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「フリスクちょうだい」の手だったら大恥

楠原大器のモデルはわたしのリアル友達です。

清々しいほど野球のことしか考えていません。

 俺の不思議な片想いが始まって、早いもので一週間が経過した。

 相変わらず俺は桜庭さんのことで悩み、軽く寝不足が続いている。母は俺が受験勉強に目覚めたと勘違いしていた。昼は図書館で日がくれるまで、夜はクマができるまでずっと勉強ってわけだ。これまで野球一筋の息子が図書館で知的な雰囲気ただよう不思議な女の子と逢瀬(おうせ、と読むらしい。ガチな文学用語)しているとは夢にも思わないだろうし。そういうわけで、家族は俺の図書館通いを奨励してくれていた。申し訳ないが、勉強しているわけではないので夏休み明けのテストでがっかりさせてしまうだろう。

 桜庭さんも相変わらずだった。このスキマから得られる情報を利己的に使うつもりはないし、俺が未来の人間だってこともまったく気にしていない。むしろ違う時代に生きる俺だからこそ話せることもあるらしく、一週間という短い時間にかかわらず俺たちは仲良くなっていった。

 ……ただ昨日、一つだけ予想外のことがあった。

 桜庭さんが初めて、このスキマを自分のために使い始めたのである。もちろん、お金関係とか、有名になりたいとか、ズル賢いことをしようってわけではない。なんとも桜庭さんらしいと言える理由だった。

 2014年の小説が欲しい、と言い出したのだ。


 頼まれた分持ってきたよ。


 八月四日、月曜日。俺は本屋さんで小説を三冊買ってから図書館に行った。

 いつも通り桜庭さんに会って、スキマから小説を手渡す。


 ありがとう。ごめん、無理言って。


 構わないよ。俺だって受験対策の本を探してもらってるし。


 申しわけなさそうな顔をする桜庭さんに、フォローの言葉を入れる。実際、一方的にしてもらってばかりだったから、これくらいはなんてことない。むしろ、申し出てくれた時は頼られている気がして嬉しかったし。

 嬉しそうに本を眺める桜庭さん。この作者の本をとか、この出版社の本を、という詳しい指定はなかった。桜庭さんの予算内で手に入る、できる限り新しい小説がいいということで、新刊コーナーで目についた本を適当に選んだだけ。こういうセンスの出るチョイスは苦手なので、逃げ口実が欲しかったというのもある。

 そんな適当な基準で選んだにも関わらず、桜庭さんもかなり喜んでくれたようだった。新しいバットを買ってもらった野球少年のように目を輝かせている。かわいいなぁ。

 …………ああ、いかん。

 桜庭さんの笑みに見とれてお釣りを忘れるところだった。お金だけ渡されて出版年以外は俺任せだったからうやむやになっていたが、ちゃんと返すべきだろう。レシートの裏に「これお釣り。ちなみに税率は今年から八パーセント」と書いてスキマに置く。

 視線を再び桜庭さんに戻すと……。

 曇っていた。天気のことではない。今日は日本晴れである。

 俺の見つけた曇りは桜庭さんの表情。眉が少し上がって口を結んでいる。

 この一週間で桜庭さんの表情の微妙な変化を眺めてきたが、これは初めての表情だった。ただ嬉しくないという顔とは少し違うような気がする。どちらかと言えば、嬉しい一方で困ったことも同時に起きたような、複雑な表情。キャリア一週間で読み取れるものではなかった。

 その戸惑いの視線の先には、俺の買った小説がある。俺が最後に選んだ本でタイトルは「十年ぶりに家族写真」。実は本屋さんであらすじを読んで「これは桜庭さん好みかも」と手に取ったものだった。よりによって自信のあるそれに、桜庭さんはうろたえている。やっべーわー。


 どうかした? もしかして古い本が混ざっていたとか?


 内容にだけ気を取られて、出版年の古いものを選んだのかもしれない。優しい桜庭さんのことだから、指摘しづらいのだろうか。

 しかしメモを見た瞬間、桜庭さんは首を横に振った。いつも前髪が揺れるのを気にする桜庭さんにしては、首を大きく振っている。気を遣って優しい嘘をついているようには見えない。

 他の心当たりを当たってみた。

 

 もしかして落丁本だったとか?


 ぶんぶん(首を軽く振る音)


 内容がグロかったとか?


 ぶんぶんっ(首を横に大きく振る音)


 官能小説では……ないよね?


 ぶんぶんぶんっ! (真っ赤になった首をちぎれんばかりに強く横に振る音)


 気がついたら桜庭さんは顔を真っ赤にしていて、きれいにセットされていたロングヘアーはぼっさぼさになっていた。なんかエロい。

 このまま続けるとどんなあられもない姿を披露してくれるのかと期待は膨らむが、その前にふらついて倒れられると困る。

 ストレートに聞いてみることにした。


 じゃあ、どうしたの?


 五秒沈黙。

 その間、桜庭さんは言いにくそうに、視線を俺と「十年ぶりに家族写真」との間で往復させていたが、やがて決心がついたようだった。メモを渡してきた。


 ……この本は、わたし、読めない。


 申し訳なさそうな小さい字。対して俺の受けたショックは大だった。

 余計なことをしてしまったのか。素直に新刊コーナーから別のを一冊持って来ていればよかったのに……。

「読書家は偏食が多いから本のプレゼントはしない方がいいな。似たようなジャンルでも受け入れると受け入れないの差があいまいだから、よほどセンスよく選ばないとありがた迷惑になる可能性が高い」

 という杉山の言葉を今更のように思い出した。なぜ今なんだよ杉山……。

 杉山は記憶の中でも少し意地悪だった。

 

 ごめん。こういうセンスの出るおまかせって、どうも苦手で……。


 あ、違うの。嫌とか無理とかそういうわけじゃなくて……。


 じゃなくて?

 

 読めないというか、今は読みたくないの。


 どういうこと?


 話せば長くなる……。


 しばらく待っていると別のメモがスキマに置かれた。前置き通りの結構な長文だったので、かいつまんで読むとこうなる。

 どうやら、俺が心配していたような理由で読めないわけではないらしい。

 実は俺の読みは当たっていて、桜庭さんは「十年ぶりに家族写真」の作者のファンらしい。ベテランに分類されるその作家さんは、雰囲気の作り方と細かな描写で人気を博し、桜庭さんの心もがっちりつかんだ。桜庭さんも、これまでに出された小説は全て持っているとのことだ。それならなおさら読みたいのではと不思議に思ったが、メモはここで終わらなかった。


 その先生……今は作家を休業しているの。


 その作家さんは体調を崩して入院してしまった。しばらく創作活動はできないから、2010年に出した本の中で長期休業を宣言したそうだ。「作家としてまた活動できるかはわかりません」という言葉をあとがきに残して。

 桜庭さんにとって、その作家さんの休業はとても残念なことだった。ただその残念が強かった分、作家さんが復活した時には心から歓ぶと決意していたらしい。

 そして今日。固い決意で待ち望んでいたその本を、俺がポンと渡したのだ。

 ……そりゃ、拍子抜けするわなー。


 その本は、それだけは、フライングで読みたくない。


 長文メモはそう締めくくられていた。今まで見たことのないくらい強い桜庭さん自身の意志が感じられる。

 桜庭さんは本気のようだった。多分、本当のところは今すぐにでも開いて読み始めたいのだろう。

 でも先取りすることよりリアルタイムでの喜びを共有することを願っている。わざわざ辛い選択をしているようにも思えるけれど、桜庭さんにとっては大切なことなのだ。それは、理解してあげないといけない。


 わかった。じゃあ俺が預かっておく。


 え?


 俺が預かるから。それで、この小説が発表されたら改めて渡すから。


 うん……、そうする。


 ものわかりのいい言葉に少し驚いたようだったが、小さな声で「ありがとう」と言ってくれた。

 気にしなくていいよと、両手を振る。納得した上で、桜庭さんにとって最高のタイミングでこの小説を読むことができれば、それが一番いい。俺だって逆の立場なら、今年のプロ野球優勝チームをフライングで知りたいとは思わない。それと同じだ、多分。リアルタイムでしか味わえない喜びが、そこにはある。


 怒ってる?


 俺が黙っているのを怒っているのと勘違いしたのだろうか、心配そうな顔で覗き込んでくる。

 上目遣い、不安そうな目、手をぎゅってする仕草。眼福です。


 俺の名前は大器。器が大きいって書くだろ? だから怒ってない。


 我ながら無茶な論理だと思ったが、桜庭さんを安心させるには十分だったのだろう。少しは落ち着いたようだ。やがて恥ずかしそうに笑ってメモを渡してきた。

 

 じゃあ、仲直り。


 メモを置いた桜庭さんの手が引っ込まない。まるで俺に向かってアピールするかのように、桜庭さんはその手をひらひら揺らして俺の方に伸ばした。

 …………これは。

 まあ、なんだ。俺が、妙な勘違いしていなければ……あれですよね?

 いやいや、今まで試合をする度に相手チームのキャプテンと握手をしてきた俺ですよ? 他人と握手するくらいどうってことないし。いや、恥ずかしくないから、こんなの慣れてるし。こんなんで意識するやつは精神年齢ガキじゃん。別に唇と唇を合わせるわけじゃない。だから平気、なあ、そうだろ? 頼むから平気だと言ってくれよ俺のみぎてええええぇぇぇぇぇぇ!

 自己暗示虚しく、俺は真っ赤になりながら手を伸ばした。これだけ悩んでおいて、桜庭さんの手が「フリスクちょうだい」の手だったら大恥である。汗がにじまないようにクーラーの風に当ててから、桜庭さんの手を握った。

 ただの握手! 他意はない!

 桜庭さんの手は少し冷たいような気がした。でもどこか温かい。今まで体験したことのないような感覚と心地よさ。桜庭さんの手はそんな不思議な魅力を持っていた。異性の手を触るなんて初めてかもしれない。ドキドキが止まんねー。

 やがて、どちらからともなく手を離す。もったいなさそうな素振りは見せてはダメだ。女々しいと思われてしまうから。スマートに、あくまでひょうひょうと。

 十秒沈黙。そんな沈黙さえどこか恥ずかしい雰囲気が残って、俺の脇腹と足裏をくすぐる。や、やめろ、そこは弱いんだって。にやにや止まらなくなるだろっ、ひゃ、ひゃひゃ、だめ、やめやめ……っ!

 野球一筋だった全力少年(俺な)は限界に達した。何の限界かは俺にもわからない。

 気づいた時にはいたたまれなくなって、メモを桜庭さんに渡していた。


 今日は帰るよ。


 何か用事がある?


 いやだって、桜庭さん、読みたいでしょそれ。


 まあ……うん。わかる?


 ずっとにへにへした表情なのだ。さっきのことで照れているのもあるだろうが、表情から察するに、今すぐ読みたいという気持ちの源泉かけ流し状態だった。桜庭さんはこうなるだろうと予想していたから、俺も最初からそのつもりだったし。


 また明日来るね。


 うん、それじゃ……ばいばい。


 メモを渡すが早いが、桜庭さんは向こうの椅子に座って小説を読み始めた。本のこととなると流石に素早い。

 俺の姿が見えると気が散るだろうから、早く図書館を出ることにする。赤く茹で上がってしまった顔にクーラーの風に当てると、少しは冷静さが戻ってきた。

「さて、どうしよう……」

 俺が見つめるのは俺の右手。桜庭さんも右利きだから当然、握手をしたのはこっちなのだ。

 手の感触はまだ残っている。実際に触れ合ったのはこれが初めて。忘れられないような経験になってしまった。押し込めていた、直接会いたいという気持ちがなおさら強くなる。

 今、桜庭さんは何をしているのだろう。この近くにいるのか、それとも県外に出ていったのか。相変わらずの読書中毒っぷりで有名なのだろうか、それとも他の活動に精をだしているのか。

 四年。その壁がやたら大きいように思えた。何も考えずに過ごしていれば、あっという間に過ぎていく時間なんだろう。でも、待つとなればこんなに長い時間はない。打たれたボールが飛んでいくその一瞬さえ長く感じる時もあるのだ。こんなもどかしい思いをしながら桜庭さんを待つなんて、俺にできるのだろうか。こんな風にずっと想っていることが可能なのーー

「うん?」

 突然、背中に視線を感じた。図書館から出て行くつもりだった俺は思わず足を止めてしまう。

 残念ながら恋する乙女のアツい視線ではない。桜庭さんに向けられたのでなければそこまで嬉しくないけれど。図書館の平安を乱す敵を睨む視線とも違うような気がする。鋭いような硬いような、なんとも表現し辛いタイプの視線だった。例えるなら……二塁ランナーが大きくリードを取っている時、背中に感じるものと似ている。ここで牽制球を投げる必要はないが、正直言って、またか、とうんざりしてしまった。

 物思いにふけるのを一旦中断して、振り返ってみる。そこにいたのは予想通り、一週間前俺に「図書館ではお静かに」と注意した司書のお姉さんだった。またか、と心の中で言ってみる。

 最近、何かと目が合ってきまずい感じになるのは、俺の自意識過剰……ではないと思う。

 最初は「俺が前にうるさくしたからマークが厳しくなっているのだろう」と思っていた。ただここ二、三日の間、明らかに俺だけを見つめているようなのだ。本の整理をしている時、貸し出しの手続きをしている時、事務仕事をしている時。俺が視界にいる間はずっと見ているんじゃないかと疑うほどだった。そのくせ、俺がその視線に気付くと何事もなかったかのように仕事に戻る。何か言いたいことがあれば言ってくれればいいのに。

 少し気味が悪いなと思いながらも、今日は無理してここにいる必要はないのだと思い出した。桜庭さんに会う用件はもう終わっている。よし、無視して帰ろう! と勢い良く出入り口に突進した俺は

「君、最近よく文学の棚にいるわね」

 お姉さんのその言葉にびくりと体を震わせた。

「う、うるさくしてごめんなさいーっ! もうしませ…………え、文学?」

 気がつくと、図書館内のみなさまの視線を一斉に集めてしまった後だった。我が高校の野球部のモットー、すべての言葉を声を大にして言う! が完全に裏目に出ていた。

 うるさいことを謝罪したらその声が一番うるさいパターンのやつー。

 現行犯逮捕。言い逃れ不可能だった。俺は声を落として図書館みなさまに「ごめんなさい」と謝罪した。帽子をかぶっていたら野球少年らしく取って謝罪しただろう。その一言で図書館内に平和が戻っていく。

 気を取り直して司書お姉さんの方を振り返る。

「そ、それでご用件は……」

「……最近、よく文学の棚にいるわね、って言ったの」

「あ、はい。大学受験が控えているので文学を読んでみようと……」

 へえ、そうなんだ。さして興味なさそうにお姉さんは呟いた。視線は開架の左奥、つまり文学の棚の方。少し悲しそうな、物思いにふけっているような目。別に俺を怒るために呼び止めたわけではないらしい。

 にしても、こんな気まずい空気は嫌だ。今のうちに逃げられないかなと考えたが、足にアクセルをかける前にお姉さんは俺に向き直った。

「間違いだったらごめん。あなた、理沙ちゃんの知り合い?」

「えっ!」

 聞き捨てならない言葉に俺はまたびくりとする。

 理沙、って……俺の記憶違いでなければ、

「桜庭理沙、のことですか?」

「そうよ。やっぱり知り合いだったのね。恥ずかしがり屋の理沙ちゃんに異性の友達って珍しいわ。もしかして、彼氏だったとか?」

「え、ええ。まあ……」

 無意識のうちに肯定してしまった。それは自分の願望だろうが。

 このお姉さんも知っていたのか。あのスキマの秘密を。……いや、何も不思議なことはないか。

 ここ一週間見ていたお姉さんの働きぶりは視線以外とっても真面目で、暇な時も積極的に本棚の整理をしているのが印象的だった。それを毎日していれば、いずれあのスキマを発見することにはなるだろう。

「びっくりですよね、あのスキマ」

「……え、すきま?」

「はい、あの文学の棚の。あのスキマを介して桜庭さんと会話していたんですよね?」

「いや、あの娘とは普通に会話していたけれど……」

 そんな面倒臭いことわざわざしないわ、とお姉さんは続けて言った。

「え?」

「むむ?」

 ……会話が、噛み合っていない?

 そう感じたのは何も俺だけではないようで、お姉さんも言葉に詰まっている。ちなみに「え?」が司書さんで、「むむ?」が俺。

 俺たちの間を、ねばねばした空気がじとーっと流れていった。

 その間、俺だって何も遊んでいた訳ではない。いや、ここで遊べたらとんでもない強心臓だけど。しっかり考えるには考えていた。

 もしかして、司書のお姉さん、同姓同名の人違いをしている?

 いやいや、それはないだろ。じゃあなんで桜庭さんが恥ずかしがり屋だと知っているんだ。会話は噛み合わなかったけれど、多分桜庭さんのビジョンは共通しているはず。

 情報が足りないことを認めた俺は、「ああ、こっちの話です」とお茶を濁して、話題を切り替えることにした。

「桜庭さんとは、昔から仲良かったんですか?」

「まあ、そうね。四、五年くらい前にこの図書館で会って、それから仲良くなったわ。友達だったの」

「本の話で盛り上がったんですか?」

「ええ、お互いにおすすめの本を交換し合ったり、意見を言い合ったりしていたわ。わたしも彼女も本が大好きだったから」

 懐かしそうに司書のお姉さんは目を細めて笑った。「図書館ではお静かに!」事件の形相とはえらい違いで、少し不平等を感じたが。

 しかし、俺にとってこの会話は大きな収穫だった。

 収穫その一。司書のお姉さんはスキマの存在を知らない。知っていたら今現在それを活用しているはずだし、言葉をわざわざ過去形にして俺に語る必要はない。

 収穫その二。司書のお姉さんは、現在の桜庭さんについて詳しい可能性が高い。お姉さんは四年前の桜庭さんと仲良しで、俺のようなスキマを介したコミュニケーションではなく、実際に会って話をしている。今もその関係が続いていると考えるのは妥当なことだ。

 とすれば。

 お姉さんは現在の桜庭さんと繋がっている。うまくいけば、俺も現在の桜庭さんに会えるかもしれない。

 ただそれだけで、俺を動かすには十分だった。

「あ、あの。桜庭さんと連絡を取ることってできますか? 俺、楠原大器っていう名前で、きっとその名前聞いたら彼女も俺のこと思い出してくれると思うんですけれど……」

 ごまかしや嘘はよくない。だからストレート勝負。俺は真剣だ、そしてその真剣さは必ず伝わるはずなのだ。

 対するお姉さんの反応はーー

「それはできないわ」

 弱々しい言葉を返すだけだった。力なく笑って「ごめん」と呟く。

「どうしてですか?」

「……わたしだって、できるものならしたいわ。でも、もう理沙ちゃんは……」

 いや、待て。「できるものならしたい」ってなんだ。

 その言い方はまるで、もう桜庭さんとは話すこともできないみたいじゃないか。

 それに「もう理沙ちゃんは……」もおかしいだろ。

 それじゃまるで……桜庭さんともう会えないみたいな言い方じゃないか。

 クーラーは効いているはずなのに、冷たい汗が背中を伝っていった。

「あ、あの、じゃあ、桜庭さんは今、どこに……」

 言いながら、大体の見当はついていた。我ながら女々しいと思った。ここまで現実を突きつけられないと納得できないなんて。

 感情を殺すように下唇を噛みながら、お姉さんは口を開いた。泣いてはいない、ただ、それが悲しんでいないのと同じ意味ではなかった。

「亡くなったわ。ちょうど四年前のこの時期に。この図書館の中でね」

 そして残念ながら、俺の嫌な予感は当たった。当たってしまった。

 俺にも、司書のお姉さんにも、桜庭さんの現在を語ることができない。

 きっと、誰も語ることはできないのだろう。語りたくても桜庭さんの足跡はもう四年前に止まっている。その続きが刻まれることはない。

 だって桜庭さんの人生は。

 四年前の夏、終わっていたのだから。

 桜庭さんに「現在」はない。


次の投稿は八月以内で頑張ります。

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