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第19話

 希望通り――というべきか否か、シェリアは自室にて三週間を過ごすこととなった。


 部屋は広い。

 殺風景だがいつも清潔に保たれており、閉じこもっているのに不快な雰囲気はわずかたりとも感じられない。


 アシュートは、仮にも聖女ということで、この形ばかりの軟禁がシェリアにとって失礼にあたらぬよう、色々と根回しをしてくれたようだった。

 宗教本から通俗本まで様々な書物を用意してくれたし、レース編みに必要なセットもさりげなく卓上に置かれている。ほとんどの本はシェリアには難しくてなかなか読めず、レース編みも、そういった貴族的な嗜みなどないシェリアには手に余る品ではあった。

 それでもその心遣いに感謝して、心の中で礼を述べる。アシュートに言わせれば、これも彼の義務に過ぎないということになるのだろうが。


 部屋には専用のバスルームも備え付けてあるので(普段は使われることがないが)、食事さえ運んでもらえれば何不自由なくこの部屋の中で生活することができた。

 実際、今日で自主軟禁八日目を迎えるシェリアは、これといって不満を感じたことはない。むしろ、やれお召し替えだのやれご入浴だので侍女たちに張り付かれなくて済むのが、逆にありがたいほどだ。


 ただ一つ、不満とも言えない不満があるとするならば――、

(淋しい)

 だんだんと、人恋しい気持ちが募ってきたのだ。


 勿論、侍女たちは毎日部屋にやってきて食事を運び衣服の用意をしてくれる。しかし誰もがあまりに事務的かつ機械的で、僅かたりとも世間話などできる雰囲気ではなかった。

 時折アシュートが様子を見にやってくるが、彼と談笑できようはずもないことは、もはや改めて述べることでもあるまい。ライナスに至ってはアシュートよりも更に低い頻度でやってくる。この一週間あまりの間に、たったの二度姿を現したきりだ。その他、この部屋を訪れる者は誰もいなかった。


(遊びで閉じこもってるんじゃないんだもの、これくらいの苦しみがないと意味がない)


 自分にそう言い聞かせてみる。しかし、どれだけ平気なふりをしようとも、足掻けば足掻くほど胸に巣食う漠然とした不安は色濃くなっていくのだった。思い出さないようにしていた両親への愛慕の情がどうしようもなくこみ上げてくる。


 ――会いたい、お母さん。お父さん。


 頭では分かっている。以前の自分はもう死んで、両親の心に大きな傷を負わせたばかり。そこへ押しかけていっても、この見知らぬ女を見た両親がどんな反応を返すかは容易に想像がつく。両親が与えてくれた姿とは何もかもが違うのだ。髪も、瞳も、この両手も両足も。聞きなれぬ声で「お母さん」と呼びかけても、きっとあの優しい母親を怯えさせるだけに違いない。「あなたの娘だよ」と訴えでもすれば、いくら気さくな父親とてふざけるなと激昂するのがおちだろう。


(それでも会いたい……もう一度死んでしまう前に)

 完全に、ただの我儘だった。けれどこの上なく、純粋な我儘。

 そして絶対に叶えてはならない我儘なのだろう、とシェリアは固く唇を結んだ。



 九日目、シェリアはようやく本の山に目をやって――あまりに手持ち無沙汰でどうしようもなくなったのだ――ある一冊の本を引っ張り出した。


 この国と聖女の歴史の本である。文盲ではないものの、文字を追うのにとても時間を必要とするシェリアには、この手の歴史本を読み解くのはやっかいな作業だった。しかしだからこそ暇つぶしになるし、何よりこの国にまつわる聖女のことをもっと詳しく知ることができると思った。自分はあまりに何も知らなさすぎる。


(神話時代の気が遠くなる昔から、すでに聖女は存在したんだ)

 一ページ目からじっくりと読み込んでいたシェリアは、やっと千年前の時点までたどり着いて、ほうと感嘆の息をついたところだった。お茶を入れてカップを口に運びながら、予想外に「根深い」聖女の歴史に舌を巻く。

 大昔はこのシベリウスも各地にひしめく無数の王国の一つに過ぎなかったが、その当時でさえすでにシベリウスに仕える聖女の存在は皆に知れ渡っていたという。

 シベリウス王国は他のどの国からも聖女を守り抜き、またそのためにはどんな努力も惜しまなかったということだ。いつしかその努力ゆえに他国を圧倒する力を持つようになり、聖女の尊さを解していた他国も自ずとシベリウスに下るようになったと、そう本には書かれている。そして今からおよそ千年前にシベリウスは世界で唯一の王国となり、その他の勢力は全てその配下に置かれることとなったそうだ。

 しかし、様々な利益や思惑が絡み合う政治の世界で、それ程簡単に国同士の諍いに片が付くかといえば、そうではないことはシェリアにも朧げに理解できる。おそらくもっと陰惨で泥沼化したやりとりのあった末に、現在のシベリウス王国が形作られていったのだろう。


 さて、それよりも聖女である。


 シェリアは気合を入れなおし、政治に関する講義部分を飛ばし飛ばしに、なるだけ聖女に言及している部分に焦点を絞って本を読み進めていった。

 歴史本に登場する聖女は、誰も気高く美しい、天使のような女性たちばかりだ。皆非の打ち所のない聖人として描かれ、全身全霊をかけて国に仕えたと褒め称えられている。

 シェリアはこれにも疑念を抱いた。二週間にも満たない聖女生活で、これほど疲れきっている自分がいるのだ。幼い頃から聖女としての役割を押しつけられては、その重圧に耐え切れない者も出てきたのではないだろうか。それが、皆が皆文句の一つも言わずに理想の聖女であり続けた?どうにも胡散臭い、それがシェリアの正直な感想だった。


 しかしまあ、そこはそれ。そもそも何百年も前の時代の聖女たちだ、神がかり的に描かれていたとして、それも仕方がないだろう。ちょっとやそっとのアクシデントがあったとしても、細かなエピソードは省略されてしまっているに違いない。

 しかしこうして読み進めてみると、今回のシェリアスティーナは本当に異端の聖女なのだなと低く唸らずにはいられなかった。

 残虐非道な行いを尽くした聖女など、この数千年の歴史でただの一人も登場しないではないか。この本の作者が、シェリアスティーナについてどう色をつけようとも、「全身全霊をかけて国に仕えた」などとは到底記すことなどできないだろう。


(それじゃあ、数代前の聖女については、どうだったのかな?)

 本を大幅にめくって、最後の数十ページに目をやった。この本が出版されたのは比較的最近だったようで、前代の聖女についてまで書かれている。――自分の前の聖女!シェリアははやる気持ちを抑えてその項目に取りかかった。


 その聖女は名をマルヴィネスカといった。大層な名前だが、農民の出だという。この本によると、彼女たちの名前というのは聖女になった際に国王から賜るものらしかった。つまり、シェリアスティーナという名前も厳密には本名ではないということだ。大抵は元の名前をもじって神聖な響きにしたものを聖女の名とするのだという。


 マルヴィネスカは、ブルネットの豊かな髪を持った神秘的な雰囲気の美女である。

 寡黙であまり表情の変わらない大人しい性格だが、毎日の儀式は一つも欠かすこと無く務め上げる、信仰心の厚い聖女なのだそうだ。

 歴代の聖女にはそれぞれ特筆すべき能力が備わっていたが、彼女の場合は「上手く歌を歌える」というものらしい。透視までしてみせたかつての聖女と比べれば随分地味な能力ではあるものの、その歌声はまさに天上のものとしか思えぬ程に美しく、耳にした者はあまりの素晴らしさから頬に涙の川を作った、とある。

 第一神聖騎士はこの許婚を心底愛し、彼女が二十歳になるまで結婚を待てないほどだと本には大仰に書かれてあった。


 彼女に関する記述はこの程度。

 現在進行形で書かれているところからすると、どうもこのマルヴィネスカが存命中――しかもかなり若い時期――にこの本は出版されたらしい。これでは彼女が聖女としてどんな人生を送ったのか、詳しく知ることができない。少し残念に思って、シェリアは何気なく前のページをパラリとめくった。

 ――そして目に飛び込んできた数字。マルヴィネスカの生誕日を目にして、シェリアは驚きのあまり息を呑んだ。


 アデルバート2年……ほんの数十年ほど前のことではないか!

 現在存命していたとしても、まだ四十代前半だ。しかし――こうしてシェリアがここにいるということは、つまり、マルヴィネスカはもうこの世の人ではないということの何よりの証である。このシェリアスティーナが何歳なのか正確には分からないが、この姿を見れば二十歳に届くか届かないかであるのは間違いない。それを元に計算すれば、マルヴィネスカは二十代にして夭折したということになる。この王宮内で事故死は考えられないだろう。ならば、病死だろうか。


(かわいそうに……)

 そう思いながらも、同情心以上の何かを感じずにはいられなかった。おそらく自分の姿をこのマルヴィネスカに重ねているのだ。

 本を閉じ、シェリアは天井を仰いだ。――自分には、あとどれくらいの時間が許されているのだろう? 確実に迫りくる死を感じて、それでもどうしようもないこの無力感。マルヴィネスカも同じ思いを抱きながら聖女として生きていたのかもしれない。死に行く自分が何のために祈りを捧げるのか。死後の己のため? それとも、己が死した後もなお続く国のため?


 コンコン、と控えめなノックの音がして、シェリアは意識を扉の方に向けた。

「失礼いたします」


 姿を現したのは侍女の一人だ。灰色の髪を一つにまとめた、侍女長とも言えそうな年配の女性である。年の功とでも言おうか、シェリアに対してもあまり動じることがないので、その豪胆さを買われてか彼女がシェリアの世話を焼きに来ることが多い。今回も、お茶や甘いデザートを載せたカートを引いて部屋の中に入ってきた。


「お茶のご用意をさせていただいて、よろしいでしょうか」

「ええ、お願いします」

 素直に頷き、テーブルの上を整理する。侍女はシェリアの手にしている本をちらりと見て、少し眉を動かした。が、何を言うでもなく静かにお茶の準備に徹している。しかし明らかにシェリアとその本に興味を抱いたようだ。その様子を見て、シェリアは彼女に話しかけようと決心した。

「……あの、」

 声をかけても彼女は他の侍女たちのように驚愕する動きは見せない。それに勇気付けられた。

「あなたのお名前は?」

「……カーリンと申します」

「カーリンさんは、この王宮に勤め始めてから随分になるんですか?」

「そうですね、かれこれ三十年にはなりますね」

 三十年……まだほんの十八年しか生きていない自分には、一つ所で働くのにはとてつもなく長い月日のように思われて感嘆した。


「じゃあ、マルヴィネスカ様と一緒だった頃も、あったんですね」

「マルヴィネスカ様――ええ、そうですね」

 その名前を口にした瞬間、侍女はふわりと表情を綻ばせた。直前までの固い顔つきからすればまるで別人のようだ。しかしそれもほんの一瞬で、次にはもうもとの真面目顔に戻ってしまっていた。


「マルヴィネスカ様は、どんな方だったんですか」

「口数の多い方じゃありませんでしたけど、とても、お優しい方でしたよ」

 あまりシェリアの方は見ようとせずに、言葉だけで応対する。

「でも、早くに亡くなってしまわれたんですね」

「ええ、お病気で。とても残念なことです」

「……マルヴィネスカ様は床に臥されてからもお優しい方でしたか」

「あの優しいお人柄は、最期の時までお変わりになりませんでした。それに最期までとても信心深い方で。ご快活な方ではありませんでしたから、マルヴィネスカ様にあまり敬意を払わぬ不届き者もおりましたけれど。僭越ながらずっとお側でお仕えしていたわたくしは、今でもマルヴィネスカ様をお慕いしておりますよ」


 静かだが、どこか情熱的な口調。

 そうか――マルヴィネスカは、最期まで優しさと信仰心を失わなかった。そして、こうして今なお彼女を慕う人がいるのか。

 自分は一体何を残した? この十八年間で。――何も、残せていない。だからこそあと僅かなこの命で、何かを残したいと切実に思ってしまう。

 「死」という絶対的なその一文字が、どうしてもシェリアを惑わせ、焦らせるのだ。あの白の世界で天使アンジェリカと出会った時から今日のこの日まで、この短い間に何度の「決意」をしたことだろう。

 シェリアスティーナとして生きていく。神の御心に沿うように生きていく。シェリアの犯した罪を受け止め生きていく。自分らしさを失わずに生きていく。どの決意も、事あるごとに揺らいでしまうから情けない。自分はちっぽけな人間だ。


 ――それでも、まだ諦めたことは一度も無い。


「カーリンさん、きっとマルヴィネスカ様は幸せでしたね。カーリンさんのような素敵な人がずっと側にいてくれて」

 カーリンはふと手を止めて、怪訝な表情でシェリアに目をやった。

「私も……頑張らなきゃ。どんなことがあっても、けして諦めないように」

 最後の言葉はほとんど独り言だった。

 カーリンは、何も言わず止めていた手を再び動かす。散々非道な我儘を尽くしてきた聖女の不可解な独り言にも、カーリンはあざ笑うことなく、ただ瞳に淋しげな色を浮かべるばかりだった。

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