妹姫
「どうして!!」
悲痛な叫びが声となって邪魔な者、ただ黙って傅くメイドすらも居ない部屋に響き渡る。
どうしてよ、涙交じりの声は自然と紡げない息に阻まれ、絶え絶えに。
震える手でつくられた拳に力は入らない。立っている事すらやっと。
溢れる涙は頬を伝い、塗られた化粧を剥がしていき、まるで落ちていく化粧に合わせる様に、装っていた外面が崩れ落ち、ぼろぼろとした精神だけがそこに残る。
ここにいるのは王家に相応しいお姫様なんて者ではなく、ただの泣いている女の子。
惨めな気持ちが、心をしめる。
今まで必死で努力してきたつもりだった。
けれど結局私ぐらいの努力など、それこそ見る目を変えればつもり、だったのだろう。
どんなに私が私個人に与えられた時間を使って努力をしていたとしても、ただの遊びほどの物だったのだろう。
私ひとりのちっぽけな個人など、あって無い様なものだから。
私なんて、気にもされないし、存在すら視認してもらえないものだから。
国のため、民のため、なんて大層な思いがあったわけじゃない。
認めてもらいたい。それだけで。
私は王家、……いえ、決して王や王妃に認めてもらいたかったわけじゃない。娘として、ただの父と、母に認めてもらいたかっただけだった。
可愛いと、愛していると言ってもらいたかっただけだった。
それなのに、私の欲しいものは全て姉がとっていく。
父と、母の愛情も。
王として、王妃として、国の頂点におわす者としての期待も、次代を育んでいき、無事に長く続くこの国を未来へと託すことが出来るという安心感も、全て。両親を構成するもの全ては姉に向けられた。
両親の持つべき、持てるべきものはすべて姉へと向けられた。
私には何もない。
暖かな視線も、施政者としての指針も、厳しいまでの教育、それを上回る溢れんばかりの愛情。
しかたがない。
何をやっても姉を越えることなどできない馬鹿な私が悪いのだ。知性も、品格も、芸も、見た目も、全て劣る私が悪いのだ。
……なんて、私には思えなかった。
両親も、姉に従う殉教者達も、議会、議長、民までも姉は人格者だと謳う。次代を統べる者としてふさわしいと。
けれど姉は世に言われるような、可憐で清楚で、尊いお姫様ではない。生まれ持った姿形の皮の下、豪奢で、放逸で、強かな物を隠し持つ女王様だ。
自身が下とみなした者に対しての振る舞いは、けして人格者なんて者ではない。
卑劣で、狡猾で、まるで悪魔の様に感じられる。
今現在、姉の犠牲となっているものなど私以外には居ないだろうが、ここ数年。城を辞した使用人の数は僅かながら増えている。それが答え。
辞める時、彼ら彼女らはやつれていて。精神を患い田舎に帰るという事になって、王城内で蠢く闇など数多く珍しいことでもないと気に掛けられる事無く辞めて行く。
彼らはある種、私にとってはとても羨ましい存在だった。
悪魔との忌わしい血のつながりなどなくて、距離的に物理的に遠くまで離れていけるのだから。
先代の王、先代の王妃様。祖父母様方がいらっしゃる時はまだよかった。あの方達は出来損ないと呼ばれる私にも愛情を傾けてくれていたから。
姉に似ず、知性も、品格も、芸も、見た目も全て姉に劣る私でも。
そんな私にも、嫁ぎ先が出来上がる。
ゆめゆめこの国を継ぐ事など出来るはずもない私にとってはふさわしい、この国を受け継ぐ姉には不釣合いな貴族としては下級階級の、一人の男性。
確かに身分は高くはないけれど、暖かで、朗らかで、優しい。共に居てほっとできる人だった。
例え両親になんとも思われていない様な私でも、優しく扱ってくれる人だった。
多くの者に支持される姉と、姉に劣ると言われ続ける私を比べる事無く、私を見つめてくれる人だった。
私は彼に、恋をした。
共に笑い、共に穏やかに、過ごしていくのだと。
柔らかな未来を思い描き、自然と緩む口元から笑みが浮かぶ日々だった。
心無い王宮に集うものたちの口々にも、隠しつづける心が傷つかなくていいのだと、装う笑みが作り物ではなく、自然なものを浮かべられるようになる。
無駄な努力と蔑まれ、嘲笑われ続ける事などもうないのだと。
いつも、縛り付けて、縛り付けられていた心が、ふと緩めてしまった時。
私を受け入れてくれたはずの彼は、私の傍から消えていた。
あり得る事の、ない出来事だった。
姉は次代の女王となる存在。一部の隙もなく、この国を治めていくのだと皆から囁かれている人。
小さな頃より、王家に相応しい位の貴族の婚約者がおり、その相手と添い遂げるものだと思われていた。
勿論、相手すら姉に相応しいと呼ばれる程の人物だったはずだ。
彼からのささやかなけれど愛おしい連絡が途切れ、おかしいと思いつつも楽観視していた私は、これだから誰からも馬鹿だと笑われるのだと、
王城の庭、柔らかな日差し差し込む私の好きな場所に私の嫌いな相手と彼は微笑んでいた。手を取って、見つめあい、微笑み、口付けを交わしていた。
そんな光景を見て、はっきりと自覚した。
まただ。
いつも、かのじょはわたしのすべてをとっていく。望んで手に入らないものなど、彼女にはなにもない。
彼が意図せず私に背を向けて、こちらを向いた姉の顔が笑う。はっきりと私をその目に入れて、笑う。悪魔の様に。
先刻、はっきりと王から告げられた。
大好きだった人は、大嫌いな人と誓いを挙げると。
彼はどこか尊い貴族の養子に入り、婿にし、姉を支えるのだと。
慰める事もなく、ただ告げられた。
私はそれにただ従い、頭を下げ、足取りはしっかりと、けれど心はふらふらと私に与えられた部屋にどうにかたどり着いたのだ。
私を構成するあらゆる気持ちがどこか遠く感じて、何に関しても興味などいだけなく。
ただ、私は疲れを感じた。
生まれてこの方、ここまで必死であがいてきたと思っていたのだけれど。
もう、疲れてしまった。
後ろから、見た目に反して私より遥かに逞しい腕がのびて、私を抱きしめた。
大きくて、広い胸に私は殊更小さく、ちっぽけな存在に思えた。
「もう、つかれたわ」
吐く事のなかった弱音が、口から落ちていく。留める気力すら失われてしまったから。
「彼の何処が好きだったのか、わからなくなってしまったの」
「一体わたしは彼の何処がすきだったのだろう?」
姉と私を比べないところ? 柔らかな瞳でいとおしげに微笑んでくれたのは確か?
半ば現に居る状態。
私を支えるように、抱きしめるこの腕の持ち主は、どうやら姉の目には留まらなかったけれど。
それは偏に彼が優秀で、こんな私にも嫌な顔など一つも見せずに仕えてくれる忠義者だからだ。
そうでなければ、無駄に目の肥えた姉の目は潜り抜けられないし、姉が彼の存在を気にかけないはずも無いだろうから。
そんな、彼が言う。
「では、私の国に参りましょう」
「貴方の?」
ただ一人。私に真心を持って接してくれた彼からの提案はひどく甘く聞こえた。
「えぇ。私は放蕩息子のために父兄弟からは、放っておかれています」
「けして、貴方に不自由の無い生活をさせてみせましょう」
「我が国は、けして努力を怠らない方を邪険には扱いません」
「あなたを、口さのない、謂れの無い中傷に晒すことなどありえません」
「貴方は、誰よりも私にとって必要な人なのです」
初めて、言われた。欲した言葉は、何も身に纏うことのできない状態の、裸同然の私の心に酷くまっすぐと届き、こみあげる何かが、唇を震わせ、先ほど流した涙とはまた違ったものがこぼれていく。
「わた、し」
何を言いたいのか分からない。けれど唇は勝手に動く。
私に回していた腕を緩めて、彼は私を彼へと向かい合わせた。
向けられた瞳は、言葉と同様にまっすぐ私に向かっている。
「貴方が、好きなのです。愛しています」
溢れ続ける涙が彼を歪ませるけれど、確かに感じる温もりが彼の存在を意識付かせた。