の護衛を影ながら続けていたというのか。胸を打たれたシェリアの表情を見て、ネイサンは軽く首を振った。

「もともと、こういう影の仕事が得意なのです。その点を見込まれてあなたの護衛役にという話がでました。だから準騎士へ昇格することができたのです。自分の性にもあっているので別段苦にはなりません」

 淡々とした調子で言われてしまうと、それが本心の言葉なのかどうか判断できない。となると、シェリアはただ困惑することしかできない。


「色々と申しましたが――つまり、私はあなたをお護りします。あの晩にそう決めました。ですが、あなたはあまりにも簡単に人を信用しすぎる。今ではご自室とて完全に安全な場所ではないのですから、あまり気を抜かれぬよう願います。――言いたいことは、以上です」

「は、はい」

 シェリアは縮こまって頷いた。この妙に落ち着き払った態度は、どこか「あの」黒髪の神聖騎士を思い起こさせる。


(アシュートよりも無感動っぷりに磨きがかかってるけど。何を考えてるのか、全然分からないや)

 こっそり肩をすくめたシェリアに気づかなかったのか、それとも気に留めなかったのか、ネイサンはさっとソファから立ち上がった。

「この後は『詠神の儀』がありましたね。お部屋までお供いたします」



 部屋の扉を開けると、すぐ側にイーニアスと名も知らぬ兵士たちが緊張した面持ちで控えていた。

 ギイ、という乾いた扉の音に、弾かれたように顔を上げる。部屋の中で異変が起こればすぐさま踏み込めるようにと気を張っていたのだろう。イーニアスとネイサンは友人同士だと聞いていたが、それでさえ警戒を解く理由たりえないということか。これが「剣を交えること」を本業とする者たちの在り方なのかもしれない。それを思うと、確かに自分は無警戒にすぎるかもしれなかった。


「お話は、もう宜しいのですか?」

 どこかぎこちなくイーニアスが問うた。

「うん、ありがとう」

「それでは、もう間もなく儀式のお時間ですので参りましょう」

「あ、えっと、ネイサンについてきてもらうことになったから……」

 部屋から部屋への移動に二人も護衛は必要ない、とごく自然に単純に、シェリアはそう考えた。しかしシェリアの言葉を皆まで聞かぬうちに、イーニアスの表情がすうっと曇っていく。

「シェリアスティーナ様、ここはイーニアスに」

 敏感にそれを悟ったネイサンが身を引こうとするが、そこを押さえてイーニアスが首を横に振った。

「いえ、確かに二人も護衛がつく必要はないでしょう。俺はここで一旦失礼致します。……また何かありましたらお呼びください」

 護衛役二人の微妙なやりとりを見ていたシェリアは少し汗をかいた。もしやイーニアスは、自身をないがしろにされたと思ったのだろうか?確かに、どちらか片方だけを引き連れるのは不公平なことなのかもしれない。深く考えもせずにネイサンをと口走ってしまったが、イーニアスは真面目な性質なのでその辺りを気にしてしまったのだろうか。


「ねえ、イーニアス」

 努めて何でもないような明るい声でイーニアスを呼び止めた。

「儀式が終わった後は、イーニアスが迎えに来てくれる?」

 振り返って、イーニアスは微かな苦笑を浮かべた。シェリアが釣り合いをとろうと気を回したことをすぐに悟ったのだろう。そして、細かなことで不満を抱いた自分に呆れてもいるようだった。しかしすぐにその苦笑は穏やかなそれへと変わり、柔らかな物腰で小さく一礼を返した。

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