ぶら下がっている状態のブラブラじゃねえよ!
なんとか8月に間に合った!
「はい、こちら捜査一課」のくだりは私生活でよく使います。
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楠原くん、ぼーっとしてどうしたの?
俺の生きている現在から四年前、2010年八月六日の出来事。
図書館で桜庭理沙という女子高校生が突然倒れた。元々体が弱かったのを無理して図書館に通っていた彼女は、外気温と図書館内との温度差で体に負担をかけ、発作を起こしてしまった。その時の図書館は人が少なくて、桜庭さんが見つかるまでに時間がかかったらしい。図書館利用者が見つけた時にはもう息も絶え絶えで、運ばれた病院で亡くなった。
ねえ、どうかした?
司書のお姉さんから聞いたことと、俺がインターネットで調べたことをまとめるとこうなる。まとめたと言っても、司書のお姉さんも断片的な情報しか教えてくれなかったし、ネットで読める新聞の記事は小さくて、詳しくは載っていなかった。足りない部分は想像で補っている。
体が弱いことにはなんとなく気づいていた。メモをやりとりしている時も二十分に一回は椅子に座って休憩をしていたし、日差しの強い日は明らかに体調が悪そうだった。
だからと言って、桜庭さんが明後日に亡くなるなんて信じられないけれど……。
楠原くん、おーい。
「ん? ……あ、お、おう!」
スキマの前で大きく手を振られて、俺は我に返った。スキマにはメモが三枚溜まっている。白昼夢(はくちゅうむ。妄想と大体同じ意味)を見ている間に、すっかり桜庭さんとのやりとり中だと忘れていた。
無視しないでよぅ。楠原くんなんだか変。
すねたようにため息をつく桜庭さん。
ちっちゃい「う」があざとい。だが、それがいい。
……と、昔の俺なら思っていたことだろう。
今はそんなノンキなことを考えている場合ではない。昔と今の状況が違い過ぎるのだ。
今日、スキマのこっち側は2014年八月四日。
桜庭さんのいる向こう側の時間は年以外はすべて同じだから、ちょうど四年前の2010年八月四日。
桜庭さんは明後日、発作を起こして亡くなることになる。
結局、俺はまともに答える気にはなれず、メモを質問で返した。
桜庭さん、元気?
突然の俺の質問に、桜庭さんは不思議そうに首を傾げる。
ただ、俺は見逃さなかった。桜庭さんがきまずそうに俺から目を逸らした一瞬を。
急にどうしたの? 元気だよ。それよりも、何か考え事?
この反応。体が悪いことは間違いないなさそうだ。
とにかく時間がない。悲観的になっている時間すら惜しいくらいだ。桜庭さんが俺の目の前で倒れて亡くなる、その状況だけはどうにか避けなければ。
昨日も寝不足になりながら考えた。どうすれば桜庭さんが助かるのかをずっと、だ。
最初に思いついた案は、図書館内の冷房の温度を少し上げるというもの。外気温との差で体に負担がかかってしまったのであれば、その原因から断ち切ってしまえばいい、と思ってのことだった。
ただ、冷房の温度を四年後からコントロールする方法が見つからなくなったため、お蔵入りになった。安らかに眠れ、俺のアイディア。二度と外に出すことはないだろう。
というわけで、俺は心臓に負担をかけさせないという思考パターンを諦めて……。
そもそも図書館に来させない、という路線で行くことにした。
桜庭さん、実は俺、明後日は用事があってここに来れないんだ。
そうなの?
俺も桜庭さんの相手できないから、ちょっと羽を伸ばして図書館内以外の場所で遊んできたら?
この小さなスキマから四年前に干渉しようと思っても、そう大きな変化は期待できない。だから、桜庭さん自身を変化させる。我ながら完璧な作戦だと思った。しかし……
わたし、図書館以外遊べる場所、知らない……。読書なら、一人でもできる。
明後日も図書館に来る気満々だった。
よく考えれば、今までずっと一人で図書館通いしていたのだから、俺がいるとかいないとかで変わるわけない。
しかし、人命がかかっているのだ。そう簡単に諦めるわけにはいかない。こんなこともあろうかと、桜庭さんを図書館から遠ざけるための別のプランも用意してある。
明後日は大雨になるよ。
いつもバスで来ているから、大丈夫。
雨が降ったくらいで読書を諦めるような人じゃないって、なんとなくわかっていたけどさ……。
次!
開架の整理があって急に休館日になるよ。
書庫整理は偶数月の末。準備もあるから、急にはしないと思う。
桜庭さんの図書館知識の前に、俺のデタラメは撃沈した。すぐにバレる嘘をつくなよ……。
次!
記録的な猛暑日になるから、外に出ない方がいいんじゃいかな?
さっき大雨って言ったよね?
自滅、墓穴、自打球。
万策尽きて、心が折れた。
あれ、もしかして桜庭さんの行動を変えようとするのが、一番難しいことじゃないか? なぜわざわざ一番難しいことにトライしてんの?
そんな俺の反応に桜庭さんは……
楠原くん、わたしに図書館に来て欲しくないみたい。
不安そうな眼差しを向けて、桜庭さんはメモを渡してきた。
これまでのやりとりを振り返ってみれば、そう思ってもおかしくないのかもしれない。
いや、そうじゃない。実は明後日……
と書いたところで、俺のペンはぴたりと止まった。
実は……何だ。桜庭さんに向かって、「桜庭さんは明後日死ぬんだよ」なんて言うつもりなのか? 言えない。絶対に言えない。でも、思わせぶりな態度で何も言わないっていうのも怪しい。動揺した俺は書きかけのメモを右手で握りつぶす。
嘘と本当の間で揺れ動く俺に対して、桜庭さんは諦めたように目を伏せた。
ごめん。誰にだって言えないことはあるよね。
そう言えるのはきっと、桜庭さんも言えないような事があるからなのだろう。
きまずい沈黙がねっとりと流れていく。お互いに口をつぐんだまま十秒過ぎて、桜庭さんがメモを差し出してきた。
今日は帰るね。
「あ、ああ、うん……じゃ」
メモで返せばいいのに、思わず声が出てしまった。誰かに聞かれているかもしれないと、周りを気遣う余裕もない。
悲しい雰囲気を残して、桜庭さんはスキマの前から行ってしまった。
………………。
「やべえ……」
何をやったって良い結果につながる気はしなかったけど、考え得る最悪の選択肢を取ってしまった俺。ただでさえ複雑な問題を余計にこじれさせてしまった。こうするくらいならいっそ、桜庭さんを信じて本当のことを言うべきだったのに……。
ため息まじりに立ち去ろうとすると、スキマの向こうの窓が目に入った。絵に書いたような夕焼けの赤。向こうでは明日からますます暑くなる。実際、2014年現在まで記録に残っている猛暑日がしばらく続くのだ。そしてその二日目には……。
桜庭さんの死まであと二日。
俺も桜庭さんも、お互いに本当のことを言えずにいた。
図書館からの帰り道。俺はもやもやしたものを引きずりながら我が家に向かっていた。町を流れる一級河川の向こうに夕日が沈んでいく光景も、無邪気な子供達が自転車で走り回っている様子も、素直な気持ちで見ることができずにいる。周りの景色はまるでモノクロ映画。俺の心は無彩色。
……自分でも何を言っているのかよくわからない。
まあこのくらい、桜庭さんとのやりとりがきまずく終わったのがショックということ。おかげで一時間近く経った今も、気持ちだけはスキマの前に残っている。今日何度目かのため息をついた俺はーー
ジリリリリリ、ジリリリリリ!
「わっ!」
突然鳴り響いた音で飛び上がってしまった。
何の音だろうと不思議に思ったが、俺の携帯電話に着信が入ったようだ。電話がかかってくることなんて今までほとんどなかったから、気づくまでに時間がかかるのも仕方ない。
まるで俺をびっくりさせるために鳴らしたかのようなナイスタイミング。誰からの着信かは簡単に想像できた。発信者名を見てほらね、とつぶやく。
あいつにだけはなんとなくナーバスになっているのを知られたくなくて、努めて明るい声で電話に出た。
「はい、こちら捜査一課。事件ですか、自首ですか?」
『マルゲリータピザのLを一つ。ウインナーをトッピングで』
こんな返しができるのは杉山しかいない。「バカなこと考えるなー」『おまえこそ』と笑い合う。
「で、どうした? 杉山から電話って珍しいな」
『いや、桜庭さんのことが気になってさ。今電話して大丈夫か?』
杉山は少し前に、九州へ里帰りしてしまったので、桜庭さんが三年前の人だということ以外は何も伝えていなかった。ちょうどいい。一人で悩んでいるよりは杉山に話を聞いてもらった方が気持ちが軽くなりそうだ。
「ああ、いいよ。ちょうどブラブラしてたし」
『バンジージャンプでもしてたのか?』
「ぶら下がっている状態のブラブラじゃねえよ!」
『はいはい、わかってるわかってる。で、どうよ?』
俺が悪いみたいな空気を出されて軽くイラっとしたが、聞いてくれているうちが華だ。桜庭さんが四年前のこの時期に亡くなっていること、それが明後日だということ、助けようとしてもうまくいかず気まずくなってしまったこと、もう俺は諦めムードであること、覚えていることすべてを杉山に話す。
杉山は熱心に聞いてくれたが、話が終盤に差し掛かった時には声に笑いがにじみ出てきているような気がした。
「なあ、杉山。俺、深刻な話しているんだけど」
『ああ、悪い悪い。まさかここまでとは思ってなくて』
「ここまでって……何がだよ?」
『楠原。君、本気で桜庭さんのこと好きじゃん』
えっ、という誰かの声が聞こえた。後ろを振り向く。誰もいない。後ろだけじゃなく前にも横にも誰もいない。
つまり、俺が言ったってことだ。
「ま、まあそうだけど……」
『普通さ、四年前の人ってだけで敬遠するまではないかもだけれど、恋愛対象からは弾くだろ。死ぬことがわかっているならなおのこと』
言い方はひどいが、杉山の言うことは正しいと思った。現実で別に好みの女の子を見つければそれでいいし、「恋がしたい」だけなら桜庭さん一人にこだわる必要はない。スキマの存在は俺と桜庭さんしか知らないのだから、俺が諦めても誰も文句は言ってこないだろう。むしろ諦めて気持ちを切り替える方が、一般には賢明と言われる行動なのかもしれない。
でも、そんな選択肢は全く浮かんで来なかった。
桜庭さんの命日がわかった瞬間、すぐに助ける方法を考え始めた。
今日桜庭さんと会った時、なんとしても助けたいと思った。
そんな気持ちを、諦めていいのか? あの一球みたいに。
答えは最初から決まっていた。だから気づいた時には、もう電話口ではっきり宣言していた。
「桜庭さんを……助けたい。なんとしても」
『やっと素直になったか、やれやれ』
肩をすくめる杉山の様子が目に浮かんだ。その想像上の肩に手を置いて「頼む!」と俺は頭を下げる。現実だったら俺の石頭が杉山のインテリ頭を直撃しているはずだが、想像上だから杉山の頭は無事だった。
「俺の考えじゃ無理だった。だから杉山、力を貸してほしい!」
『仕方ないな、親友の頼みだしな』
指で丸を作る杉山の様子が目に浮かんだ。その想像上の指を手の平全体でつかんで「ありがとう!」とぶんぶん縦に振る。現実だったら杉山の指は二、三本折れていたが、想像上だから指は無事だった。
電話口だったからなんとか無傷でいられた杉山は、少し考えるように間を置いてから話を切り出した。
『まず、桜庭さんを図書館に行かせないっていう思考パターンを変えないとな』
「どう変えるんだ?」
『ちょっと乱暴かもしれないが、桜庭さんが倒れるのを前提にして、そこから助かってもらう方法を考えよう』
「大丈夫なのか?」
不安を抱く俺をよそに、杉山は『大丈夫だって』と声をかけた。
『君の読んだ新聞の内容を聞く限り、倒れる、イコール死ではなかったんだろう?』
記憶を遡っていく。確かに倒れはしたがそれが直接の原因ではない。発作が起きた結果、倒れたのだ。死因は倒れたことではない。
『じゃあ、大丈夫だ。方法については……俺もその日の新聞を読んでから考える』
具体的にどうするか今は保留になった。事件の起きた日時と新聞名を伝える。
しかし頼もしい。インテリは頭のキレ方と応用力が違う。相談相手が杉山でよかったと思いながら話し合いを続けているとーー
『身体面も大事だが、精神面のケアだって無視できない。そっちも策が必要だ』
と言い出した。
「そうなのか?」
『何よりも大事なのは「生きたい」っていう執着だろう。話を聞く限り、それを補ってあげれば桜庭さんだって結構頑張るんじゃないか?』
杉山の言うことはなんとなく理解できた。要するに、バットを振る気のない人間に「かっ飛ばせ!」と応援しても効果はないということだ、多分。
「でも、どうやって精神面のケアをすればいいんだ? 俺にできるか?」
自慢じゃないけれど、俺は野球以外の場面ではそういうのに疎い。デリカシーのないことで有名なのだ。二つ下の妹には怒られっぱなしなので自信ない。おとといも「ストッキングにシワ寄ってるよー」と声をかけたら「ストッキングなんて履いてないわよ!」とキレられた。
そんな不安いっぱいの俺に杉山が返したのは
『ぐへへへへ、よくぞ聞いてくれたな……』
下世話な笑い声。急に雲行きが怪しくなってきた。
「お前、何を企んでいる……?」
無視して杉山は続けた。
『やっぱりそういう執着って……「愛」から始まるんじゃないかなー』
わかった。杉山が何をしろと言っているのかがなんとなくわかった。そして後悔した。いくら信用できても、ドSの杉山にだけは相談するべきではなかったと。
「なあ、それってやっぱりさ……」
桜庭さんを助けるために。
俺の気持ちをしっかり伝えるために。
どんな結果になろうと後悔しないために。
『ああ、そうだよ。告れ』
……そんなにズバッと言われてしまったら、もう頷くしかないじゃないか。
次で完結です。
終わったら短編を書く予定。