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ゆっくりと、パラパラと。

ちょうど一ヶ月で完結となりました。

もっと桜庭さんを可愛く書きたかった(泣)


感想、評価をいただけるといい思い出になります。

 一ヶ月が、過ぎた。

 新学期も始まっていよいよ受験シーズン到来。頭に頼らず己の筋肉で強引に推薦を勝ち取るのが、スポーツ校のやり方なのだ。みんな勉強なんてそっちのけで基礎体力作りに励んでいる。みんな「推薦入学させてくれるならどこへでも行きます」という感じなので、他の高校のような殺伐とした雰囲気とはほぼ無縁。のびのびと過ごしている。

 ただ一人、俺を除いては。

 英語

「違う、bとdを書き間違えるな!」

 数学

「四則混合は掛け算と割り算からだよ!」

 国語

「起きろおおおおおおぉぉぉぉ!」

 教室の中に杉山の怒号が響いていた。滅多に怒らない杉山がすごい剣幕で叫んでいる。夢の世界から帰還してた俺は杉山に「よう」と声をかけた。

 見ての通り俺たちは、放課後の時間を使って勉強しているのである。

 夏休みの終わりにある大学から俺に電話が入ったのだ。

 お相手は強豪野球で有名なスポーツ大学。「推薦入試を受けてみませんか?」という内容だった。

 喜びで深く考えもせずに「ぜひお願いします!」と言った俺。しかし後で、世間はそう甘くないと思い知らされることになる。

 一週間後、届いたパンフを眺めていた母が気付いた。

「学力試験ありって……、書いてあるわよ……」

 …………終わった。

 もちろん普通高校と同じレベルを求められているわけではない。推薦入試用の最低限の学力や常識を確かめるためのもの。しかし俺にとってハードルが高いことには変わらず、泣きながら杉山に頼ったのだった。

「聞いているのか、楠原?」

「ああ、ごめん」

 最初こそとんでもなく高い山に思えた試験だったが、杉山の的確なアドバイスと俺の努力もあって、少しずつではあるけれどその標高は低くなっている。このまま成積が上がり続ければ問題なく受験はクリアだ。

「成『績』の字いいいいぃぃぃぃ!」

 杉山には心の中の誤答まで見抜く力があるらしい。

「漢字は細部まで覚えろ! ほら、続けるぞ!」

「へーい」

 それから一時間、絶え間無く勉強。国語では三回眠って三回とも杉山に引っ叩かれて目を覚ました。

 睡眠欲と疲労感とでぐったりしていた俺だったが「今日はこれくらいにするか」の言葉で飛び起きた。

「よし、行ってくるわ!」

「露骨に元気になるよな、君」

 言うが早いが勉強道具をすべて片付けてダッシュ。「頑張りすぎるなよ」と後ろの方で声が聞こえる。腕を上げて答えた。

 まだ夏の香りが残る校外へ。買い出し中の野球部後輩に「後で行くからな!」と声をかけながら、俺は町に走り出した。

 十分ほどのランニングの後、目的地に着く。

 扉を開けて俺が目にした世界は……

 本、本、本の山。

 ひんやり涼しい、あの図書館だった。

 汗をタオルで拭きつつ、司書さんたちに「こんにちは」と小さな声で挨拶。

 いつも通り俺は文学の棚の方へ。棚に一番近い椅子に座る。

「今日こそは桜庭さん、来てくれるじゃないかなー」

 なーんて言ってみたりして、ようやく俺は一息ついた。

 意外にも俺は、図書館の出入り禁止処分を食らわなかった。覚悟を決めていただけに「今回は大目に見る」との言葉を受けた時には拍子抜けしてしまった。すっごく怒られたけれど。ウチの監督だってあんなに怒らないよマジで。

 ただ、そんな不思議な判決にも舞台裏があったらしくて……。

 後で杉山が教えてくれた話だが、俺は意外な人物にかばわれたそうだ。桜庭さんと仲の良かったあの司書お姉さんだった。俺が「桜庭さん!」と叫んでいる声を聞いて、桜庭さんの命日を前に、俺が悲しみのあまり取り乱してしまったと勘違いしたらしい。そして「感情的になっても無理はないと思います」と取り成してくれたそうだ。勘違いだったとはいえ心から感謝である。そのお礼がきっかけで少し仲良くなったのだが、案外愉快な人だった。

 さて、肝心の桜庭さんはというと、まだ俺の目の前に現れてはくれない。恥ずかしがり屋だったから、すぐには来ないかもと予想はしていたけれど。

「しかしもう一ヶ月ですよ……」

 嫌な予感は日に日に大きくなる。救助が間に合わなかったのではないか、別のタイミングで発作を起こして亡くなったのではないか、もしくは俺のことなんて忘れてしまったのでは……という風に。

 正直すごく気になるが、彼女の安否については調べずにいた。「十年ぶりに家族写真」をフライングで読まなかった桜庭さんに敬意を表してそう決断したのだ。今なら桜庭さんの気持ちがよくわかる。本当にリアルタイムでしか味わえない喜びがあるのだと俺は知った。

 壁の時計を見る。……もうこんな時間か。

「さて……今日は変化球の練習でもするかな……」

 気持ちを切り替えるためにつぶやいた。あっという間に、グラウンドに戻らないといけない時間が近づいてきたのだ。

 俺の放課後は忙しい。二時に授業が終わってから、杉山に一時間ちょっと勉強を見てもらい、それが終わったら図書館で桜庭さんを待つ。四時半には学校に戻ってグラウンドで後輩に混じって練習し、夜になったら帰って寝る。この間、移動はすべてランニング。言葉にしてみると改めて、かなりハードスケジュールだと感じた。

 そんな俺の頑張りすぎを見かねてなのだろうか。最近、杉山はよく俺に

「君は生き急いでいる」

 と説教してくる。そんなことないと反論すると、学校と野球グラウンドと図書館をランニングで往復する生活がいかに非効率的であるか、どれほどの危険をはらんでいるのか徹底的に説明を始めるのだ。そして耳をふさぐ俺に対し最終的には

「そんなに急いでたら、桜庭さんは君に追いつけなくなるぞ」

 と締めくくる。

 さすが杉山いいことを言う、とその時は納得したが、よくよく考えてみてその理論は間違いだと思った。

 確かに俺は、気持ちが急いて突っ走ってしまう性格をしているし、桜庭さんに早く会いたいという気持ちを他のもので発散させている。それを否定するつもりはない。

 でも、生き急いでいるなんてことはないと思う。

 どんなに頑張ったって、俺も桜庭さんも一日ずつしか生きられないのだから。

 俺は一日一日をできることをやって待っていればいいし、桜庭さんは一日ずつ追いついてくれればそれでいい。

 そうしていればいずれ必ず会える。本棚のこちら側で。

 だから俺は今できることをすべて全力でやって、桜庭さんを待つのだ。

「よし、じゃあスキマだけ確認して……練習行くか」

 椅子から立ち上がる。いつも俺は最後に、スキマがあった場所を確認することにしているのだ。

 突然現れたスキマなのだから、何かの拍子に復活する可能性もある。そう考えると行動せずにいられなかった。

 ……もっとも、いつも目の前のコンクリートをしばらく眺めるだけに終わって余計に寂しくなるのだけれど。

 少し後ろ向きになりながら、俺は「復楽園の憂鬱」に手をかけた。この分厚さと威圧感だ、みんな借りて読むのをためらうのだろう。貸し出し中になっているのを見たことがない。

 万が一に備えて心を整え、一旦深呼吸。

 そして願うような気持ちで、ゆっくり、引き抜く。

 本棚の向こうに俺が見たのは……

「……………………そりゃ、そうだよな」

 灰色のコンクリート。当然といえば当然の光景。ただ俺が望んでいる展開とは違った。

 まあ、仕方ない。今日はまだその時じゃなかったと割り切ることにしよう。

 よし! 気持ちを切り替えて、グラウンドへダッシュだ!

 気持ちを奮い立たせると動きが速くなる俺のクセ。俺は右手に持った復楽園の憂鬱を素早くもとあった場所に戻して……


 ……ひらり、と。


 小さな紙が宙を舞った。

 クーラーの風に揺られて、ひらひらと床に落ちていく。

 どうでもいいことかもしれないけれど、その動きは俺に桜庭さんの甘える表情と手のひらを思い出させた。

 復楽園の憂鬱にくっついていたものなのか、それとも誰かが栞の代わりに挟んだものだったのか。どっちにしても俺の物ではない。

 几帳面とは言えない俺だから、紙一枚落ちたところで大して気にならないのだが……

「さ、練習、れんしゅ……ん? ちょっと待て」

 今回は少し、気が変わった。

 無視して立ち去ろうとした足にブレーキをかけ、床に落ちた紙切れに向き直る。

 俺がその紙切れに興味を持ったのは、それを桜庭さんの手に見たてて触りたいと思ったからではない。

 一瞬その紙を眺めて……なんだか懐かしく思ったのだ。

 不思議に思ってしゃがんで手に取ってみる。バント処理と同じ姿勢。

 何の変哲もないただの紙切れだ。裏に日付が書かれているから手帳の紙かもしれない。やはり触り心地に覚えがあった。そこに書いてある言葉は……


 約束、覚えてる?


 ……いや、まさか。

 一瞬だって忘れたことないよと心の中で言いつつも、俺は動揺していた。

 だってこれはアレですよね、俺へのメッセージですよね? 一ヶ月前もスキマを通してやっていたヤツ。でも今現在スキマは復活していないし、その兆候もない。


 ……こつん、こつん、こつん


 誰かのイタズラかと思ったがそれもなさそうだ。俺と彼女との大切な約束を知っているのは俺を含む当事者二人と、杉山くらいのもの。そして杉山はこんな誰の得にもならないことはしない。さらに言うならば俺の自作自演でもない。ということは?


 ……こつん、こつん、こつん


 いやでもここにメモを置いておくって、そんなまどろっこしいことするか?

 ……しそうだなー。なんかこういうの演出とかドラマ仕立てとかすごく好きそうだもん。さすが文学少女、考えることが斜め上を行っている!

 ……という風に、頭の中を考え事で満たしていた俺は、注意していれば聞こえたはずのこつんこつんした足音に気づくことができなかった。そして意識的な無防備をさらしてしまっていた俺は

「覚えていてくれると、嬉しい、な?」

 独特な句点の入れ方をする声に、全身を硬直させた。


 こつん、こつん、こつん、ぴたっ。


 ゆっくりと近づいてきた足音が、しゃがんだまま少しも動けない俺の目の前で止まる。視界の端にサンダルをはいた小さな足が映った。

 体の硬直が雪解けみたいに少しずつ解けていくにつれ、自然と頭が上がっていく。

 スキマからでは見えなかった細い脚。文庫本を一冊、大事そうに抱く両腕。そして、恥ずかしがり屋の象徴である薄く目を隠す前髪。四年前と比べて全体的に大人っぽくなったと思う。本棚の境界線がないだけでこんなにも新鮮な気持ちになるものか。

 硬直から完全に回復した俺は、ようやく立ち上がることができた。

「桜庭……桜庭理沙さんだよね?」

「うん。楠原、くん?」

 首を傾けてにっこり笑顔。前髪から覗く瞳が夏の太陽より眩しかった。

「…………えっと……その…………なんだろう?」

 おかしいな。言いたいこといっぱいあったはずなのに、いざとなると一言も出てこない。喉に何かつかえたかのように、言葉を出そうにもコントロールが効かないのだ。

 そんなとまどっている俺に桜庭さんは……

 すっ、とメモを差し出してきた。

 桜庭さんの手に乗った手帳の裏紙を目にした途端、懐かしさがこみ上げてくる。

 ……ああ、そうか。ずっとこれだったもんな。

 俺も桜庭さんも、何も言えないはずだ。

 桜庭さんの手から気持ちの込もったメモを受け取る。


 大好きな楠原くんへ。

 約束、果たしにきたよ。


 甘い言葉に続いて、大事そうに抱いていた文庫本を俺に差し出してきた。約束の本「十年ぶりに家族写真」だった。

 よく見ると背表紙の一部がいびつにへこんでいる。何があったのかなと不思議に思ったが、よく考えたら俺がガラス窓を割った時にできたへこみだった。その様子を思い出して吹き出しそうになる。

 ……さて、桜庭さんからこんなに味わい深い言葉を受け取った以上、当たり障りのない返事で応えるわけにはいかない。この雰囲気で「ありがとう」とか「久しぶりだね」なんてナンセンスだよな。

 この再会を思い出深いものにするために、気の利いた言葉を!

 ……と思ったが、俺にそんな文才はない。

 だからせめて、背伸びせず、ありのままの気持ちを伝えようと思う。

 桜庭さんの期待のこもった表情を眺めていると、ふと初めて出会った時の光景が脳裏をよぎった。

 初めて図書館に行った俺と、いつものように行った桜庭さん。

 2014年、俺は目標を見失っていて。

 2010年、桜庭さんは恥ずかしがり屋で。

 お互い、初対面ではまともに声が出なくて。

 そんな……あまり器用でない俺たちを、メモはつないでくれた。

 そしてきっと、これからも。

 このメモは大切な最初の一歩目。


 本棚隔てて奥にいた桜庭さんへ。

 あなたのことを愛しています。


 過去は変わった。運命も変えてみせた。

 だからこれからは二人で未来を作っていく。

 大切な本でも読むみたいに。ゆっくりと、パラパラと。


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