バックトゥザフューチャー俺の右ヒジ!
サブタイトルは、本文中から気に入ったフレーズを適当に選んでいます。
大した意味は……多分ない。
あ、評価頂けると続きを書く励みになります。よろしくお願いします。
考え事があって眠れなかった夜が明けて、新しい一日が始まった。一つのことに集中しすぎると何も手に付かなくなる、俺の悪い癖だった。とにかく桜庭さんのことが色々な意味で気になる。常識では説明つかないことが起きているのは俺でもわかっていた。
時間は少し早いが、図書館に向かうことにする。
母に「まあどうしたの、そのクマ!」と驚かれたが、なんでもないよと曖昧に返事した。午前中はジョギングでもしようと予定していたが、図書館に向かうことにする。
外に出ると、寝不足の目に夏の日差しが突き刺さる。ジリジリ照りつける太陽が、夏の甲子園予選決勝を思い出させた。思えば、グラウンドの外で朝の時間を過ごすのは珍しいことかもしれない。
図書館に到着して、一旦深呼吸。中に入って確かめてみたのだが、杉山の言うとおり文学本棚の裏側は倉庫の外壁にぴったりとくっついていた。この様子だと人間一人どころかネズミ一匹通ることもできないだろう。
一応、倉庫の中も見させてもらった。インクの匂いとカビ臭さをぎゅっと濃縮還元してコンクリート風味を加えた香り。ファブリーズにしたら売れるかな? 売れねぇよ。中は見るからに古い本ばかりが乱雑に積まれている。誰かに読まれる日を待っているというよりは、ただ腐るのを待っているだけのようにも見えた。
本を探すフリをしながら壁を観察する。倉庫から外の様子は全く見えなかった。窓も覗き穴もなく、完全に外から隔離されている。案内してくれた司書さんに「この倉庫ってよく使われますか?」と尋ねると「この一ヶ月誰も使っていないですねー」と記録を眺めながら教えてくれた。
「ありがとうございました、もう出ます」
司書さんにお礼を言って倉庫を出る。あまり期待してはいなかったが、改めて何もないとわかると益々不安になってくるな。
休憩がてら、文学の棚に一番近い椅子に座る。ふと杉山の言葉を思い出した。
「気になるならダメ元で調べてみれば?」
昨日、大して気にも留めていない様子で杉山は俺に言った。杉山自身は経験したことがないようだが、図書館ではそういう不思議な話の一つや二つ珍しくないらしい。
いわく「言葉には力があって、その力の塊である本が大量に置かれている図書館には、とてつもなく大きな力が溜まっている。だから何が起きたっておかしくはない」……とのこと。
人を恐がらせる杉山のことだから真剣半分、冗談半分で聞いていたが、これだけ調べても手がかり一つ見つからない以上、その言葉を信じざるを得ない。
そう思っていると、昨日桜庭さんに会った時間が近づいてきた。時間を指定して待ち合わせしていたわけではないが、なんとなく同じ時間がいいかなと思ったのだ。
桜庭さんに関しては不思議なことばかりだけれど、今は普通にしておこうと思う。詮索しているのがバレたら、ヤバイことになるかもしれないし。
ふうと息を吐いて、復楽園の憂鬱を抜いた。スキマに「桜庭さん、いる?」と書いたメモ紙を置く。
向こう側を覗いてみた。本の詰まった棚がいくつか見えて、奥の方に椅子がある。火災報知器が壁についているのもわかった。人は誰もいない。一見すると、人の少ない時の図書館の風景。
しかし、俺は知っている。これはおかしな光景なのだ。本当ならコンクリートの壁が見えるはずなのだから。じゃあ俺が覗いているこの光景はいったいーー
そう考えていると、スキマの前を不意に誰かが横切った。
悪いことをしているわけではないのに、反射的に身を隠す。俺はパトカーを見つけるとやましいところはないのに、不安になってしまう性格なのだ。チキンって言うな。
通り過ぎた影の正体を覗き見る。長い髪にきゃしゃな体格、目元を隠す前髪が揺れていた。何かを探しているかのように、きょろきょろ見回している。
なんだ、不安になる必要なんてなかった。桜庭さんだ。
「あっ」
俺の置いたメモを見つけて声をもらす桜庭さん。と同時にスキマから覗く俺にも気づいたようだった。桜庭さんは恥ずかしそうに微笑んでこちらに歩み寄ってくる。
いるよ。
見ればわかるよ、こんにちは。
楠原くん、また来てくれた。
部活引退したから暇なんだ。今日は一人で来た。
わたしはいつも、一人。
すごく寂しいことさらっと言ったね。
寂しくない、本はゆっくり読みたいの。
桜庭さんにしては珍しく、強い語調と筆圧で書いてあった。
杉山いわく、本好きにはそれぞれ強いこだわりがあるらしい。杉山は俺と会話しながらでも平気で読書できるようだが、寝転がりながら本を広げることは絶対しない。何かを飲みながら本を読むことはあるが、スナック菓子を食べながらページはめくらない。
それと同じ感覚で、桜庭さんには「読書の時はゆっくり一人で」というこだわりがあるのだろう。
そっか。じゃあ俺が話しかけて邪魔じゃない?
そんなことない。読書は午前中、たっぷりしたから。
午前中から!? お昼またいでここにいるの?
お弁当持参です。
なぜか胸を張る桜庭さん。「えっへん」という感じだ。
話を聞いてみると、流石に図書館内は飲食禁止なので外のベンチでお弁当を食べているとのこと。俺も数日前まで弁当持って休憩中に外で食べていた人間の一人だが、図書館でそこまでしている人がいるというのは意外だった。
図書館の本、全部読みたいの。
そう書いて俺にメモを渡した桜庭さんは大真面目な顔だった。いつも恥ずかしそうに伏せている目の中で、炎が燃え上がっている。
話を盛っていたり、大袈裟に言ったりしている様子はなかったから、本気の本気なのだろう。
その様子を眺めていると、さっきまでの自分が無性に恥ずかしくなってきた。
桜庭さんは素だ。何も隠そうとなんてしてないし、自分をよく見せようとか背伸びしようとか、そんな様子もない。恥ずかしがり屋なところはご愛嬌だけれど、自分の語りたいことはしっかり語る。
そんな桜庭さんを疑ってどうする?
例え桜庭さんの周りで不思議なことが起こっていようとも、彼女自身はきっと普通の女の子なんだ。
なぜそう思ったのか説明下手な俺が言葉に言い表せるとは思わないけれど、それだけは確信を込めて言うことができる。
「別に、少しくらい不思議でも関係ないか……」
「……うん?」
独り言に返事が返ってきた。
なんでもないよ。
聞かれていたとは思わなかったので、慌ててメモに書いて渡す。
桜庭さんは頭にはてなを浮かべて首を傾げていたが、やがて「ああ、そういえば」とでも言いたげに手を胸の前で合わせた。手帳の切れ端に何かを書いて、俺に渡してくる。
そういえば、受験対策。
ああ、うん。しようと思っているんだ。
ちょっと待ってて。探すから。
俺に待つように指示を出して、桜庭さんはその場を離れた。文脈から察するに、俺のために本を探して来てくれるらしい。経験者に探してもらえるのは本当にありがたかった。
実は昨日、家に帰ってからも読みやすい文学をネットで探していたのだ。しかしどの本も俺が読むには向いていないように思えて、結局一時間も経たないうちに諦めてしまった。つくづく自分が脳筋だと思い知らされる。
少し時間がかかりそうだ。俺は椅子に腰を下ろして待つことにする。
「ああ……、そういえば昨日はどんなことを話したんだっけ?」
話した内容のほとんどは、杉山に指摘されたことのインパクトが強すぎて覚えていない。しばらく桜庭さんが帰ってくるまでに時間があるようだし、今のうちに復習しておこう。
カバンからメモ紙を取り出して、俺が持っている分のメモをすべて見返す。図書館に入ったのが初めてだとか、本と呼べる物で俺が読破したのはジャンプ漫画だけだとか、面白い本とそうでない本はどうやって見分けるのかとか、そんな取り留めもないようなことばかり。対する桜庭さんの、疑問一つ一つに丁寧に答えてくれた跡が見えた。
改めて、こんな共通点のほとんどない俺と仲良くしてくれるのを不思議に思う。
「まあ俺は動機がちょっと不純だけどな……ん?」
と。メモをカバンに直そうとしたところで、一枚、違和感のあるメモ紙を見つけた。「わたし、桜庭理沙」と書いてある。違和感の正体は書かれている内容ではない。その紙の裏側にあった。
「2010年……六月?」
途中で切れていたのでそれ以上の情報は得られなかった。紙の質からして多分手帳の切れ端だろう。
要らなくなった紙の裏をまとめてメモ帳にするのは決して珍しいことではない。うちの母もチラシの裏紙を固定電話のメモパッドにしているし、野球部の掃除当番表も古くなったカレンダーを利用して作ったものだった。倹約家なら要らない紙を小さく切りまとめて、メモ帳として持ち歩くことだってするだろう。そして、桜庭さんが倹約家であったとしても何も不思議なことはない。
そう、何も不審に思う必要はないのである。
ただ一つの点だけを除いて。
桜庭さんはそれを、俺の目の前で、持っていた自分の手帳から破ったはずなのだ。
今は2014年。四年も昔の手帳を持ち歩いているなんておかしいだろう?
他のメモ紙も裏返して確認してみる。あった。次は2010年四月と書いてある。しかもそれは今さっき交換したメモだ。ということは、桜庭さんは二日連続で一昔前の手帳を持ち歩いていることになる。
野球で鍛えた男のカンが、頭の中で違和感の警報を鳴らす。
こういう時、俺は自分の直感に頼るようにしている。自分でも理解できないくらい深い記憶や思い出が直感につながり、ひらめきに変わるというのはよく聞く話だ。俺の経験を、十八年の人生経験を信じてやろう。
スキマから桜庭さんが手を出して振った。本を持って来てくれたのだろう。
顔を見せるとにこっと笑いかけてくれる。
持って来たよ、はい。
手頃な厚みの小説が一冊、二冊、三冊。スキマがあまり大きくないので一冊ずつ渡される。題名と表紙をさらっと流し見する。確かにコテコテの堅い文学よりは読みやすそうだと素人の俺でもわかった。
ありがとう。ところでさ、一つ聞きたいことがあるんだけれど。
首を傾げる桜庭さん。「うん?」なんて言っている。さすが、仕草があざとい。でもそれがいい。
角が立たないように言葉を選んで聞いてみる。
お洒落な手帳持ってたよね? いつも持ち歩いているの?
うん。予定を忘れないように、いつも。
でもそれって、2010年のだよね?
そうだよ、今年の。
いや、今年は2014年でしょ?
……2010年。
「え?」
「うん?」
思わず驚きが声に出てしまった。
会話が全然噛み合っていない。それは桜庭さんも同じのようで、会話のギャップに戸惑っているようだった。前髪の動きがいつもより細かい。
楠原くんのところ、違う?
桜庭さんは鋭かった。すぐに気づいてメモを渡してくる。
俺は頷いた。
こっちは2014年だよ。
…………。
じとーっとした沈黙が返って来た。メモ使って三点リーダー打つ必要あったかな?
まあ、普通そう言われたら誰でも嘘だと思うよなぁ。どうしたら納得してくれるだろう?
少し考えて「あっ」と思いつく。本好きの桜庭さんを納得させるにはいい方法かもしれない。
手の届く範囲にある小説を一冊ずつ確かめていく。蔵書が古いからか、目的のものは中々見つからなかったが、二十冊目でようやく探し当てた。
小説を開いて、スキマから桜庭さんが見えるように掲げる。これから読み聞かせを始めようというわけではない。俺が開いたのは最後のページだ。
そこには日本一有名な出版社の名前とともに、こんなことが書かれている。
2014年 5月 第1刷
杉山に聞いた話だが、本全体の中でこの部分だけは偽ることができないらしい。それが大きな出版社となればなおさらだろう。こちらが2014年であることを示すこの上ない証拠だ。
桜庭さんはそのページを見てすぐ俺の意図に気づいたらしく、メモを書いて俺に渡して来た。
それ本物……? じゃあそっちが2014年って……。
返事をする代わりに俺は別の本を探して見せる。これは横の棚にあった料理本。2013年12月刷と書いてある。
それから追加で三冊くらい見せると桜庭さんも少し信用したらしく、疑いの目も和らいでいった。
信じてくれた?
少し、信じる。
ありがとう。
桜庭さんに見てもらった本を全て片付ける。戻ってくると桜庭さんは興味深そうに本棚のスキマをじーっと凝視していた。手でこんこん叩いている。確かに、だいたい十五センチほどのスキマが過去に繋がっているとは驚きだ。ああ、桜庭さん目線では未来になるのか。
ドラマとか映画とかでは大抵、人間一人通れるような場所が過去に繋がっているものだが、こんな狭いスキマがそうだなんて信じられないだろう。俺だって桜庭さんの立場なら、簡単には信じられないと思う。ただ、それを信じないと、本棚の裏にスペースがないのに桜庭さんがいることの説明がつかない。どっちにしても信じる以外にこの現象を説明する方法はないのだ。
そっちとこっちで、四年違う。不思議。
こんなに短い距離なのにね。
手を伸ばしてスキマの中に入れる。ヒジから先は過去で、それ以外は現在。俺の腕が時空を捉えた。バックトゥザフューチャー俺の右ヒジ! 四年前から戻って来い!
……って感じでイタい遊びをしていると、不意に疑問が浮かんだ。
確か昨日聞いた話では俺と桜庭さんは同い年だったはず。三年前の桜庭さんが俺と同い年だったということは、桜庭さんは……。
こっちの桜庭さんは俺より四つ上だから、二十二歳か。
わたし、おねえさん?
だな。すごい年上に感じる。
こっちの時代では、桜庭さんは何をやっているんだろう? 大学に通ってキャンパスライフを楽しんでいるのかもしれない。仕事を始めてバリバリ働いているっていうのもあり得るな。何にせよ、四年違うとすごく年が離れた気がする。
十八の俺と二十二の桜庭さんを頭の中で横に並べて、前、後ろ、横と角度を変えて眺めてみた。
……なんかすごい違和感。
桜庭さんも同じ気持ちのようで、苦笑いしていた。
ねえ、せっかく将来と繋がったんだからやりたいこととか、したいこととかない?
例えば?
ベタだけど……宝くじの番号を教えるとか。
不平等。ダメ。
ばっさり切り捨てられた。まあ、桜庭さんがノってくるとは思わなかったけれど。
せっかくなので他にも色々提案してみる。
大学の試験問題を先取りして有名な大学に入学するとか、
合格した後が、ハイレベルで大変そう。
クイズ大会の問題の答えをカンニングしてクイズ王になるとか、
それで優勝しても、嬉しくない。
大きな事件を予知する預言者になるとか、
むしろ、起きる前に防ぐ。
こんな感じで全部却下された。
もったいないなぁと思うが、真面目な桜庭さんはこのチャンスを利己的に使う気はないらしい。
俺だったら「今がチャンス!」とばかりに色々試してみたいけれど。
なにせ俺側からすれば2010年は過去だ。過去を知って得られる利益は、将来を知って手に入れられるそれよりもずっと少ない。別にそれが不平等だとは思わないけれど。
じゃあ、桜庭さん個人としては何か知りたいことはないの?
ストレートに聞いてみると、少し考えるような仕草をみせてから、人差し指を上げた。一つだけという意味か、「思いついた!」という意味でそうしたのかは分からなかったが、桜庭さんはペンを走らせて俺に紙を渡してきた。こんなことが書いてあった。
2012年の冬に、地球、滅びた?
じぃー……っと桜庭さんのまっすぐな視線。
おいおい……。まさか2010年時点であの都市伝説を深刻に捉える人がいるとは思っていなかった。
俺はしばらくどう答えるか悩んでから、「滅びたとすれば、桜庭さんの前にいる俺はなんなのさ」と書いて渡すことにした。どんな返答が返ってくるのか楽しみである。
さて、こういう感じで。
とりあえず俺の悩みは解決した。まとめると、あのスキマは四年前の同じ図書館に繋がっていて、過去の桜庭さんと現在の俺だけがそのことを知っている。発見した人がだれか別の人ならもっと騒ぎになったのだろうが、俺も桜庭さんも細かいことを大して気にするようなタイプではなかった。冷静に考えてみると俺も桜庭さんも適応が早すぎる気がしないでもないけれど。
しかし、俺の平安はまだまだ先のことになるだろう。なぜなら悩みの解消と同時に、別の新しい悩みができてしまったからだ。しかも残念なことに、今日なくなった悩みよりもずっと厄介な問題になるだろう。多分、俺以外にに経験者はいないだろうし、ダメ元で相談しようものなら頭がおかしいと思われてしまいそうだ。
混乱する胸の内、一言で表すとこうなる。
過去を生きる桜庭さんに本気で恋をしました、ってこと。