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第15話

「えぇっと、その、すみません」


 何故謝っているのか自分でも分からないが、シェリアはとりあえず頭を下げてみた。

 隣を歩くジークレストはやれやれとでも言いたげに首を振っている。イーニアスの姿はない。ジークレストにより、一人訓練場へのランニング帰還を命じられたのだ。


「天然たらしと天然たらしがぶつかると恐ろしいな。先の全く読めない戦いになる」

「はあ……?」

「とにかく、あんまりアイツを引っ張り込まないでくれよ。アイツはあれでも大真面目に生きてる奴だからな。時に見境がなくなる」

「え、いえ、引っ張り込むつもりでは」

「まあいい、さっさと北側へ戻ろうぜ」


 北、とは王宮の中でもシェリアがいつも過ごしている区域だ。

 ジークレストが部屋の近くまで送ってくれるというので、二人で肩を並べて歩いている。

 しかし気のせいだろうか、行きの時よりも周りの視線が更にどぎついものへ変わっているような――いや、気のせいなどではじゃなさそうだ。


 もしかしたらこのジークレストという男も、シェリア並にこの場に不釣合いな人物なのではなかろうか。

 神聖騎士だというから確かにこの場にはそぐわぬ身分、しかしそれを差し引いてもまだ余りあるような、――そう、それこそシェリアと肩を張るようなとんでもない人物だったりするのでは? なにせ、周囲の視線が行きの二倍だ。

 そういえば、イーニアスは彼を「副長」と呼んだ。騎士団の仕組みなど詳しく知る由もないシェリアだが、「副長」の言葉の意味くらいは知っている。組織の長に次ぐ存在ということだ。つまり、二番目に偉い人物であることを指す。

 しかし、こんなにだらしない格好の男が? 力強い雰囲気は備わっているが、威厳があるというのとはまた違う気がする。それに重役に就くにはまだ若いようだ。神聖騎士団も、その中で更にいくつもの隊に分かれているというから、そのどれかの隊の副長なのだろうか。いずれにせよ、身分ある人物なのには違いない。


「にしても、よく周りの奴らがアンタを一人で西側に行かせたな。またワガママでも通したか」

 失礼な、とシェリアはこっそりふてくされた。正面きって反論するのはなんだか怖いのでよしておく。

「あんまり迷惑かけんなよ、まったく」

 おてんばな妹を諌めるような響き。しかしその中にほんの少し、軽蔑を含んだ色が紛れているのも感じ取れた。先ほどイーニアスに会いたいと言った時もそう。この男はシェリアと気軽に接してくれるが、腹の底では自分を信用していない。それが分かるからシェリアは少し淋しくなった。


「で、イーニアスのことはどうすんだ? マジに自分の護衛役に戻すのか?」

「それは、まぁ、イーニアスがそれでいいって言ってくれるなら。でも」

 どうしても煮え切らない答えになってしまう。本当にそれでいいのだろうか。本物のシェリアスティーナが戻ってきたら、今度こそ彼は――。

 あれ、とシェリアは、ふと顔を上げた。

「そういえば、今の私には護衛の人ってついてないんでしょうか」

「はあ? 何をすっとぼけたことを」

 しまった。ジークレストはシェリアが記憶喪失だということすら知らないのだ。本当は記憶喪失でもないのだが。


「えっと、その。もともと周りに人を置くのって嫌だったから、手当たり次第下げさせちゃってたんですよね。だからその中に護衛の人がいたのかどうかも、よく分からなくて」

 しどろもどろに弁解してみる。ちゃんと弁解になっていたのかは分からない。

「……いなかっただろうな。イーニアスとネイサンがあんなことになってから、アンタの護衛役を引き受ける人物が現れなかったんだ。まあ神聖騎士っつったら、基本はイイとこの坊ちゃんばっかりだからな。名門の実家がおっかないカオして背後で睨んでちゃ、命令して無理に従わせんのも難しかったんだろう。仕方なく形だけは正騎士団の下っ端騎士をつけてるみたいだが、どうせそれらしい奴らと顔合わせたこともないだろ? 聖女につくには身分が低すぎるってんで普段はお目通り許されてねぇワケだ。ま、それもただの言い訳だけどな。そいつらがまた聖女にぶっ殺されでもしたら、いよいよ国の面目も丸潰れ、ってトコなんだろ」


 ジークレストは逐一詳しく説明してくれた。なるほど、そういう経緯があるのか。しかしどこまで行っても嫌われているのだなあ、そう思うとシェリアの気分はどうしても沈んでしまう。この生活を始めてから、一度たりとも明るい気分になどなったことはないのだが。


「なんだよ、しおらしいカオして。誰も自分に近寄らないのが淋しいのか? だったら、じっくり反省して、もうちょっと生き方変えてみるんだな」

 生き方を変える、か。簡単なようで難しいことをさらりと言ってくれる。全くの別人がこの身体に入り込んだというのに、取り巻く環境は微塵も変わらないのだ。自分だけが変わっても、周りにそれを受け入れてもらえなければ意味がない。


 しばらく取り留めもなく話しながら歩いているうちに、見たことのある風景がシェリアの目に飛び込んできた。王宮の北側に到着したのだ。辺りを歩く人の数も減り、その誰もが小奇麗な格好で澄ました顔をしている。

 戻ってきたのだ、とシェリアはほっと息をついた。そして、こんな冷たい環境に安堵してしまう自分を不思議に思う。慣れとは恐ろしいものだ。


「じゃ、俺はこの辺で戻るとするかな」

「えっ、そんな。もう帰っちゃうんですか」

 つい、甘えたような声を出してしまう。たとえ心の底では軽蔑されていたとしても、自分に笑顔を向けてくれるジークレストとは何だか離れ難かった。

「ん、なんだよ、俺のこと誘ってんの? 駄目だろ聖女様、そんなに簡単に下々の者へ愛想振りまいてちゃ」

「ち、違いますっ」

 そんな風に捉えられてしまったのか、と軽く衝撃を受ける。だが実際はただ軽くあしらわれただけのようだ。ジークレストは底意地の悪い笑みを浮かべてシェリアを眺め、更に軽口をたたき続けた。

「誰でもそう簡単には誘わないって? それなら光栄だけどな。据え膳食わぬは、って言うし、よし。そういうことなら」

「もうっ、ジークさんっ!」

「――シェリアスティーナ様!」


 と、突然。

 ジークレストを諌めたつもりが、逆に明後日の方から自分を諌めるような声をかけられ、シェリアは固まった。しかもこの声、以前に聞いたことがある。声だけではない、この剣を含んだ言い方さえも。


(アシュートだ)


 げんなりした顔で振り向くと、はたして黒髪の青年がむっつりとした顔でこちらへ歩み寄ってくるのが目に入った。声の通り、またしても怒っている。むしろ怒っていない彼を見たことがないのが情けない。


 さて、この場をどう切り抜けるか。

 アシュート相手にはさすがに太刀打ちできないだろうと思いながらも、シェリアは隣のジークレストに助けを求める目線を密かに送った。すると意外にも、ジークレストまで「厄介なのに遭遇した」と言わんばかりの苦々しい顔をしているではないか。


(あれ、知り合いかな)

 そう思ったのは、ジークレストの歪みきった表情に、どこか親しい者に向ける愛嬌のようなものが見られたからだ。

「よ、アシュート」

 するとあろう事か、ジークレストは軽い調子で右手を挙げて、第一神聖騎士様を呼び捨てにした。これにはシェリアも目を丸くする。

(この人、すごい!)

 いっそ感動すら覚える。

「ジーク! お前、聖女に何を……」

 その第一神聖騎士アシュートは、とりあえずシェリアを見逃してジークレストを追及することにしたようだ。こちらはこちらで、やはり旧知の友人に対するような素振りを見せるから驚きだ。

「何を、って。失礼な奴だなオイ。別に何もしてねぇよ。ただシェリアが一人で西側うろついてたからよ、保護してやったんじゃねえか」

「お前っ、聖女を愛称で呼ぶなど!」

「なんだよ、いいじゃねえか、シェリアがそう呼んでくれってお願いしてきたんだし。なっ、シェリア」

 なっ、シェリアって。シェリアは激しい眩暈がした。西側へ行ったのをばらされている。その上ジークレストが愛称で聖女を呼ぶのも自分のせいにされてしまうのか。

 何にせよ、ジークレストがシェリアに呼びかけたことでアシュートの注意が彼女に向いてしまったようだった。険しい表情で、彼はシェリアを厳しく見据える。


「シェリアスティーナ様」

 すごい迫力だ。

「お一人で西側へいらしたと?」

「……は、はい」

「突然姿が見えなくなったというので探していたのです。朝は大人しく儀式に参加されていたから安心していたものの、少し目を離した隙にこれですか」

「……す、すみません」

「謝るのなら最初からこのような軽率な行動は慎んでいただきたい。あなたに何かあってからでは遅いのですよ!」

「……は、はい」

「ま、まぁ落ち着けよアシュート。シェリアだって反省してるみたいじゃねえか」

「お前は黙っていろ、ジーク!」

「……は、はい」

「それにシェリアスティーナ様。皆の面前で、これを連れて歩くのも感心しませんね」

 ジークレストを“これ”呼ばわりか。切れた神聖騎士様はどこまでも恐ろしい。そしてもう誰にも止められない。

「彼が何者なのか、あなたもご存知でしょう。その辺の下級兵士と戯れるのとは訳が違う! 未来の神聖騎士団長と個人的な係わりを持つなど、言語同断です!」

「えっ、神聖騎士団長!?」

 そんなことは聞いていない! しかしシェリアの心の悲鳴は誰にも受け止めてもらえなかった。アシュートの説教はまだまだ続く。


「お分かりでしょう?ただの気まぐれでは済まされないのですよ。神聖騎士団副長にまで見境なく――。そのようなこと、この王国の顔に泥を塗るにも等しい行為です」

「お、おいアシュート、もうその辺に」

 流石に周りの目線が痛くなってきた。

 西側ほどでないとはいえ、ここにだって使用人たちが大勢いるのだ。回廊を歩きながらも、皆失礼にはならぬ程度にちらちらと、それでいてしっかりこちらの様子を窺っている。

「お前もお前だ、自分の立場をいい加減理解しておけ! お前と聖女が二人で出歩く姿が、皆にどのような印象を与えるか。いつまでもいい加減な態度でフラフラされては困るんだ!」

「わぁかったって! 悪かったよ。シェリアには、気まぐれで俺の方からちょっかい出したんだ。それに俺のことは分かってないみたいだったしな。これ以上怒ってやるなよ」

「なら、代わってお前が怒られて差し上げるか」

「それも嫌だ」

「――全く! いつまでもお前という男は」

 はああ、とアシュートは大きく息を吐いた。右手で額を押さえ、心底疲れたという表情をする。心労を全部背負い込む性格だな、と、シェリアは怒られながらもそんなことを考えていた。


「それで、シェリアスティーナ様は西側に一体何のご用事だったのです」

「え!」

 今度はそう来たか。どうする? 正直にイーニアスのことを話したら、彼にも迷惑がかかるのではなかろうか。言葉につまり、つい口ごもるシェリアだったが、うろたえれば許してもらえるような相手ではないことは分かりきっていた。だが、だからといって――。


 その時だ。

 突如、何かが地面に叩きつけられるような大きな物音がその場に響いた。

 三人は弾かれたように音のした方へと顔を向ける。

 ――全身を小刻みに震わせた若い女が、三人の視線の先に立ちつくしていた。

 彼女の足元には、空になった大きな籠が一つ。そこから零れ落ちた野菜や果物が、ころころと力なく地面を転がっていく。なにより異様だったのは、彼女の瞳が大きく見開かれ、ただ偏にシェリアを見つめていたことだった。


「あなた……、あなたがシェリアスティーナ……!!」


 ぽつり、と微かに漏れる乾いた声が、尋常ではなく震えていた。

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