奥村さんと、出会う
私はとある大学に通っている。
自分を変えたくて、親に説得をして入学したまではいいのだが、現実は違った。
講義や試験についていくのにやっとで、まともにキャンパスライフというのを味わっていない。それに入学から一年も経過すれば、仲の良い人は決まっていき、その輪の中に入ることすらままならなかった。
そう。私は自分を変える事に失敗してしまったのだ。
「あ……」
私は休講情報の電子掲示板を見て声を上げる。――○×教授、風邪の為休講。
自宅から一時間以上ある大学にきてこれだ。もう慣れてしまったけれど。
ここの大学の休講情報は『スマートフォン』のみ対応している。もしくはタブレット端末。一世代の『携帯電話』には未対応なのだ。そして私の携帯は『ガラケー』。タブレット端末すら持っていない。遅れているといわれることもあるけれど、お金がない私はそこまで手が回らないのが現実だ。
溜め息と共に私はその場を離れ、校内にある喫茶店へと向かった。
「いらっしゃいませぇ~! あれ? またうたちゃん?」
「こんにちは、夏子ちゃん」
喫茶店のドアを開けるなり声をかけてきた子は、この喫茶店のマスターの娘さんである宍戸夏子ちゃんである。まるで少女漫画から飛び出してきたような愛らしい容姿に、アニメ声が特徴の店員さん。昼間はここで働き、夜はお洒落なバーで働いていると以前聞いた。夢は自分のお店を出すことだという。容姿に見合わずかなりしっかりした女の子なのだ。
「また休講?」
「うん。ほら、私ガラケーだから」
「そっかぁ。でもさー、なーんで休講情報スマフォとタブレットのみなんだろうね?」
「今はそれが主流だからじゃない?」
「そりゃそうだけどさぁ~。納得いかないじゃん!」
夏子と話していると、彼女のお父さん――マスターが目の前にミルクティーを置いてくれた。
私は会釈をすると、マスターは静かに立ち去ってゆく。
「今のスマフォって一昔のパソコンよりも性能が高くなっているし、ニュースを読んでいると家にパソコンを置いているのが減少しているんだって。家電メーカーもパソコン作るのを減らして、タブレット端末に力入れるようになっちゃったし……。もう私の家にあるパソコンもお役御免かな」
「へぇ、そうなっているんだ……。私はスマフォとタブレットリンクさせているからあまり実感ないけど……。ただ、ウイルスに関しては複雑になっているみたい。リンクさせなければ大分防げるみたいだけど、リンク機能使い始めちゃったら便利すぎて戻れないっ~……って感じ!」
――リンク機能。
それは同じメーカー同士のスマフォとタブレット端末をWi-fiなどで繋げて、情報を共有させるというものだ。バックアップにも最適なのだが、反面でウイルス攻撃やハッキングされたときが大変。ウイルスの場合だと、どちらにも感染するし、ハッキングだとバックアップ目的で使っていたのが逆に『いい情報ネタ』となってしまう危険性が高い。それはパソコンの時からそうだったけど。
あと問題となっているのは、未成年の利用。この辺りは一昔前から比べると大分改善されたとはいえ、未だ犯罪に巻き込まれる未成年が後を絶たない。その理由に適切な利用をしていないというのがある。出会い系と呼ばれるサイトやSNSと呼ばれるサイトは爆発的に増え、未成年を狙う人たちの選択肢まで増えてしまったため、政府や警察や民間団体が犯罪根絶に追いつけないという事態だ。あまつさえ、そういう情報を交換する闇サイトまであるとかないとか。
「ガラケーからスマフォにする機種変更するだけの財力もないし、しばらくこうするつもりだよ」
「うたちゃん、それ持久戦だね……」
呆れたように夏子が言う。するとドアを開ける音が空間内に響く。
「いらっしゃいませぇー! ……って、ああっ! 奥村さんっ!」
「こんにちは。夏子さん」
「お、お久し振りですぅ! いつものコーヒーでよかったですよね?」
「うん」
動揺する夏子に驚いていると、まるで逃げるように厨房に引っ込んでしまった。
その『奥村さん』は私の座っているカウンターの隣に座り、にこりと微笑んだ。
「初めまして……の顔だよね?」
「あ、は、はい……」
柔和な表情に黒縁の眼鏡。モスグリーンのカーディガンに白のワイシャツ。まるで女性向けゲームに出てきそうな男性である。
「じゃあ自己紹介だね。僕は奥村瞬。三回生です」
「わ、私は――」
すると奥村さんは私の口元に手をかざし、首を振った。話さないでという事なの?
「江ノ森詩子さん。二回生。携帯電話はスマートフォンではなく、フィーチャーフォン……ガラケー所持。今日ここにいるのは受けるはずの講義が休講になってしまったから……。だよね?」
「っ!?」
なぜ全部知っているのか! 私は驚きを隠せずにいると、厨房に行っていた夏子が呆れたように話し始めた。
「だめだよ、うたちゃん。引っかかっちゃ……。携帯云々は入り口の方で聞き耳立てていたから知っていた、名前と学年は以前私から聞いたから……ですよね? 奥村さん」
「ははは。夏子さんは手厳しい」
「笑い事ではありませんっ! そりゃ、以前相談に乗ってくれた事に感謝していますけどぉ、あまりにも詐欺かつ狡猾的な解決方法には納得いってませんから!」
そう言いながらティーカップにのったコーヒーを奥村さんの前に差し出した。
「あとぉ、奥村さん三回生じゃなくて院生でしょ?」
「さあ? どっちだと思う?」
「うえっ!?」
夏子のリアクションを見ている限り、年齢不詳といったところか。
「奥村さんは学科はどちらですか?」
「心理学専攻だよ。あとは興味あるものなら大体勉強しているね」
「詐欺に使うためですよねぇ~?」
「夏子さん、違うよ」
夏子のつっこみに奥村さんは笑顔で否定した。
次に私が質問される。
「江ノ森さんは?」
「私は地域歴史学専攻です」
「へぇ。なぜその学科へ?」
「昔から歴史が好きだったんです。特に、この地元に眠っている歴史が……。もっと色んな人に広められる人になりたくて選んだのです」
「なるほど」
奥村さんはコーヒーを一口飲むと、眉間に皺を寄せて夏子を見た。
「これ、砂糖入っているでしょう?」
「はぁい! 入れました、たっぷりと!」
すると奥村さんは大きく息をはいて項垂れた。甘い物が苦手なのだろうか? 勝ち誇ったかのような夏子の表情が眩しい。一体この二人の間に何があればこうなるのか。
「あ、うたちゃん。奥村さんもガラケーなんだよ」
「えっ?」
急に話題を変えられ、私が戸惑っていると奥村さんがポケットから何かを取り出した。
それは携帯電話。しかもガラケーだ。私のと違ってストレートかつ、ボタン部分が白と黒で統一されていてかなりお洒落だ。
「休講情報とかはどうやって……」
「僕にそんなの関係ないよ。一応タブレットもあるけれど、資料を保存するくらいしか利用しないね」
「え」
「休講情報なんて大学に来て電子掲示板見れば判るでしょ? しかも親切に一週間分も。急なものもあるけれど、それは仕方ない。僕はこの大学に意義があるんだよ」
他の生徒から聞かれる、休講が出来てラッキーという次元ではない。
なんなのだ、この人は。
「ここまでの通学時間は……」
「僕はこの近所。だからそういう事が言えるのかもしれないね」
そうだろうなとは思ったが、この人がいう『近所』がどこまで『近所』なのか不明だ。
話せば話すほど、とんでもない人と関わってしまったという気持ちの方が大きくなるのは何故だろうか。悪い人には見えないが、どことなく不穏な空気を感じてしまう。
するとまたドアが開く音がこだまする。同時に罵声も聞こえた。
「おいっ! 奥村いるか!!」
その声を聞いた奥村さんは肩をすくめる真似をして、やれやれと呟いた。
椅子から立ち上がると、入り口の方でわめいている男性に対して静かに答える。
「僕はここだよ」
そう言うと、入り口で騒いでいた男性が更に険しい表情になりつつ、こっちに向かって大股で歩いてくる。私はどうしたらいいのか判らず動揺し、逆に夏子とマスターは小さく溜め息をついていた。夏子にかんしては「また始まったぁ」と小さく漏らす。
大股歩きの男性は奥村さんの前に立ちはだかると、唾を飛ばさんばかりに顔を近づけて話し出した。
「おーくーむーらーぁー? また厄介なものを俺に押しつけやがって……! 何か恨みでもあんのかよお前は!」
「厄介なもの?」
「すっとぼけるなっ! この二重人格の性根腐ったクソ野郎が!! あのクライアントだっ!!」
すると奥村さんは詮索するように顎に手を当てて天井を見、しばらくして「ああ!」と声を上げた。
「違うよ、明智。あの方はお前の方が話しやすいからと言って、途中で僕から君に変えただけだよ」
「んなことで俺を騙せるかと思っているのかお前はっ! 契約違反で破棄にするまでにどれだけ苦労したか判ってんのか? 判ってねぇからそういう事言えるんだよな? 奥村ぁ?」
明智と呼ばれたこの男性、今にも血管が切れそうなばかりに顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えながら話している。人間怒りが頂点に達すると震えると聞くが、まさにこの人がそうだった。止めに入らないと憤死してしまうのではないかという緊迫感だ。
私は恐る恐る声をかけてみた。
「あのー……。外部者の私が割り込むのも悪いのですが……、クライアントって何ですか?」
そう言うと奥村さんは「極秘任務です」と言って笑うだけで、明智さんに至っては睨まれた。
「あー、そうそう。明智。この人も僕らと同じガラケー仲間だよ」
「はぁ!? 今時の奴がガラケー!?」
半信半疑だった明智さんに私は自分の折りたたみ式の携帯電話を見せると、ふぅんと生返事をして黙りこくってしまった。……一体なんだったのだろう。疑問に思いたいのはこちらの方だった。
その変な空気を破ったのも明智さんの一声。
「……その分だと、学校に着いてから休校知った形か?」
「は、はい」
「二台持ちじゃねぇのかよ」
「残念ながらこの一台だけです」
そしていつの間にかティーカップは三つになっていた。おそらく明智さん用であろう。
ほんのり香るミントのフレーバー。これはハーブティーだ。何だろう、意外である。
一口飲むと、明智さんは簡単に自己紹介を始めた。
「明智孝太郎。隣に居る奥村瞬とは腐れ縁だ」
「小学校時代からのね」
「余計な情報はいらねぇよ!!」
「で、社会経済学専攻なんだよね」
「だからなんでお前が話す!?」
会話を聞いている限り、明智さんと奥村さんって大分違うのだなぁと感じる。
奥村さんは文学青年という雰囲気なのに、明智さんはやんちゃな人という雰囲気だ。でもすごく暖かい。見た目で入っては駄目だなと痛感させられた。
「あ、僕たちはそろそろ研究所の鍵空けないと……」
甘ったるいコーヒーごちそうさま、と言って、夏子にコーヒーカップを返す奥村さん。
熱いのを必死に覚まして半分飲んで返す明智さん。慌ただしく二人は喫茶店を後にしていく。残ったのは私と夏子だけ。
「ねぇ、夏子ちゃん」
「どうしたの? うたちゃん」
「あの二人ってよくここに来るの?」
「暇さえあればずーっっとあの調子だよぉ」
げんなりとした表情で話す夏子。私はそれを聞いて「なるほど」と小さく呟いた。
――これが『奥村瞬』と『明智孝太郎』との出会いだった。