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第四章 武関にて


ここは劉嘉邸。現在、この屋敷の客間には、屋敷の主である春萌以外に、伯升、秀児、来歙らいきゅう、そして修といった面々が集まっていた。皆一様に、深刻そうな表情をしている。



「つまり、なんだ」


 いの一番に、伯升が口を開いた。


のヤツ、またいらんことに巻き込まれやがったのか」


やれやれだと言わんばかりの表情で、彼はそう言った。


「そういうことです。伯升さん」


 春萌が頷いた。


 いったい何があったのかと言うと、それは今朝、春萌の家に届けられた、一通の書簡に由来するものであった。


 その書簡の送り主は、春萌の従兄にして、元・舂陵侯本家の現当主である劉祉りゅうしだった。


 その書簡によると、劉祉は大変な苦境に陥っている模様であった。


 ことは年貢の問題で、劉祉本人は毎年同様、定められた年貢をきちんと払ったつもりだったのであるが、役人は払ってないと言って、毎日のように、劉祉の館に取り立てに来るのだというのだ。当然、劉祉は黙っていられず、蔡陽県の県宰や、南陽郡の前隊大夫(*)に訴え、果てには荊州の州都・えんに行き、そこにいる荊州牧にまで訴えたのだが、まったく相手にしてくれないのだという。



困り果てた劉祉は、従妹である春萌に書簡を出して、なんとかしてほしい。この惨状を、お上に訴えてほしい、と相談してきたのだ。


 豪族というものは、昔から同族意識が強く、血の繋がりを重視する。だからこそ、このような相談を持ち込んできたのである。


「まったく、あいつも舐められてやがるなぁ」


 伯升が溜め息をついた。劉祉は父親の劉敞りゅうしょうの代の時に、王莽によって舂陵侯の爵位を剥奪され、さらには官職にも就くことができずにいるのである。その上、新の役人たちにいちゃもんをつけられる有り様だった。


「まあ、それはともかくとしてだ」


 来歙が口を挟んだ。


「こうなった上は、俺たち、舂陵侯家の人間の誰かが、都に行って、この窮状をお上に訴えるしかないだろ」


 彼はそう提案した。県でもだめ。郡でもだめ。州でもだめとなれば、朝廷に訴えるしかない。


「まあ、そういうことになるな。さて……」


 来歙の意見に賛成した伯升が、一旦口をつぐんだ。そして言った。


「問題は誰が行くかだ」


「そうですね。行くのなら、都の地に明るく、なおかつ、しっかりと訴えることができる人じゃないといけませんね」


 春萌がそう言って悩んだ。問題は、南陽劉氏の人間の中から、誰を行かすかである。


 都・常安(長安)に行くには、そこの地理に明るい人間でなくてはならない。さらには、そこで上の人に訴える時に、無礼な振る舞いはしてはならないので、きちんと礼節に適っていなければならない。もう一つ付け加えるならば、家の主として、荘園を預かっている人間が、この舂陵郷の地を離れるわけにはいかないのだ。


 そうなると、伯升は論外である。そして劉嘉こと春萌も、荘園主である以上、ここを離れるわけにはいかない。


 どうしようかと悩んだ時であった。


「それなら、僕が行くよ」


 手を挙げたのは、ほかならぬ秀児であった。


「秀ちゃん!?」


 春萌が驚いて言った。


「本気なのですか?」


「僕は本気だよ。春萌義姉さん」


 そう前置きすると、秀児はどうして自分が行くかについて、説明した。


「僕はついこの間まで、都の太学で学んでいたんだから、地理には明るいつもりだよ。それに、太学の中で、礼節のことも徹底的に叩きあげられているからね」


「なるほど。それぁ、お似合いだな!」


 伯升が秀児の背中を叩いて言った。


「そし、それで決まりだ。春萌。祉のヤツにきちんと伝えておけ。それから来歙!」


「なんだ?」


「お前、都の地に詳しいだろう? 一緒に行ってやれ。その方が、秀児も喜ぶだろうからな」


「わかった、伯升。そうさせてもらおう」


 伯升の提案に、来歙も頷いた。これで話は決まりである。


(なんか、大変なことになったなぁ)


 傍らで話を聞いていた修は、背伸びをしながらそう思った。すると、そんな修を見て、伯升が話しかけた。


「おい、修」


「え、なんですか。伯升さん?」


 すると、伯升は修が思ってもいなかったことを口にしたのである。


「修。貴様も秀児と来歙と一緒に、都に行って来い」


「は、ええ!?」


 修は仰天した。当たり前である。


「な、なんで俺までですか!?」


「付き人として、秀児たちに付いて行ってやれって言ってんだ!」


 強引に話を進める伯升。修は納得がいかなかった。


「なんでまた、そんな急に!」


「じゃあかましい! 俺が行けって言ってんだから、黙って行きやがれ」


「なっ……!?」


 呆然とする修。だが伯升は、そんな修を置いて、笑いながら帰ってしまった。


「また、縯兄様の悪い癖だよ」


 しばらくして、秀児が口を開いた。


「は?」


 いまいち話が飲み込めない修。すると、今度は春萌が言った。


「修くん、でしたね。あなた、本当に伯升さんに可愛がられていますね」


「ああ、そうだな」


 来歙も続けざまに言った。


「たしか、柳修だっけ。お前、別に深く考える必要はないぞ」


「そうそう」


 秀児が相槌を打った。


「ようするに縯兄様は、『都まで旅行して楽しんで来い』って言ったんだよ。修くんは、この舂陵郷から出たことがないからね」


「あ、なんだ。そういうことだったのか」


 これでようやく、修は理解することができた。


「まったく。伯升さんったら。それならそうと、『貴様も旅行して来い』って、素直に言ってくれればいいのに」


「あはは。それが縯兄様だよ」


 秀児が苦笑した。


 こうしてその場はお開きとなり、修は秀児や来歙と共に、都への旅行のための準備に入る運びとなった。









 さて、二日後。


 修は都・常安(長安)に向けて、秀児、来歙たちと共に、馬車で舂陵郷を出発した。


 舂陵郷を出て、新野県しんやけんの来歙の館に立ち寄った後、州都・宛を通り、そこから街道に沿って西北に行き、武関を通って司隷しれい弘農郡こうのうぐんに入り、そして都・長安という道のりである。


 片道、およそ十日前後の旅だ。


(そう言えば……)


 馬車に揺られながら、修はふと思った。


(新野って、どこかで聞いたことがあるような……)


 もちろん、彼は聞いたことがあった。昔、彼が読んだ「三国志」のマンガで、劉備が立ち寄った場所にほかならないのである。しかし、うろ覚えである修は、結局そのことに気付かなかったのだ。


「ところで、来歙」


 秀児が来歙に尋ねた。


「なんだ?」


「都での用が済んだら、帰りに新野を素通りせずに、立ち寄らせてもらってもいいかな」


 彼はそうお願いをしたのである。


「なんでまた、どうした?」


「いや、ほら。新野にいる鄧晨とうしん義兄様や、げん姉様や鄧奉とうほう、それから、れいちゃんにも久しぶりに会いたいんだ」


それを聞いた来歙は、納得したようだった。


「ほう、なるほど。そう言うことか。よし、帰りには少しのんびりするか」


 それを聞いた秀児は、本当に嬉しそうだった。それを見た修が、思わず口を挟んだ。


「秀児。誰がいるって?」


「ああ、修くんには話してなかったね」


 そう言うと、秀児は説明した。


「新野にはね、僕の姉の、げん姉様がいるんだ。そこの豪族、鄧家とうけの鄧晨って人に嫁いでいるんだよ」


「あれ?」


 修は疑問に思った。


「秀児。お前、お姉さんがいたのか?」


「あ、言うの忘れてたよ」


 舌を出して笑う秀児。それから、彼は自分の家族のことについて語った。


「僕には、縯兄様のほかに、こう姉様、元姉様、ちゅう兄様と、妹の伯姫はくきがいるんだ。もっとも、黄姉様はちょっと遠いところに嫁いでしまって、しばらく会ってないけどね。そして、元姉様は新野の鄧家にいるんだよ」


「あれ?」


 修は疑問に思った。


「それじゃ、もう一人のお兄さんと、妹さんはどこなんだ?」


「ああ、仲兄様と伯姫はね、母様と一緒に、劉良りゅうりょう叔父様のところにいるんだよ。ほら、家がああだから……」


 そこまで聞いて、修は納得した。年老いているであろう母親や、秀児よりも幼い女の子を、あんなところに置いておくわけにはいかないことくらい、簡単に予想がつくものだ。




「ま、そういうわけで」


 秀児が苦笑しながら、話を続けた。


「都での用事が済んだら、修くんも一緒に、皆に会いに行こうよ。僕が紹介するよ」


「ああ、その時は頼むぞ」


「うん!」


 こうして、馬車は走り続けるのであった。









 それから五日が経過した。


 あの後、馬車は新野を通過し、宛を通り、そこから西北の道を通ったのである。


 そして西に夕日が落ちる中、一行がたどり着いたのは、その夕日の前に立ちふさがる関門、武関ぶかんであった。


ここは約二百年前、漢の高祖・劉邦がしんの都・咸陽かんようを攻める際に通過した場所として有名である。


 関の名の通り、この武関は都・長安のある関中かんちゅうの入口である。洛陽と長安の真ん中にある函谷関かんこくかんと同様、関中に行くには避けては通れない要所で、その城壁は高く、巨大な城門は分厚く頑丈に造られていた。


「さて、今夜はここの旅籠はたごに泊まろう」


 来歙が言った。すでに武関の城門は閉ざされており、これが次に開くのは、翌日の朝になるのを待たなければならない。一行は、武関付近にある宿場町の旅籠で一泊することにした。


「うっぷ……」


 修が苦しそうな表情で、馬車から降りた。彼は乗りなれない馬車に、長時間乗っていたものだから、酔ってしまったのである。


「大丈夫?」


 心配そうに秀児が聞いた。


「だ、大丈……ぶ!?」


 言いかけたところで、修は近くの草むらの前に屈みこんだ。かなりの重症である。


「全然大丈夫じゃないよ!」


 今度こそ心配になった秀児が慌てて駆け寄った。そして、苦しそうにうずくまっている修の背中をさすったのである。


「うっぷ、あ、ありがと……」


 背をさすってもらって、少しは落ち着いた修。だが、落ち着くに従って、彼は不思議な違和感を感じていた。


(あれ?)


 彼は思った。


(なんだろう。この違和感……)


 秀児にさすられれば、さすられるほど、彼はそう思わずにはいられなかった。


「どうしたの?」


 秀児が聞いた。


「い、いや。なんでもないんだ」


 修はそう言って、言葉を濁した。


「ありがとよ。おかげでだいぶ、楽になった。ほら、来歙さんも待っているし、早く入ろう」


 ようやく機嫌を取り戻した修は、そう言って、秀児の手を引いて、来歙が待っている旅籠の方へと駆けて行った。


 だが、彼はついに気付かなかった。その時、彼に手をひかれている秀児が、なぜか緊張して、頬を赤らめていたことに。









 それから時間が流れ、夜も更けた頃。


「あれ? あの、来歙さん」


「ん、どうした?」


「秀児はどこに行ったのです?」


 晩御飯を食べ終わり、寝床を用意していた時、秀児の姿が見えないことに気付いた修が、来歙に聞いた。


「ああ、アイツか」


 頷いた後、来歙は言った。


「秀児は今、風呂に行ってる。あいつ、けっこう好きだからな」


「あ、そうですか」


 修はそう言って言葉をつぐんだ。


(あれ?)


その時、彼の頭に、ふと疑問が浮かんだ。念のために言っておくが、それは、どうしてこの時代の中国大陸に風呂があるのかというものではない。


(そう言えば、秀児のやつ。伯升さんの家でも、いつも一人で風呂に入ってやがったな)


 彼が思い出したのは、そういうことであった。修が伯升の家で生活し始めて、すでに半月以上も経つ。それなのに、秀児が、修自身ははおろか、実の兄である伯升とも風呂に入っているのを見たことはなかった。


(男と言ったら、互いに背を流しあって、友誼を深めるものだって、伯升さんも言ってたのに)


 考えてみれば、考えてみるほど、わからなくなるものである。


(うーん。あ、そうだ!?)


 その時、修はとあることを思い立った。


(せっかくの夜だ。秀児のヤツを、驚かせてやろう!)


 修は悪戯を思い立ったのである。そうと決まるやいなや、彼は風呂場へと直行した。


 彼が思い至った悪戯と言うのは、現在、秀児がいるという風呂場に乱入し、秀児を驚かした上で、彼の背を流してあげるという、実にくだらないものであった。


(待ってろよ。うしし。しかし、驚くだろうな、秀児のヤツ)


 脱衣所で、自分の着てる服を脱ぎながら、修は、いかにも悪役らしい笑みを浮かべた。


 そして、服を脱ぎ終えると、彼は抜き足差し脚で、風呂場の扉に近づいた。そして、息を潜めたかと思った次の瞬間、彼はガラッと、風呂場の戸を開けた。


「秀児、背中を流してやるぞ!」


 開けると同時に、彼は叫んだ。


「え!?」


 直後、秀児の驚愕する声が漏れた。どうやら、ちょうど木の椅子に腰かけて、体を洗っていたとこだったようだ。


「しゅ、修くん!?」


 秀児はかなり慌てていた。咄嗟に、持っていた手ぬぐいで自分の体の前を隠したのである。


「ど、どうしてここに!?」


「なにやってやがんだ?」


わけがわからない、という顔で、修が言った。


「なんでそんなに、恥ずかしがってるんだ? みずくさいぞ」


 そう言って、修は一歩、また一歩と詰め寄ったのである。


「ダ、ダメ。修くん、来ちゃダメだよ」


 そう言って、手ぬぐいで懸命に自分の体を隠しながら、後ずさる秀児。


「なんだよ。男同士だぞ」


 からかわれているのかと思ったらしく、修はまた一歩詰め寄ったのである。なお、現在の修には、立ち込める湯気のせいで、秀児の顔の表情などが、よく見えていないのである。


「え、あう。そ、その」


 後ずさるうちに、とうとう壁際まで追いつめられた秀児。もはや、逃げることはできない。


「なんだよ。女みたいな声出しやがって」


 そう言って、修がもう一歩踏み出したときだった。


「うおわ!?」


 彼は前のめりに転倒した。床に転がっていた、桶に躓いたのである。湯気でよく見えてなかったことと、秀児をからかうのに夢中になっていたことが原因であった。


 そのまま彼は、目の前の秀児の方へと前のめりに倒れてしまった。


「え、ちょっと……!? ひゃう!?」


 修が倒れた瞬間、秀児が悲鳴をあげた。それはもう、甲高く。


「あいてて……」


 転んだ際の痛みにうめきながら、ようやく身を起こす修。彼は、真っ先に秀児のことを心配した。


「ごめん。大丈夫か、秀児?」


「あ、うん。でも、それより……」


 秀児が無事だと聞いて安心したのも束の間、修は、今までで最大規模の違和感に気付いた。


「あれ?」


 身を起こすやいなや、彼は自分の状況を確かめた。修は現在、秀児と真正面から抱き合う形で、転倒していたのである。そのため、おもいきり秀児の背中に手を回していたのだ。


 問題は、そこである。


「なんだ? 柔らかい?」


 修が気付いた違和感と言うのは、秀児の体つきが、男のそれと違って、異様に柔らかいことであった。咄嗟に、彼は秀児の顔を見た。


 彼の瞳に映ったのは、いつもと違って、髪を下ろした、ものすごく可愛い顔の秀児であった。


「え!?」


 わけがわからなくなった挙句、修は慌てて後ろに後ずさった。そして、見た。


 もう、疑うことはない。彼のすぐ目の前にいたのは、一糸まとわぬ、生まれたままの姿の、一人の女の子であった。もっとも、年齢の割には、出るところは出ていなかったが……。


 直後、修はその場で倒れた。彼は大量の鼻血を垂れ流しながら、意識を失ったのである。


 それに遅れる形で、この旅籠の一室に、少女の悲鳴が響き渡った。


 これを聞いて来歙が駆けつけたことで、さらなる混乱が起こったことは、別の話である。






*(注)

・前隊大夫

南陽郡の長官のこと。前漢時代は「南陽太守」であったが、「改名マニア」王莽は、これを「前隊大夫」に改めた。

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