放蕩
彼女は、儚げなに見えた。
幼い頃より周辺国まで噂される美姫、賢姫と呼ばれる姉の陰に隠れ、日の目を浴びずに居た彼女。
女性でありながらもいずれ賢帝になるだろうと、各国に響き渡る声々に同じく、美しいと次々に上る姉姫への賞賛の声に、そんなにも称えられる程の者ならば、と、自身の目で確かめるためにこの国を訪れたのが始まりだった。
開かれていたのは、現王の即位十周年記念、祝賀祭。
既にその頃から国を出て放蕩息子振りを発揮させていた私は、国を通す事無く一、観光客として城のバルコニーで手を振る王族達を遠めで眺めていた。
開放された庭が満ちる程、詰め掛けた国民等の呼びかけに王、ならびに王妃が登場し、一頻り国民にむかい手を振った後に王は後ろを振り返り、手を差し伸べ、それに応えるように姫が現れた。
歓声が、辺り一帯に響き渡る。
庭の端から端まで、集う人々の口々に上るのは姫への歓声。
耳を刺す、害さんばかりのいわば怒声と取り違えそうになる程に張り上げられ続ける声。
つづく一つ一つの声は集まり、低いほどの声の塊となせば体全体を使い喜びを示し、次から次へ始めた者に倣へと言わんばかりに、周りの者と合わせ集団は足を踏みしめた。
声の塊に空気は震え、一体化した行動により地面が揺らぐ。
あまりの声の大きさに驚き、子供の泣き声が聞こえるも一瞬。赤子の声さえも大人達の声に消され聞こえなくなる。
声に導かれ見止めてしまった赤子の、泣き喚く様子だけが見て取れた。けれど反して親たちは赤子の様子を気にするでもなく、気付くこともなく。王族にむけて手を振った。
ある種、混沌とした場に化していた。
人々に応じ、微笑んだ顔で手を振る噂の姫。
確かに、外見は美しいと世間一般的には言うのだろうと、認めはせずとも納得はした。けれど、と自然目を細め向かう先はその面の下。
女など、外見ばかりでは当てにはならない。どれ程の、卓越した手腕を持つと言われた女傑達でさえ、女という性は彼女達を狂わせた。
史実は語る。
女の嫉妬や欲望は、ともすれば男のそれより見苦しく。隠された、皮の下はどの様な物か分かったものではない。女傑と呼ばれるような者ほど、己の中に何を飼っているのかなどは、解ったものではないのだ。
切れ者と、謳われる者の方が余程恐ろしく、愚かな者はいない。
指し示す様に、歓喜に湧く聴衆等、微笑を浮かべ手を振る王、王妃、並び立つような位置で微笑む姉姫から一人だけ離れた場所、光陰る場に佇む豪奢な衣装を纏った少女。
妹姫。
輝かしい笑みが浮かび、歓声がとどろく光当たる場所とは真逆の、光の届かない陰の中。
歓声の前に呼ばれること無く、出ることも無いままに、その場に佇み王族の披露目は終わりを告げた。
彼女の名は、誰に呼ばれることも無いままに。
少しずつ。疎らになっていく人ごみを視界の端に捉えつつ、振り返るのは先ほどの光景。
彼女に向けた視線をそのままに、しばらくじっと見つめていれば、ただ一瞬。彼女の顔に浮かんでいた笑みは不意に掻き消え、表情が削げ落ちた時があった。
瞬く間、数秒と経たずに消えた空虚な表情。責務を思い出してか浮かび直された笑みはけれど、けして光溢れる物に見えはしなかった。
陰のかかる、彼女が佇む位置では、その表情に庭に集う人々からの視線は届かなかっただろうが。私が居た様に高さのある建物からでは見て取れた。
あの一瞬。
即座に消えた、彼女自身が浮かべてしまった、のであろう顔。
裏の透けて見える、美しいといわれながらもどこか嫌悪を感じる笑みではなく、自身を抑えて浮かべられていた笑みでもない。
空虚な表情は、頼りなく、儚げで、下手に触れてしまえば消えてなくなりそうなそれは、酷く、私の目に焼きついた。
振り切れぬ、あの光景。
たった一瞬の、あの彼女。
胸に留まり続け、私はこの地を離れづらくなり彼女を追うと、決めたのだった。
仮にも一国の城。
王族が暮らすその場。警戒水準は高いものだと思っていたのだが……。
確かに王や王妃、彼女の姉。姉姫につく護衛達は隙なく固められていたが、私の目当て。肝心の彼女の周りは穴ばかり。
護衛など、あってないように思えるその様は、国の在り方を疑わせるには充分なものであり、彼女の傍近くに潜り込む事は簡単すぎるほどだった。
一応の、正規手順を辿るも罠かと思えるほどのそれはあまりに粗末。
意味する所は、暗に、彼女の存在の軽さを示していたに過ぎない。
城へと入り込む事に躊躇いは無く。あっけなく果たしてしまった現状に、この国に対し不信感が増すばかりだった。
私は周囲に軽く扱われる彼女の傍に配されるため、無駄に目立つ髪色を染め、この国では忌み嫌われ差別対象となる肌へとなるべく泥を塗り偽装した。
その後首尾よく側仕えとされた私を、彼女は忌避する事無くよろしくねと邪気の無い笑みを浮かべ迎え入れる。どこか、申し訳なさそうにしながらも。
案に違わず。
姉姫は私が睨んだ通りの性格で、思ったままに事は進む。
妹姫に出来た新たな従者の顔を見に来た、賢姫、美姫と褒め称えられ甘やかされた馬鹿な姉姫は、私を見て眉を顰め、彼女を見て、嘲笑う。
あなたには、そんな者がお似合いね、と。
口に出しこそしなかったが、姉姫の視線、表情はその心内を明瞭に物語っていた。侮蔑に満ちた、美しさの欠片もない卑しい顔が。
けれどこれで、場合によっては邪魔立てでも企てようかといった、腹積もりも消えただろう。
華美な衣装を纏い、美しく作られた顔に、心底愉快だと隠し切れぬほどの笑みを浮かべて姉は部屋を去っていった。これ見よがしに歪めた顔を、鋭く尖らせた視線を彼女と私へ向けていた腰巾着を率いて。
姉君が去った後、彼女はへにゃりと表情を崩し、弱々しい笑みをそれでも浮かべて謝った。
「ごめんなさい」
「……何がですか?」
「私が、主で」
目を伏せて、自身を責める様は見ていて気持ちがいい物ではない。
「謝罪など、必要ありません」
「…………」
「悔しかったなら、努力いたしなさい。姉君を越えるほど、素晴らしい人材におなり下さい」
私の言葉に彼女は息をつめ、下げていた視線を上げて私を見る。
まっすぐと、彼女を見つめ続ければ彼女はそれを受け止め、鮮やかに笑う。
何故か、鼓動が一度跳ねた。
「そうね。嘆いていても仕方が無いわね。私、がんばるわ」
だから、側で私を見ていてと言う彼女に、落ち着きを取り戻しつつある鼓動で私も口角を持ち上げ笑い返した。
勿論です、と。
彼女はその言葉通りに努力を続けた。
ふいに訪れる、姉の訪問。重苦しい空気に責苦を与えられる時。時に視線で、時に表情で、時に声高に、それは楽しげに彼女を姉であろう姉姫が愚弄する。
彼女の精神的苦痛はどれほどか。多くのものに隠れ、陰で楽しんでいる下女等他の犠牲者の顛末を見れば明らかだ。
いや、なまじ血の繋がりのある彼女の方が辛くあたられているだろう。
けれど事は気付かれず、周囲の者を操り、反対に彼女の悪評が口から口へと伝わっていく。
装われた外面を疑いもせずに、ありもしない事実とやらで彼女は貶められていく。
手腕は見事だが、けして誉められたものではない。
姉姫の本性に気付きもせずに、盲目的にとも思えるほど称え続ける取り巻き達、貴族、諸官等も優れた者共ではない事は明白。
この国の、先は知れた。