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第21話

「生まれた時から、国のためにあれと言われて育った」

 一人になり、シェリアはアシュートの台詞を何度も頭の中で反芻して、とあることに気がついた。


 ――彼の背負う、責任。その重圧。押しつぶされそうな――。

 いつだったか、誰かが同じようなことを言っていたと思い巡らし、浮かんできたのは一人の男――イーニアスだ。


 あの小さな物置小屋の中でイーニアスは言った。

 神聖騎士になることが全てと言われ続け、それが重荷になっていた、と。誰もが彼を「未来の神聖騎士」としか見なさなかったからこそ、本当の「イーニアス」は居場所を失い苦しんでいたのだろう。一たびその強固な枷から解放され、己が「イーニアス」以外の何者でもなくなったとき、彼は心の平安を得た。


 今のシェリアには、型にはめられることの苦しみが良く分かる。

 どこまで行っても逃れられないのだ、聖女からもシェリアスティーナからも。本当の自分がどんどん小さく掠れていって、終いには跡形もなくなってしまいそうで。誰か一人だけでもいい、本当の自分を見つけて欲しい。他の何者でもない、本当の自分を見つめて欲しい。


 ――同じ悲鳴を、アシュートも上げていたのだろうか。


 生まれたときから第一神聖騎士として祭り上げられ、そして育てられ。その重圧は計り知れない。おそらく本人でさえ「本当の自分」など分からないのではないだろうか。第一神聖騎士でなかった瞬間が彼にはまるでなかったのだから。


 しかしアシュートは、皆の期待に応え実に良くやってきた。

 その凛とした姿も、毅然とした態度も、全く申し分なく素晴らしい。上に立つ者がそなえるべき輝きを、彼はしっかり具えているのだ。

 まだ町娘だった頃のシェリアでさえ幾度となく耳にした、第一神聖騎士様の噂話。頭脳明晰で剣の腕も立ち、良く国王を支え深く信頼されている――およそ常人らしからぬその姿。しかしあながちただの噂話でもあるまい。まだ付き合いの浅いシェリアですら、彼が異常なほど優れた人物であることが分かるのだ。


(でも――だからこそ、それは本物のアシュートじゃない)


 そんな完璧な人物なんて、いるはずがない。人間というのは脆くて危ういものなのだ。だからこそ、その奥に秘められた強さが輝く。

 国のためなら心から憎んでいる女との結婚も甘んじて受け入れる――それが「強さ」であるはずがないと、シェリアは思った。


(そう、おかしいよ、そんなの)

 気付いてくれればいいのに。嫌なものは嫌だと突っぱねてしまえばいいのに。……そんな風に思ってしまうのは、自分がまるで子供だから?世の中は、そんなに単純には回っていないというの?

 だとしても。理不尽な苦しみをただ受け入れるなど、やはり間違っているのではないか。「嫌だ」と、ただ口にするだけなら簡単――そう言うのなら。まずは口にしてみればいい。そこから、何かを変えられるかもしれないではないか。


 ふつふつと、怒りにも似た感情が沸き起こってくる。

 それは、自分に対する怒りでもあるのかもしれない。気持ちばかりが焦って結局この状況を何も打破できていない自分に。そう、ただ流されている。激しい激流に飲み込まれて。


(頑張ろうよ、アシュート……。あなたの苦しみを全て分かっているだなんて思わない。本当は、足掻いてもどうしようもないことが世の中にはたくさんあることも知ってる。でも、それでも、諦めたらもう二度と立ち上がれなくなっちゃうかもしれないから。頑張ってみようよ)


 そうすれば、いつかイーニアスのように清々しい気持ちで過去と向き合うことができるようになるかもしれない。この苦しみすら自分への糧だったと思えるような時をいつか迎えたいと思うのだ。

 ――たとえその次の瞬間に、自分の全てが終わりを迎えることになったとしても。



 少し風を受けたい気分になって、シェリアはバルコニーへと足を運んだ。

 カタン、扉を開けてそっと身を乗り出す。思ったとおり、爽やかな風が微かに吹き抜けてシェリアの頬を優しくくすぐる。

(はぁ、ちょっと気分が落ち着くな)

 広めのバルコニーには何も置かれておらず、随分すっきりとした印象だ。しかし淡くきらめく特殊な素材を床や壁に用いているようで、太陽の光を反射する白浜のように、それ自体が美しい輝きを放っていた。


 バルコニー越しに見える景色は、これもやはり美しい。

 緩やかにカーブを描く手すりに身体を預け辺りを見回してみると、一面を覆うのは色とりどりの花の絨毯。繊細ながらも強い印象を与える、生命力に満ち溢れた景色がそこにある。

(あ、あそこにあるのはサリーナの花だ。向こうは……マスリンかな。わあ、ルーンの木もある。――綺麗だな)

 そういえばこのバルコニーに出たのは初めてだ。こんなに美しい眺めが広がっているのなら、もっと早くに足を運べばよかった。風になびく髪を軽く押さえ、シェリアは随分長い間ただ黙って景色を眺めていた。

 そして……。


「――あれ?」


 視界にわずか入るか入らないかの微妙な一角に、暗い土色がむき出しになっている平地があるのに気がついた。

 ちょうどこのバルコニーから見て左端の、建物と建物の間の部分。その茶色が側の花畑とはあまりに不釣合いで、殺風景というよりむしろ殺伐という言葉が当てはまる程だった。シェリアはバルコニーの端まで寄って、身体を乗り出すように覗き見る。――思ったとおり、随分広い土地が荒れ果てた状態で放り出されていた。


(なんでだろう、あそこだけ……)

 人がいる。遠目では良く分からないが、おそらく男性かと思われた。

 何もない土の上で屈みこんで、一人何かの作業を黙々と続けている。近くに置かれた道具から推察するに、彼は王宮付きの庭師か何かなのかもしれなかった。となると、新しく花畑を作ろうとしている最中なのかもしれない。一体どんな庭が出来上がるのだろうと思うと、シェリアの心も自然と弾んだ。


 自然の移り変わりを眺めるのが何より好きだ。きらびやかなドレスもまばゆい光を放つ宝石も、もちろん美しいと思うけれど。それ以上にいとおしいと思えるものがシェリアにはある。

 例えば、春に芽吹く小さな青い命。その葉が夏に、陽の光に照らされ瑞々しく輝きを放つ。秋にはその身を夕焼け色に染め、風に誘われるがまま儚く踊る。冬、しんと静まり返った白雪の胸元で眠りについて、その鼓動で大地を暖める。――わずかたりとも同じ表情を宿していないからこそ美しい、数々の風景。


(今度、あの人に声をかけてみようかな)

 あの、庭師に。

 また恐れられるだけかもしれないけれど、そんなことを気にしていてはいつまで経っても打ち解けることなんてできやしない。


(それにしても、結構広い土地だなぁ。あれを一人で整えるつもりなのかな。大変そう……)

 まさかこの王宮に、庭師が一人だけなんてこともないだろうに。どうして彼は一人きりでああして黙々と土と向かい合っているのか。

(でも、それもいいね)

 何もない、絶望に塗られたキャンパス地のよう。でもそこでは、無数の可能性と希望と喜びが息をひそめて待っている。誰かが自分たちを解放してくれるのを。ひっそりと、ひっそりと。きっとあの庭師が、すぐに色とりどりの花々であの土地を埋め尽くしてくれるのだろう。

(――私も、同じ。きっと……私の全ては、真っ白な状態で待っているんだ)

 それからシェリアは、一面の花畑を眺めていた以上の時間、孤独な庭師の後姿を見守り続けた。



「わ、これおいしい!ねえカーリンさん、これ何ていうお菓子なの?」

「ミルハンと申します」

「へえー、なんだか初めて食べる食感。サクッとして、それからふわっ、みたいな……」

「……以前からよくお持ちしているお菓子のはずなんですが」

「あ、え、そそそうだっけ。そういえばそうだった気もしてきた」


 翌日のティータイム。

 淡々とした表情は崩さないものの、話しかければ普通に言葉を返してくれるカーリンを気に入って、シェリアは他愛もない質問を振っては一人はしゃいでいた。

 今日はカーリンの他、若い侍女も一人付いてお茶の用意をしてくれている。目の前で繰り広げられる二人の奇妙な世間話に、侍女はただ目を白黒させてどうにも反応できない様子である。


「……ね、後ろのあなたのお名前は?」

 シェリアも、恐る恐るという風に彼女へ話を振ってみた。

「え! わ、わわ私は……ナシャと、も、申します……」

「ナシャさん。もしかして、最近入ってきた人なのかな?」

「はっ、はいっ! もも申し訳ございません!」

「え、別に何も謝ることなんてないよ! ただ、制服がまだ新しい様子だったから、そうなのかなーと思っただけで」

「は、はい……」

「入ってどれくらい?」

「まだ一週間です」

「それじゃあ、憶えることだらけで大変だね」

「は、はい」

「住み込みで働いてるの?」

「は、はい」

「そうなんだ……、実家はここから遠い?」

「いいえ、すぐ近くです」

「そっか、それなら気軽に家に帰れるし、いいね」

「は、はい」


 ……だめだ。どうも話が弾まない。まるで尋問をしているような気分になってしまう。

 ナシャも随分神経を使って「はい」という言葉を口に乗せているようなので、これ以上無理に話しかけるのも申し訳ない。シェリアは微笑み一つ浮かべ、話をやんわりと仕舞いにした。


「カーリンさん、もしよかったらまたこの……えーと、なんだっけ」

「ミルハンです」

「そう、ミルハン持ってきてね」

「畏まりました」

「でも、いいなあ。私もお菓子作りとか習わせてもらおうかな。今まであんまりやったことないし。そういうのって、頼めばやらせてもらえるの?」

「そうですね、もし本当にお望みでしたら、ご指導させていただくのに、一流の職人をご用意いたします」

「い、一流じゃなくってもいいんだけど……。あ、カーリンさんとかだめ? ケーキ焼いたりするの得意そうだし」

「いえ、私は。生まれてこの方料理を作ったことがございません」

「え! 一度も?」

「はい、一度も」

 いつもの通りの鉄面皮。しかしこのキャラで料理ができないというのか。そのギャップがいいな、とシェリアは密かに面白がった。

「じゃあ、ナシャさんは? お菓子作りとかって好き?」

 突然話を振られ、明らかに動揺したように、ナシャはあたふたと意味もなく身体を動かす。

「え! わわ私めでございますかっ! ――わ、私は作るより食べるのが好きですっ」

 なんとも味のある、奥深い回答である。

「――これ、ナシャ」

 流石のカーリンも見かねたらしく、小声でナシャを叱咤する。すぐにナシャも己の場違いな発言に気がついて、顔を真っ赤にしてうつむいた。

「あはは、いいねその答え。私も食べる方が好きかなぁ。今度一緒に、おいしいお菓子の食べ比べとかしてみたいね」

「は、はははい。あ、いえその、滅相もございません」

「……シェリアスティーナ様、貴重なお時間をいただき申し訳ございませんでした。私どもはそろそろ失礼いたします」

 これ以上醜態を晒してシェリアの機嫌を損ねさせるわけにはいかないと判断したのか。カーリンはきっちりとお辞儀をして、カートを外へ運び出した。新人侍女のナシャも、ぎこちない礼をしてから慌ててカーリンの後を追う。


「……なんか、あのナシャって子、いいなあ。――仲良く、したいな」

 花の蕾は、意外と身近なところで育っているのかもしれない。

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