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第六章 大司馬邸と思わぬ再会


 舂陵郷を発って十日目。


 修たち一行を乗せた馬車は、ついに都・常安(長安)に到着した。


 人口二十一万人を超える関中最大の都市で、高祖・劉邦が漢王朝を建国して以来、二百二十余年の歴史を誇るこの都は、今日も大勢の人々で賑わっていた。


 それこそ、例え宮中で誰が居座ろうと、おかまいなしと言わんばかりである。


「花の都」の二つ名は、伊達ではないのだ。


 いずれにせよ、市内を見物するのは後回しにしなければならない。


 先に用事を済ませることにした一行は、舂陵侯本家からの訴えの書状を携え、目的の場所へと向かった。


 秀児たちが向かったのは、国の三公の一人である、大司馬だいしば(国防相)の荘尤そうゆうの邸である。


 皇帝・王莽に近しい立場の人間で、宮中の要人の中では良識的であり、また、豪族たちへの理解も深いとの評判である荘尤ならば聞いてくれるだろうと思い、その邸に向かったのである。


 やがて、馬車は荘尤の邸の前にたどり着いた。


 ここから先は、書状を持った秀児一人で行かなければならない。


「秀児、大丈夫か?」


 すでに要人に会うための準備を整えている秀児に対し、修が話しかけた。少しでも緊張をほぐしてやろうと思ったからである。


「うん。大丈夫だよ、修くん」


 きちんと正装した姿の秀児が、微笑みながら答えた。彼女は以前、この都・長安にて礼学を学んでいたという。だから、国の要人に対して失礼なことはしないはずであった。


「まあ、その……」


 それでも、修は心配な様子である。


「なんかあったら、とにかく叫べよ。すぐに駆けつけてやるからな」


「あはは、よく言うよ」


 秀児が笑いながら言った。


「この僕に、『女の子の悲鳴』をあげさせたのは、どこのどちら様だったかな?」


 彼女はそう言ってからかったのである。


「う……。と、とにかく、俺は来歙さんと一緒に待ってるから、早く戻ってこいよ」


 苦笑いしながら、修は気まずそうに言った。


「あははは! 冗談だよ。心配してくれてありがとう!」


 そう言って頭を下げると、秀児は


「それじゃ、行ってくるよ」


 と、言い残して、荘尤の邸の門をくぐり、中へと入って行った。


「ふう、やれやれ」


 秀児を見送った後、修は溜め息をついた。そして、しばらくその場で佇んだ後、隣にいる来歙に話しかけた。


「あの、来歙さん」


「なんだ?」


 訝しがる来歙に、修は質問した。


「その、秀児が着ていた服のことなんですが、あれが、『正装』ですよね」


 彼はそう聞いたのである。


「ああ、そうだ」


 来歙は頷くと、説明した。


「あれは、女性の儒者が着る服だな。今から二十年ほど前。当時、漢の『安漢公あんかんこう』だった王莽……、いや、今上皇帝陛下が、女性の学者・官僚や太学生の服装を一新してな、太学に通う女学生たちや、学者・官僚として働く女性たちの『正装』は、ああいう服装になったわけだ」


 そう言って来歙は、近くにある太学の門を指差した。そこでは、さっきの秀児と同じような服装に身を包んだ少女たちが出入りしていた。


「ふーん」


「ちなみに言っておくと、今から十年前ほどには、春萌も着ていたんだぞ。それはそれは、可愛かったなぁ」


「ええ!?」


 修は仰天した。あの劉嘉こと、春萌まで着ていたとは。


「ま、今でも十分お似合いだと思うがな。なにしろ、俺の義妹いもうとだしな。はっはっは!」


 そう言って、何かをごまかすかのように大笑いする来歙。しかし、修には笑う気にはなれなかった。


(なんでだよ……)


 彼は現在、全力でつっこみたいのをこらえていた。


(あの恰好は、いったいなんなんだ……)


 彼の脳裏に、先ほど去って行った秀児の姿が甦る。


 先ほどの秀児は、正装するにあたって、自身が女の子であることを隠しもせずに、髪を下ろし、いつも着ているような男服とは似ても似つかない服を着ていた。来歙曰く、「太学時代からの正装」とのことである。


 問題は、その服であった。


(なんで白黒なんだよ……)


 その通りである。秀児が着ていた「正装」なる服、そして、太学付近にいる少女たちの服装。それらはいずれも白黒模様の、ややゆったりとした服である。それらは見かけこそ、古代中国風に織られていたが、現代日本からやって来た修にとっては、それは細かいところを除けば、見たことのあるものであった。


(なんで、スカート部分にフリルがついているんだよ……)


 そう、秀児たちが「女性用儒服」と呼んで着ていたそれらには、いずれも下が長いスカートになっていて、しかもフリルまで付いているのである。実際の古代中国に、こんなものがないことぐらいは、修でもわかることであった。


(おまけにあの帽子はなんだ……)


 次に修がつっこんだのは、秀児が被っていた帽子である。それは幅広い上に、やけに長い、リボンみたいなものが付いていたのである。しかも、秀児はそれを「冠」と呼んでいた。


 それらの服装に付いている模様や紋章、文字こそ、古代中国っぽいものであるが、衣装そのものは、どこからどう見ても、アレでしかない。すなわち……。


(なんで……)


 修は過去最大級のつっこみに入った。


(なんで、『ゴスロリ衣装』なんだ!?)


 そう。秀児や太学の少女たちが着ている「儒服」なるものは、どこからどう見ても、ゴスロリ衣装以外の何物でもなかったのである。


 すぐ近くを歩いている、「本物の儒服」に身を包んだ儒学者の男性と比較すれば、その衣装が異様であることはあまりに明らかであった。


(この世界は、いったいどうなっているんだ!? この世界を作った神は、孔子さまを舐めてんのかあああぁぁぁ!!?)


口にこそ出さなかったものの、今にも天に向かって叫びたい気持でいっぱいの修であった。









 さて、こちらは荘尤邸の客間。


 邸の中に入った秀児は、そこで大司馬・荘尤そうゆうと面会していた。


「私が大司馬、荘伯石そうはくせきじゃ。そちは何と申す?」


 卓を挟んで秀児に向きあっている、年長の女性こそ、今をときめく大司馬の荘尤である。


 長い紫色の髪の持ち主である、この大司馬は、窓から差し込む日光を背にしていることも手伝って、なんとなく妖美な雰囲気を漂わせていた。


「荘大司馬閣下に、お初にお目にかかれたこと、光栄に存じます」


 相手から解き放たれる威圧感にも滅入らず、秀児はきちんと丁寧に挨拶した。少しでも無礼なことがあってはならない。そもそも、三公の「大司馬さま」である荘尤に、こうして会えただけでも、奇跡に近いのだ。しかも、秀児の態度次第で、舂陵郷の一族の命運がかかっていると言っても、過言ではないのである。


「私、荊州・南陽が蔡陽・舂陵から参りました、姓は劉。名は秀。字は文叔と申します。以後、お見知りおきを」


「ほう、そちは劉秀というのか。国師公(*)と同じ名前じゃな」


 そう言うと、興味深げに、荘尤は秀児を見つめた。


 そして、そのまま、しばらくの間、沈黙が続いた。荘尤は秀児の顔をじっと観察してくるのである。秀児は緊張と威圧感とに押しつぶされそうに、なりながらも、かろうじて平静を装った。


「ふむ……」


 やがて、荘尤の方から沈黙を破った。


「その方、髪と眉の美しき者じゃな。なかなか気に入ったわ」


「は、もったいないお言葉でございます」


 この妖美な雰囲気の大司馬は、秀児の下ろした蒼い髪と、整った眉とが綺麗だと言ったのである。まさかこんなことを言われるとは思っていなかった秀児は、嬉しい気持ちを抱きながらも、つい、冷や汗をかいた。


「さて、無駄話はこの辺にしとくとしよう」


 荘尤が本題の方へと話を進めさせた。


「この度、そちはいかなる用で、この荘伯石の元へと来たのじゃ?」


「は。私めは、この通り、無位無官の下賤な輩であり、本来ならば、荘大司馬閣下に会うことさえ許されない立場でございますが、この度、我ら舂陵の劉家の当主たる祉より、お上への訴状を預かる立場として、閣下の下へと、参上つかまつった次第にございます」


 今までにないほどの、神妙な表情で、話を進め、携えてきた訴状を差し出す秀児。今の彼女を、外で待っている修が見れば、仰天して腰を抜かすであろう。


「まあ、そう自分を卑下せずとも好い。それで、舂陵の祉なる者からの訴えとはなんじゃ?」


 荘尤が聞いた。


「は。祉が申しますには、一に、租賦を毎年の通り、粟の一粒も欠くことなく納めているにもかかわらず、県の役人どもが、あれこれと理由をつけては、祉の荘園より、銭から牛馬に至るまでを、取り立てていく始末だとのこと。二に、役人どもによる、小作人らへの横暴も治まらぬとのこと。三に、県宰、前隊大夫、州牧もこの訴えをまったく聞き入れてくれぬとのこと。いずれも、天子様の御威光に傷をつける行為にございます。私は、天子様の御威光に傷が付くことを恐れるのみで、こうして訴えに参った次第でございます」


 頭を下げたまま、あらかじめ暗記していた訴状の内容を読み上げる秀児。その声は、先ほどよりも、さらなる真剣さを帯びていた。


「つきましては、荘大司馬閣下より、この現状を、皇帝陛下の方までお取り次ぎ願いたい次第でございます」


「なるほど。そちの訴えは、よくわかった」


 荘尤は書状を読みながら、そう言った。


「ちょうど、そちの訴えと同じようなことを言うものが、直接私まで言いにくる者が幾十。書簡で届けてくる者が、幾百、千といるのじゃ。このままでは、皇帝陛下のためにもまずいであろうと、私も考えていた所じゃ」


「では……?」


 思わず顔をあげそうになる秀児。それを見た荘尤は、フッと微笑むと、言った。


「そちの所のことも含め、私の方から今一度、皇帝陛下に申し上げてみることにしよう。なあに、心配は無用ぞ」


「はは。ありがとうございます!」


 秀児はそう言って深く頭を下げた。


「ふふ。そちは偉いヤツじゃのう」


 そんな秀児を見て、おもしろかったのか、荘尤が褒めあげた。


「無位無官の身であるにもかかわらず、また、一族の人間であるとはいえ、遠縁の者のために、よくぞこの荘尤の所まで訴えに参ったものじゃ。関心するぞ」


「もったいなきお言葉にございます」


 嬉しさを心の内に秘めながら、秀児は荘尤に向かって感謝の意を示した。


「そう、畏まらずともよい。しかし、この朝廷にも、そちのようなもの言う臣がいたら、もっとおもしろいものなんじゃがのう」


 不意に荘尤が、声を潜めて独り言を言った。


「は?」


「いや、こっちの話じゃ。さて、訴えのことはこの荘伯石がなんとかとりもとう。陛下が正しき天子の道をお進みになられるよう、微力ながら全力を尽くさせてもらおうぞ」


「はは!」


 こうして、秀児は無事に舂陵侯家からの訴えを上奏してもらえることになったのであった。









「お待たせ、二人とも!」


 大司馬邸の門の内側から、嬉しそうな笑顔の秀児が出てきた。この様子だと、きちんと「任務」を果たすことができたようである。


『秀児!』


 修と来歙が急いで駆け寄った。そして、門から出てきたばかりの秀児と対面したのである。


「どうだったか?」


 来歙が聞いた。


「うん。大丈夫だったよ」


 秀児が得意げな笑みを浮かべて、結果について報告した。


「荘公(大司馬・荘尤)は、きちんとお上に上奏してくれるって!」


「やったじゃねえか!」


 修はまるで自分のことのように、嬉しくなった。


「お前、本当にすげえよ! やるなあ!」


「あはは、そんなことはないよ……?」


 言いかけた時であった。


「ん?」


 ふと、秀児が何かに気付いた。


「ねえ」


「ん?」


「なんだ?」


 訝しがる修と来歙。そんな二人に、秀児は自分が気付いたことについて話した。


「なんか聞こえない?」


 そう言われて、二人は耳をすませた。そして、聞き取った。


「言われてみれば……」


「なんだ? 泣き声か?」


 聞き耳を立てれば立てるほど、それははっきりと聞こえた。誰かがすすり泣きをしているのだ。


「あっちだ!」


 秀児が大司馬邸の塀に沿って、角を曲がった。修と来歙も、急いで続く。


 そして、三人は見た。


「あの子か……!」


 塀の近くに植えられた、枝垂れ柳の幹の前で、一人の女の子がべそをかいているのを。


「なにをやっているんだ?」


 わけがわからずに、修が呟いた。木に寄りかかって泣いている少女は後姿であったが、容姿容貌から、修や秀児と同年代の女の子であることは、容易に想像ついた。


 彼女は秀児と同様の「儒服」(どこからどう見てもゴスロリ衣装)を身につけ、肩口くらいまで下ろした茶髪の頭の上には、秀児が被っているのとそっくりな帽子を被っていた。


(迷子、というわけじゃないみたいだな)


 修がそう、間抜けなことを考えていたときだった。


秀児がその女の子の方に向かって、一歩一歩、ゆっくりと、前に進み出始めたのである。


(秀児?)


修は呆気にとられたが、黙って見てることにした。なぜか、そうした方がいいと思ったからだ。


やがて、女の子のすぐ後ろについた秀児は、ゆっくりと右手を上げると、泣いている女の子の肩を、そっと軽く叩いた。そして、言った。


茶柳ちゃる……」


 肩を叩かれた少女は、泣きながらも振り向いた。その時、修はその女の子の顔を見た。茶髪のよく似合う、童顔の、その女の子は、目から涙を流していて、それはそれは悲しそうな表情であった。だが、それも、秀児の顔を見るまでであった。


「なんで泣いているの?」


 優しげに語りかける秀児。すると、そんな秀児の姿をみとめた少女の表情が、悲しみから一変して、驚きの表情に変わったのである。


「うそ……」


 少女は小さな声で呟いた。


「秀ちゃん……?」


「うん。僕だよ」


 ニコリと優しげに微笑む秀児。すると、ついさっきまで泣いていた少女は、自分と同じ格好をした秀児に向かって抱きついたのである。


 この様子からすると、お互い知り合いなのであろうことくらいは、修にも容易に想像することができた。


 茶柳と呼ばれた少女の抱きついた時の勢いゆえか、修と来歙が見ている前で、くるくると自然に踊っているかのように抱き合う少女たち。


「大げさだなあ、茶柳は。たった数カ月じゃないか。僕たちが会ってないのは」


「だって、南陽ならとにかく、こんな所で、また、秀ちゃんに会えるなんて、思っていなかったんだもん!」


 その二人の表情は、本当に嬉しそうであった。


「あ!」


 不意に、来歙が声を上げた。


「どうしたんです、来歙さん?」


「なんだ、誰かと思ったら、茶柳じゃねえか」


 目の前の仲良しな二人組を眺めながら、来歙はそう言った。


「え、誰です?」


「アイツは、秀児の幼い時からの友達だ」


 暖かな視線を送りながら、来歙は、秀児と抱き合っている茶髪少女のことを、修に紹介した。


「アイツは朱祜しゅこ。字は仲先ちゅうせん。秀児の幼馴染にして、以前、一緒にここ(長安)の太学で学んだ、『悪友その一』だ!」





*(注)

・国師公

 王莽の側近の大臣の一人。本名は劉歆りゅうきん、字は子駿ししゅんだったが、後に名を「秀」、字を「穎叔えいしゅく」に改めた。儒教の経典の編集に携わったり、「五徳終始説」などの理論体系を編み出し、後の中国の儒教政治などに多大なる影響を与えるなど、功績の大きい天才学者だが、王莽の帝位簒奪などに協力したり、儒教の経典を改竄したなどの悪評があり、あまり高い評価は得られていない。

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